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305 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/11/04(金) 23:47:53 ID:j1QmZlDK
素子は私の顔を見てよく笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし一緒にお風呂に
入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時はお前のお母さんか
叔母様に私のことを聞きなさい。写真帖もお前のために残してあります。
お前が大きくなって父に逢いたいときには九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば
必ずお父さんの姿が心の中に浮かびますよ。
・・・父は常に素子の身辺を守っております。素直な、人に可愛がられる人になって下さい。
海軍少尉 植村真久 レイテ沖にて護衛空母スワニーに突入戦死。
植村素子さんは父と同じ立教大学を卒業した後、日舞の名取となり、靖国神社に日本舞踊を奉納している。
父の魂を慰めるため、母と叔母、父の戦友が見守る中で踊り終えた素子さんは
「お父様との約束を果たせてうれしい」と語った。
その言葉に父の戦友たちは顔を見合わせ微笑んだ後、みな声を噛み殺して男泣きに泣いた。
303 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/11/03(木) 19:56:54 ID:???
おいらのじいちゃんは若い頃、日本から赴任した台湾総督府の役人だった。
台北市の総督府で勤務のかたわら、見初めたのがのちのばあちゃん。
「台北女学院」台北ではお嬢様学校の女学生だったのだが、卒業してすぐにじいちゃんと結婚した。
戦後、日本に引き揚げてからは苦労の連続だったじいちゃんとばあちゃん。
じいちゃんが先にこの世を去ると、ばあちゃんの思い出話も多くなる。
ばあちゃんにとっては台北女学院時代とそれに続く新婚時代が人生で一番楽しかったとかで、
遺言で「私が死んだら台湾と日本の間の海に散骨してくれ」。
・・・散骨を終えた親族一同、「台北女学院」を訪ねてみることにした。
台北女学院の卒業式の写真、制服を着たばあちゃんが写っている写真の複製を持って。
現在「台北女学院」は「台北第1高等学校」台湾でも有数の進学校になっている。
外から校舎を見ていると、先生が出てきて「何か御用ですか?」
・・・事情を話すと「これは失礼致しました、それでは校内を案内してあげましょう」。
「残念ながら校舎は新しく建て替えたのですが、この木はその時代からある木なのですよ」。
校庭にある大きな木の下で、親族一同と先生に、先生が呼んできた教え子の女学生、
全員が並んで記念写真を撮った。
・・・帰国してからばあちゃんのお墓に写真を供え、旅の報告をしたのは言うまでもない。
302 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/11/03(木) 19:19:58 ID:???
冷戦時代のソ連・フィンランド国境。
クルマで国境を越えることもできたが、その場合、ソ連側では厳重なチェックがあり、
日本の某放送局の特派員が乗っていた、ソ連製「モスクビッチ」は、
車内やトランクはむろんのこと、ガソリンタンクの中まで棒を突っ込んで検査された。
長い間かかって検査を終え、フィンランド側の国境に着くと、そこではほとんど検査がない。
「検査はしないのか?」と、特派員がフィンランド国境警備隊員に訊くと、
「むこうでたっぷりやったろう?(ニヤリ)」。
・・・ちなみに、ソ連では飲めないような高級酒もフィンランドではたっぷり飲めたため、
ソ連での特権階級層は「週末はフィンランドに行っていい酒飲もう」を楽しんでいたとか。
298 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/11/02(水) 22:52:37 ID:???
かの大スター、マレーネ・ディートリッヒ。
連合軍によって解放されたパリにいち早く入り、
到着した夜、ナチス占領前の思い出がいっぱいの街に繰り出した。
だが、パリの市街はまだ厳重な警戒下にあり、あちこちに米軍の歩哨が立っていた。
「止まれ!」と、銃を向けられたマレーネ・ディートリッヒ。
「私よ、マレーネ・ディートリッヒよ」従軍看護婦の制服を着ていたディートリッヒはとてもではないがスターには見えず、
「!?・・・あ、そう、おれはアイゼンハワーだ、よろしくな・・・ちょっとこっちへ来い!」
疑いが晴れたあと、ディートリッヒは当直が明けた歩哨の兵士と兵士の仲間を開いていたバーに誘い、
「本物よ、わかってくれた?」
本物のスターとわかって大はしゃぎの兵士たちと、大いに盛り上がったとか。
297 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/11/01(火) 23:26:01 ID:???
