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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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777 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 02:49:31.69 ID:???
伯父が戦中陸軍で戦闘機乗りだったけど、
戦争中の話はしなかった。

終戦になって、軍隊から実家に帰ってくるとき、
当時普通では入手できない様な沢山の物資を
もって帰って楽しかった事は良く話す。
父に聞くとあの時伯父がもって帰ったパラシュートで
パンツと作って履いてみたけど、履き心地は最悪だったとか言ってた。

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766 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/12(月) 22:33:49.52 ID:???
ほのぼの話ではないんだけど、いい話スレが見当たらなかったもので・・


数年前に8CHでやってたTV番組。

ある特攻隊兵士と、当時兵士が居候をしていた家の家族を
追ったドキュメンタリー。
ハタチそこそこの特攻隊員は、居候している家の14歳の娘と恋仲に。
しかし出撃の日が来て結局兵士は還らぬ人に。
二人にとってさぞかし辛いことであったであろう。
もしかしたらその娘さんはその気持ちを一生引きずってしまうのではないか?
その後の一生はどうなってしまうのか?と思った。

番組はその娘さんのその後を追った。
娘さん(今はもちろんおばあさん)は別の地で結婚し、幸せに暮らしていた。
当時のことを覚えているか?と尋ねられ、
重々しい雰囲気は微塵もなく、清々しい笑顔で、
「もちろん覚えています、忘れられません。
 彼のことが好きだった事は大事な思い出です。
 人を好きなるということを教えてもらって、
 おかげで私は今幸せになることができました。
 感謝しています!」
とおっしゃっていたのを聞き、何だかとても安心した。
何というか、
戦死された特攻隊員もきっと安心しているのではないかと感じた。


よく恋人に戦死されてしまった人の悲しい話をよく聞くが、
私はこのTVを見て、彼らにとって戦争は一つの青春なんだなと感じた。

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756 名前:愚連みらー[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 02:48:56.74 ID:???
開戦前の日米関係で育ち、ジャズの魅力にどっぷり浸かってしまった中産階級士官の話

戦争中でも、住宅地では割と平気に蓄音機を鳴らしていた。
時々憲兵が怒鳴りに来るが、外国語に堪能な士官は、ドイツ語と英語の違いがわからぬ憲兵にジャズをドイツの音楽であるとニセの解説をすると、憲兵は感心して帰って行った。

いよいよ日米開戦になると、士官は爆撃機搭乗員となった。
この頃、グレンミラーが空軍でバンドを指揮していることは日本でも知られていた。
爆撃機に乗った士官はレシーバーの周波数を米軍放送に合わせてジャズを聴くのが最大の楽しみだった。
しかめっ面で必死の探査を装いながら、本土では聞けない放送に心はウキウキ。
この士官こそ、日本ホットクラブ会長の故石原康行氏。

石原氏の前の会長故油井正一氏は、陸軍の高射砲手だった。
もしB29にグレンミラーが乗っていたら、自分は死んでもいいから当たりませんように!
と、命令からわざと外して高射砲を撃ちまくった。
戦後、日本が負けたのは自分の高射砲にも責任がある、と思い悩んだ。

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717 名前:最高にほのぼのとした実話[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 14:52:55.76 ID:???
アドリア海の小さな島(人口67名)の守備隊にイタリア陸軍第XXX歩兵師団の名もない一分隊6名が派遣された。
分隊長以下6名は毎日平和に任務に就いていたが、何せ連合軍の上陸進路から外れていたせいで
敵は来ないは、することはないわで毎日暇を持て余していた。
士気の低下を恐れた分隊長は町の人に何か仕事を手伝わせろと、大工仕事や野良仕事を手伝うようになった。

走行していくうちに、分遣隊は街の人たちに溶け込むようになり、
やがて、部下も含めてそれぞれが恋人を作ってしまい、結婚まで誓うものさえ出てきた。

そんなある日の午後、久々にこの島に本隊の伝令らしきものが小舟でやってくるのが発見され、
全員が色めきたった。あわてて軍服を引っ張り出し、総勢で迎えに出た。
将校は敬礼を返しながら訝しげにつぶやく…

「ん?君らは何だ?ここで何してる?」

船から降りた将校は、終戦でこの島に戻ってきた元村人だった。

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716 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 14:16:08.10 ID:???
角田和男氏の著書から
ラバウルの激烈な航空戦で、ある下士官が飛行機に乗るのが怖くなって
サボタージュしてるからなんとかしてほしい、と角田氏に相談が持ちかけられた。

角田氏は一升瓶を片手に持っていき、陽気にふるまって怖がる下士官に
「お前はオレが守る~」などと、なだめて説得させた。
その後の出撃の時、編成の都合で当の下士官は角田氏と別れてしまい、
別の小隊長となって翼を連ねた。
敵機と遭遇したとき、当の下士官は不可解な行動をとって敵機をひきつけ、
角田氏が見ている眼下で不利な空戦をやって未帰還となってしまった。
角田氏は説得させて飛行機に搭乗させた下士官を守れなかったことを後悔して
帰途についていたが、その途中でドキリと先ほどの空戦の真実を悟った。

角田氏の小隊は前方の敵機群は確認していたが、当の下士官は別の敵機群が
いたことを知っていたのではないか?
角田氏の小隊を有利な後上方から迫ろうとする第2の敵機群から守るため、
ワザと不利な空位を敵機にさらけだしたのではないか、と。

