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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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446 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/02/01(水) 17:21:36 ID:???
落合ネタなら掃いて捨てるほどある。
もし、戦争となれば現役復帰して指揮執って欲しい一人。

漏れの先輩がペルシャ湾に参加して、掃海母艦「はやせ」に乗っていた時の事。

今日も1日ご苦労さんと皆、浴室でシャワーを浴びていた。
するとガチャリとドアが開き
「おっ!みんな元気か!異常ないか?」
何と落合司令が浴室に顔を出している。
皆唖然としたそうだ。
何しろ自分で調理室に行き、残飯の量まで調べている人だったからねぇ。


447 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/02/01(水) 17:54:39 ID:???
なにその東条

カーターだっけ?トイレの紙の一回あたり使用長決めてたの


448 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2006/02/01(水) 20:02:05 ID:???
ストレスで食い物をうけつけなくなった香具師は居ないかと
調べていたって事じゃないのか?

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440 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/01/27(金) 23:37:44 ID:???
ペルシャ湾掃海作戦は相当辛い作戦だったようで・・・
触雷したら一撃で吹き飛ぶ艦首見張りを先任伍長をはじめとする先任海曹たちが
黙々と務める。マスターチーフである彼らは普段は決して当直に立つことはない。
そうかと思えば若い海士が安全な後部見張りなどを担当している。
不思議に思った艦長が「なんでこんな変則的なワッチ(当直割)なのか?」
と尋ねたところ、先任伍長は淡々と
「我々CPOはもう40を越えた者ばかりです。もう十分生きました。若いやつらには
少なくとも我々の年までは生きる権利があると思いますので・・」
答える先任伍長の顔は炎天下のため日焼けとばい煙で真っ黒に汚れていた。
「そうか、ご苦労」と答えながらも艦長はこみ上げるものを抑えるのに必死だったという。

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413 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/01/22(日) 19:01:28 ID:RMQo+Q+o
ペルシャ湾掃海部隊の帰還式典の席上、派遣部隊司令の落合畯1佐(当時)は
部隊解散の辞の最後で
「・・・・本日ただいまをもって、ペルシャ湾掃海派遣部隊を解散する。
横須賀、呉への安全なる航海を祈ると共に、ご家族の方々によろしく伝えて欲しい」
と結んだあと、
「誇り高き掃海部隊員諸君、諸君らの技量と努力に心からの敬意を表して敬礼する!」
と、声を震わせ挙手の礼をした。普通、司令は下級者からの敬礼に答礼するのが礼式である。
敬礼された隊員達はあまりのことに一瞬、あっけに取られた後、あわてて敬礼した。
ところが今度は誰も敬礼の手を下ろさない。落合司令が下ろさないからだ。
そこで司令は照れ笑いを浮かべて言った。
「諸君、そろそろ手を下ろしてもらえまいか?でないと私も手を下ろせない」
満座、爆笑の渦となり、部隊は晴れやかに解散し、日本全国の港に帰っていった。

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397 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/01/22(日) 01:05:29 ID:???
 関東軍→近衛侍衛の祖父談。

 初めて皇居内の門衛に立った時、陛下が脱帽して帽子を後ろ手にぶらぶら歩いて来たので、
思わず捧げ筒してしまったらしい。すると陛下、一瞬こちらの顔をしげしげと見てから着帽
・敬礼なさって通過。
 数分後、侍従官が来て「最前の侍衛はアナタですか」。怒られるのかと思ったら、
「陛下より『鯉の餌呉れは公務ではないので、自今捧げ筒には及ばぬ』との仰せがありました」。