キスカ撤収作戦の時、海防艦国後が軽巡阿武隈に衝突した。
この時、烹水所に国後の艦首がぶつかったのだが、この後、水雷長の作った狂歌が
阿武隈の黒板に書かれていた。
「銀蠅に 舌鼓うつ主計長
あっと驚く 国後のバウ」
主計長は夜食の準備に忙しく走り回っていたので、そんなことをする暇は無かったのだが。
この水雷長、他にも、キスカの湾内で敵艦が来たという第一分隊長の報告を聞き、とっさの判
断で魚雷を発射したのだが、霧が晴れてみると、実は小キスカ島北端の岬を敵艦と誤認した
ことが判明したときにも、
「一番が 敵艦(ふね)だ敵艦(ふね)だと騒ぎ立て
さっと撃ち出す二十万円」
と詠んだりしている。
296 名前:\(^■^ ラ 【卍】我が語録[回天] 投稿日:2005/11/01(火) 08:32:45 ID:???
我が国にも2種類のドイツがあるように、日本にも2種類の日本がある。
一つが資本主義的、親英的日本。
もう一つは、「日出づる国」、
「サムライの国」としての日本だ。
日本海軍は後者の具現化だ。
人間が自分自身の本質に一番近いものを
見出すのは海の男の中なのだ
(1942.1.5)
日本の宗教は何よりも英雄崇拝を旨とし、
英雄達は母国の栄光と安寧のためなら
命を投げ出すことも厭わないのである。
それに対してキリスト教徒は聖者を尊ぶ風習がある。
聖者とは片足で何年も立っていたり、
乙女の微笑みに答えるより刺だらけのベッドに寝る方を好む…。
ドイツでは30年もの間
どんな聖餐式を行うかで骨肉相食む争いを繰り返した。
これほど低次元の宗教も無い。
この点、日本人が羨ましい。
日本人の宗教は非常にシンプルで自然との関わりを大切にする。
彼らはキリスト教徒をさえ上手く取り込んで、
インテリ層にも受け入れられるような形に変えてしまったのだ。
(1941.12.13)
日本を崇拝する ドイツ
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1128776905/
291 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 12:50:49 ID:???
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
290 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 12:48:09 ID:???
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
284 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 07:47:55 ID:???
918 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 01:56:14 ID:MYPxmg0O
ありがとうございます、では投下します。
トリップは仮のものなのでご了承ください。
前回の飲み会以来仲良くなった私とSさんは、今日も今日とて例の小料理屋に繰り出します。
…というか、Sさん、仕事中に私の携帯に「またチキンとオサケ食べに行きませんか!」って
私用電話を入れてくるのはどうかと思うのですがorz
でも、今回は割り勘でなくて、Sさんのおごりだというのでホイホイついて行ってしまった私も
どうかと思いますけどね。
さて、店主にまた「インド人連れて行きますよ」って話したところ、親父さんもノリノリ。
店主/おお、またあのインド人のひとがくるなら、歓迎しますよ
私 /すみません、毎回ご面倒かけて
店主/いえいえ、今日は見てもらいたいものもありますから
私 /なんですか?
店主/ははは、久々に若い頃に戻ったつもりで、料理も力入れますから!
私 /えーと、お手柔らかに(汗
というわけで、待ち合わせしてSさんと合流しました。Sさんは今日もびしっとスーツで決めています。
…暑くないのかな。
285 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 07:48:34 ID:???
926 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 02:23:30 ID:MYPxmg0O
まず、店主が出してきたのは…カレーでした orzコノムシアツイノニ
それも、市販のルーで作ったとろりとしたカレーじゃなくて、チキン(地鶏)の入った本場物の
スープみたいな、あまり辛くないカレー。もちろん、ご飯じゃなくてナンがついていました。
突き出し代わりでにカレーかよ! と突っ込みたくなる私でしたが。
S /OH! ベリーグッド!(むさぼるように食う!食う!食う!
店主/これはね、チャンドラ・ボースやインド国民軍のマハネスンって大尉にも食べてもらったんですよ(遠い目
私 /そういえば、親父さんはチャンドラ・ボースに会ったことがあるって言ってましたね?
店主/ええ。むかし、軍隊にいた頃にね(遠い目
店主曰く。店主は、北陸のほうの小さな温泉で代々料理人をしている家に生まれたそうです。
そして、出世のために士官学校に入った後、南方に送られて、そこで上官の中村大尉という人から、
前線で兵士に美味いモノを食べさせるにはどうしたらいいか(現地の食料や、自生している植物で
日本人の口に合う料理を作る方法)研究するように言われていろいろ研究していたそうです。
正式な料理担当ではないそうですが。
286 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 07:49:21 ID:???
