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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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405 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/10/06(日) 23:25:53.34 ID:???
初期の中国戦線だったと思うが、事故死した兵隊の公葬で神道形式にしようとしたのに、
部隊長以下全員数珠片手に並んでくるわ、居留民会一同から坊主が応援でくるわ、仲の良かった支那人が棺が出てくると爆竹鳴らし始めるわでカオスな事があったらしい

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25 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 00:35:13.46 ID:???
1993年、長い独立戦争の果て、やっとエチオピアから独立したエリトリア。
かってイタリアの植民地であった時代、国土を横断する立派な鉄道が敷かれていたのだが、
エリトリアは1994年から戦後復興の一環として、破壊され放置されていた鉄道の再建に着手する。

しかしながら世界的に見ても最貧国のひとつであるエリトリア、
アメリカやイタリアから鉄道再建案のオファーがあるにはあったが、そのどれもがすこぶる高額で、
エリトリア政府は外国からの援助に頼らず、鉄道を再建することを決意した。

2000年12月12日、エチオピアとの平和条約が正式に締結されると、
エリトリア軍の兵士は国家再建のため、国民の義務サービスとして鉄道再建の労働力に振り向けられ、
建設のペースは早まった・・・が、
お金がないことには変わりがない、近代的な工事機材もろくに揃わず、鉄道車両もイタリア植民地時代のものを動かすのがやっと、
これでは経済効果の期待できる鉄道まで早期に行き着けるとは言いがたい。

だが、思わぬ福音があった。

イタリア植民地時代の置き土産の蒸気機関車、さらにはイタリアが架けた数々の美しい石作りの鉄道橋、
機関士も当時を知る高齢の機関士が駆けつけ、
タイムマシンで現代に甦ったような列車は、諸外国の鉄道ファンの知るところとなり、
カメラを持って押しかけるファンが落とす外貨は、思わぬ外貨収入源となっているのだ。

あくまで自力で鉄道再建、国土復興を決意したエリトリア政府のプライドと意思に、
図らずも手を貸すことになった先進国の鉄道ファン、
願わくばさらなる観光資源となり、エリトリアの復興の一助となれば、と思うのは、極東アジアの鉄ちゃんの思い入れであろうか。

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131 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 04:50:28 ID:???
484 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2007/06/04(月) 16:53:28 ID:X/T3xWtI0

俺が小学校5年のころに、ひいじいちゃんが無くなった。病気や怪我で死んだ
わけではなく、老衰だった。98歳の大往生だった。俺に小遣いくれたり、一緒に
釣りに行ったり、燻製つくりをしたり、その他にも火薬の作り方とかも教えてくれて、
何でも知っていて、いろいろな遊びを教えてくれるひいじいちゃんだった。

 大往生で無くなったので、葬式でもその後の宴会でもみんな和やかなムード
だった。ただ、一番懐いていた俺はやっぱり悲しくて、一人自分の部屋でシクシク
泣いていた。

 客も皆帰って、ごく身近な親戚だけになったので、風呂に入って寝た。当時寝て
いたベッドは、二段ベッドの下がない様なもので、横になると田んぼと家の前の道路
がよく見えた。暑くて目が覚めて、何となく窓のほうを見ると、白い着物を着た人間が
スーッと移動していた。そして、その白い人はピタリと止まると、こっちの方を向いて
片手をすっと伸ばして、頭の上でクルクルとまわしていた。よくは見えなかったが、
きっとひいじいちゃんに間違いないと思い、自分も必死にひいじいちゃんと同じように
、手を振り替えした。しばらくすると、またスーッと移動して消えてしまった。

 大人になって気づいたが、あの時の手の振り方は、海軍の兵隊や軍人が帽子を
持って手を振る独特のものだった。「そういえばひいじいちゃんは、元軍人だったなぁ。」
とぼんやり思い出した。あの時の白い人は絶対にひいじいちゃんに間違いないと確信
した。ひいじいちゃんが、軍人だった頃に被っていた略帽?は俺が貰って大事にしている。

長文すまぬ。 

 ひいじいちゃん元気かなぁ。

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736 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 00:11:37 ID:???
大湊のある飲み屋のおかみさんの話
店を閉めて床につこうとしていたら外からガヤガヤとお客さんたちが来た気配
いつも来てくれる駆逐艦「白雲」の人たちが来たのだろうと思って下に降り酒を温めようとしたら
誰もいなかったそうです、おかしなこともあるものだと思っていると港では何日かたって
北の海で「白雲」が撃沈されたらしいとささやかれだしたと言います
戦後調べてもらったらちょうどあの不思議な出来事のあった日に撃沈されていたのだとか

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525 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/01/25(日) 20:01:58 ID:kfuTIfTz
小笠原の父島、母島に行った人はいないかな?硫黄島は当たり前だろうけど
意外と知られていないのが、父島、母島ともいまだに旧日本軍の洞窟があること
母島に仕事で以前よく行ったんだが、いまだに日本兵の霊の話がある
(戦場にはならなかったが)洞窟も地元の人は絶対に潜らないんだが、よく
潜ってた。途中からワンカップとタバコあげてた敬礼してね。途中一緒に
いってたやつが日本兵の霊が~と仕事やめて帰った。そいつもいっしょに
ありがとうと言う声を聞いてる。

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19 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/06/25(水) 13:35:28 ID:D2O6tC9/
外交官である佐藤尚武氏が書いた著書「回顧八十年」からの抜粋。
彼はドイツがフランスを降伏させた第二次大戦時にパリに赴任していた。

私はちょうど(1940年)7月14日の朝、シャンゼリゼーを上りつめて、凱旋門のところで車をおりた。
無名戦士の墓にもうでたい気持ちからである。凱旋門からエトワールの広場を見回すのに、いずれの家もみなしまっている。
(中略)目にうつるのは、ただ大きな赤地に黒の逆マンジのハーケンクロイツばかりである。これはまた無数にかかげられている。凱旋門の真下に永久の眠りについている、
第一次ヨーロッパ戦争の墓碑は、大きな白の大理石盤でできていて、水平に地面にはめこんである。その頭の方には、休戦当時から燃え続けている消えずの火が、いまもって赤々と炎をあげている。
すべて昔のとおりである。しかし昔と比べて大きな違いは、昔墓にもうでていたフランス人が、今は一人もいないことである。三々五々、つどい来るのはドイツの兵隊である。彼らは丸腰で武装もなく、
普通の見物人と同様の気持ちでくるものらしい。しかし集まってくると、だれか小声で号令をかけ、無名戦士の墓碑の前にきちんと整列し、そして挙手の礼をささげるのである。私は同じくそばにたっていて、
つくづく深い感にうたれざるをえなかった。

戦死者にたいする敬意は兵士なら通じ合うものがあるんでしょうな。

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33 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/04/08(金) 13:27:07 ID:EbJFT6hm
南京で辻ぃーんが 蒋介石の御母堂の墓を整備して日本と中国の要人や
市民を招いて盛大な追善供養をして、そのニュースを聞いた 蒋介石が
泪を浮かべた、て本当?


40 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/04/08(金) 16:21:41 ID:???
>33
辻ーんかどうかは忘れたけどその話は本当

関連ネタとして玄奘三蔵法師の墓のエピソードもあるな。
荒れ放題だった三蔵法師の墓を探し出して整備しなおし分骨して日本で祀ったのだが、
敗戦後返還運動がおきたのを蒋介石がかえさんでもええよと言ったという話

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