角田氏は、お前を守ってやる、と豪語しながら、逆に犠牲となって守ってもらった
立場を思うと、涙が頬を伝わって機上で嗚咽したのであった。

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699 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2012/02/15(水) 22:38:59.97 ID:w3UyxUih
戦前から少女雑誌の人気挿絵家だった中原淳一は
戦局から編集部が軍部の圧力に屈し、
その作品は昭和15年から掲載されなくなっていた。

だが中原は、昭和20年3月に32歳で海軍に招集され、
横須賀で敵機の識別イラストを描いていたそうな。
今NHKでやってた。。

◆中原淳一ホームページ
http://www.junichi-nakahara.com/

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691 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/02/15(水) 19:54:01.91 ID:???
会社の社員旅行で韓国に行ったときの話。

ガイドのおばさん、最初のうちは韓国ドラマのネタなど一生懸命説明してたんだけど、
何せ、ウチの会社っておばちゃんだらけ、そのうち、おばちゃんたちと話すようになる。
横でその話を聞いてたら、

「日本って、子供が軍隊に行かなくてもいいんでしょ?
今、わたしの息子が軍隊に行ってるのよ。
わたしも母親なの、ものすごく心配だし、息子が軍隊に行かなくてもいい国のお母さんがうらやましいのよ」。

これぞ母心というものか。

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677 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2012/02/05(日) 14:15:54.18 ID:G+N4vmkH
 現代編になってしまうが。

 俺は高校の時、1年間USAにホームステイしていた。
 ところが当時、米国は不況真っ盛り。もちろん経済的負担の大きいホストファミリーも不足状態。
 そんな中、俺は退役軍人の家にステイすることになってしまう。ファミリー自体は私のことをとてもよくしてくれたが、となり(といっても歩いて15分はかかるが)に住んでいたホストファザー父は私のことを邪険に扱う。
 
 さて、ある日、ホストファザーに連れられて、ホストファザー父の家に行ったところ、ホストファザー父氏、テレビで第三次ソロモン海戦についてやっている番組を見ていた。ホストファザーが私に囁く「彼、この戦いに参加してたんだ」。

 それを聞いて仰天、なんと私の大叔父もこの戦いに参加していた。ホストファザーがホストファザー父にそのことを教えると、これまでの態度が一点、「詳しく聞かせてくれ」と。

 ホストファザー父氏はなんと戦艦サウスダコタの砲術士官。うちの大叔父は重巡愛宕の航海士。
 
 昨日の敵は今日の友というやつでしょうか。それ以降、ホストファザー父氏は私のことを大変、気に入り、しょっちゅう、私と話をしたり食事に行く仲になりました。

 一度だけ、ホストファザー父の昔の同僚、つまりサウスダコタの別の乗組員と会う機会があって紹介してもらいました。

 「こいつのじいさん、あの時のタフな艦の航海士だったんだぜ」
 
 ただ、、、ホストファザー父氏、ちょっとボケが始まっていたので、後になってどうも大叔父の艦を霧島と勘違いしているフシがあった。訂正しとけばよかったのかな、、、

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669 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 21:06:59.06 ID:???
1958年のアメリカ映画「勝利への潜航」。
潜水艦艦長を演じたロナルド・レーガン、言うまでもなく、のちの大統領が思い出話に語るには、
「艦長を演じるにあたっては、傍らにいた海軍士官が小声で脇台詞をつけてくれたので、
オウム返しにその号令を唱えたところ、艦はするするとサンディエゴを出港、夕日の沈む太平洋へ向かったものだ」。

しかし、実際にロケの舞台になったディーゼル潜水艦「ベスゴ」SS-321のクルーに言わせると事情はやや異なる。

レーガンの命令は艦長の命令と心得よ、と命令されていたクルーが、台詞の練習を始めたレーガンの命令を真に受けて、
正しいイントネーションの練習のつもりで叫んだ命令「アンサー・オール・ベルズ!」(出航用意!)以下、
「後進一杯」「前進3分の2」「右舷停止」「右舷前進原速」「取り舵いっぱい」・・・の通りに艦を動かしたため、
艦はもやいを一杯に引っ張り、桟橋を壊してしまうはめに。
まさか、本当に艦が動くと思っていなかった本物の艦長は桟橋から艦に駆け寄り「止まれ!頼むから止まってくれ!」

レーガンが副大統領、大統領首席補佐官、国家安全保障問題担当補佐官、
国防長官、海軍長官、海軍作戦副部長、海軍情報部長・・・などなどのお歴々相手に、
ブリーフィングの中でこの思い出話を開陳したのが1980年。
真相を知らなかったのか、思い出になるにあたって忘れてしまったのかは、さだかではない。

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664 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 20:18:07.75 ID:???
>>644
F4ネタでひとつ、F4機付長をやってた航空自衛隊OBの思い出話。

自分が担当するF4の後部座席に収まり、飛ぶことになった機付長。
水平飛行で安全な空域に入ると、パイロットから「どうだ、ちょっとやってみるか?」
「は、はいっ!」「よし・・・ユーハブ・コントロール!」「ア、アイハブ!」

ただでさえ操縦が難しいというF4、機付長がスティックを握ったとたん、
F4がひっくり返って背面飛行になってしまい、
「このドヘタクソ!アイハブ・コントロール!」パイロットの手にコントロールが戻ると、F4はもとの水平飛行に。

「ヘタクソで当たり前じゃ!あんなもん、整備はできても操縦できるか!」と、今になっても怒ること。

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