929 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 02:28:22 ID:MYPxmg0O
チャンドラ・ボースと出会ったのは、マレーへ攻め込んだ後だそうです。
出会ったのは、ボースと中村大尉から、今後インド独立支援のために、イギリス軍に支配されている
インド兵を組織する。その一環として、言葉による説得だけでなく、彼らにインド料理を食べさせて、
自分たちを味方だと認めさせるための作戦に従事するよう命じられた時だそうです。そして、本格的な
インド料理の作り方を学ぶように命じられたそうです。
店主は、日本の戦争遂行のために無辜の民を胃袋から支配するのはどうか、と抗議したそうです。
ですが、ボースからも
「支配されるのではなく、白人と戦う同志として手を取って戦うためには、同じ釜の飯を食うことが
何よりも大事だ」
と説得され、ボースの見つけてきたインド人の協力者から、部下共々インド料理や、インドの食事の際の
風習を一生懸命に学んだそうです。
マレーでイギリス軍を追い払った後、多数のインド人を捕虜として確保し、彼らを組織するために、
インド人の指導者として信頼されていた、マハンスン大尉という人と会談する時に、その料理の腕をふるい、
大いに感銘を与えたのだそうです。
…一部には、皇軍の士官とあろうものが料理を手づかみで食うなどと、って声もあったそうですが、
「郷に入っては郷に従え」という中村大尉の一言で黙ったそうです。
そうそう、マハネスン大尉、って人はインド国民軍の偉い人なんでしょうか?
グーグルで調べてみたけど、見つからなかったんですけど。
ご存じの方がいらっしゃったら、教えて頂けると嬉しいです。
287 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 07:50:00 ID:???
942 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 02:57:55 ID:MYPxmg0O
その後、店主はインド人を訓練する任務に従っていたのだそうですが、訓練中の怪我がもとで
病気(破傷風か?)になって本国へ送られ、インパール作戦には従事しなかったそうです。
そして療養中に終戦を迎え、結局南方に戻ることはなかったそうです。戦後、ボースが飛行機事故で
死んだことを聞いた時は男泣きに泣いたとか…
店主/このカレーを作ったのは、戦後初めてですよ。残してきた上官や戦友と、私の料理を食べながら
ウマイ、ウマイってカタコトの日本語で喜んで、にこにこして食べてくれたインドの兵隊のことを
思い出してしまって…(涙
S /アリガトウ、英雄のトモダチの話を聞けて、ワタシは嬉しいです(涙
私 /(泣きました、マジで
店主/すみません、昔話ばかりしてしまって(涙
S /NO! ボースもきっとアナタのことを誇りに思っているでしょう!(涙
というわけで、今回の飲み会は、店主の意外な過去の話がメインになりました。
その後、店主の古いアルバムを見せてもらったり、Sさんのインドの歌を聴かせてもらったり、
店主とSさんが古い軍歌を歌うのを聞いたり。
店主の持ってきたアルバムの、セピア色の写真の中でいつもむっつりしている店主が浅黒い肌のインド人や
真面目そうな兵隊さんの間で誇らしげに笑っている写真や、厨房(といっても、掘っ立て小屋みたいな建物)で
巨大な鍋の中身をかき回している写真を見せてもらって、また涙したりしました。
…そういえば、Sさんはどこで軍歌なんか覚えたんだろう…?
288 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/28(金) 07:51:47 ID:???
978 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 03:54:14 ID:MYPxmg0O
以上、ちょっとしたお話でした。
943>モハンシン大尉、という方は見つけた。つttp://www.nipponkaigi.org/Indian%20Booklet2.htm
945>Wikipedia→モハン・シン(Mohan Singh)大尉 訛って、マハンスン大尉 になったのか。
960>中村大尉って……確か児島襄の「指揮官」という本の中にあるチャンドラ・ボースの章に名前が出てきたような気が……。
諸兄、ソースありがとうございます。モハンシン大尉、ですか。
私の聞き間違いで「マハネスン」と聞こえたのかもしれません。というか、店主のじいさまは
インド語しゃべれるようですから、その発音に私がついて行けなかったせいかも。
中村大尉という日本人の上官は多分聞き間違えていないと思いますので、店主の言っているのは
文字通り歴史上の事実のかけらなんでしょうね。
なんだか、今更ながら感動がこみ上げてきました。