「次の御通過時、陛下はこちらを見てクスリというか、ニコリというか、笑みを含まれていた。
 非常に御丁寧で御謹直な御方であった」と祖父談。

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395 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/01/21(土) 23:10:32 ID:Uh43PtlM
落語家の桂才賀が海上自衛官だった頃、上官は後のペルシャ湾掃海部隊指揮官の
落合将補(当時1尉)だった。
当時から落語家志望だった才賀は夜中の当直で誰もいないのをいいことにソナー室で
落語を聴いていた。そのままトイレに行き、帰ってきたらデスクには
「このテープを持ち込んだ者、士官室へ」のメモが。
戦々恐々で士官室に出頭した師匠をにらみつけて落合1尉は
「このテープを持ち込んだのは貴様か!?」
「は、はい!」
「一歩前へ!」
殴られる!と思い、体を硬くした刹那、落合1尉はそっと耳元で
「すまんが、このテープ、俺にも1本ダビングしてくれ」
以後、才賀が熱烈な落合ファンになったことは言うまでもない。

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394 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/01/21(土) 14:37:28 ID:???
みんな知ってるかもしれんが
時は第二次世界大戦のアフリカ
イタリア軍の捕虜になってしまったイギリス軍の将校が
「あー  俺ももう終わりかのぅ 腹減った」と思いながら牢屋でごろごろしていると
丁度夕食の時間になった
出てきた料理はワインまでついてるイギリス軍では考えられない豪華なものだったそうで
「俺ももう終わりやぁ  明日処刑するから最後の晩餐なんやぁ」と思わず思ったそうな
翌日起きてしばらくするとイタリア軍将校がやってきた
(きっと処刑の事告げるんだろうなぁ)と思いながら対応すると
「昨晩は将校である貴君に此方の兵のミスで間違って兵士用の食事を出してしまった。彼も大いに反省しているので私の顔に免じて許してやって頂けないものか」
とのたまわったそうな
流石イタリア軍!  どんなときでも飯も旨いぜ!
イギリス兵だったから余計に効果あったんだろうなぁw

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387 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/01/15(日) 19:25:10 ID:???
>>379
1942年特殊潜航艇「甲標的」によるシドニー湾攻撃が行われた。
作戦は失敗し2隻が自沈。
しかし、豪海軍は4人の遺体と潜航艇を引き上げ彼らを海軍葬に。
そのときのシドニー軍管区司令官G・ムアヘッドグールド少将の言葉。

「日本の勇士の葬儀を海軍葬でおこなうことにつき、ある程度の批判があるが、かかる潜行艇で攻撃するのは最大の勇気である。
本職自身は、平時でも同艇でシドニー湾を横断するのは好まない。勇気はいずれの国の独占物でもない。
だが、われわれの中の幾人がこれら日本の勇士たちが払った犠牲の千分の一を払う覚悟、最高の愛国心を持っているであろうか。」

その後、遺骨は日章旗で覆われ戦時交換船で日本に。
甲標的はキャンベラの戦争記念館に「この勇気を見よ」との注釈つきで保存されている。
戦後、乗組員の母親が訪豪し感謝を述べた際には海軍から大変な歓迎をうけたそうな。

美味しんぼじゃ出鱈目書いてたが。

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378 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/01/13(金) 09:47:51 ID:???
戦争初期に捕虜になったアメリカ兵が、NHKの海外謀略放送への出演を拒否したため、
設備の整った東京の収容所から、山奥の工事現場の収容所へ飛ばされた。

だが、山村の収容所は人情豊かで住民との交流もあり、
遠方からの客人扱いをされて食料に困る事もなく、
東京の収容所で困窮した捕虜仲間より、はるかに良い思い出になったとか。

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369 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/12/22(木) 17:06:58 ID:???
(367のつづき)
私が隈之庄教育隊にいた時、先輩の十期長島伍長に十日程飛行訓練を受けたこ
とがあった。いつものように緑川上空に高度を取り垂直旋回を始めた。機体を
水平線に垂直に倒す、操縦桿をぐっと引く、方向舵で調整しながら水平線を切
って行く、左垂直旋回を始める、一回でうまく行った。長島伍長の「よーし」
の声、操縦はいささか得意であった。

続いて右垂直旋回を行った。機体を右に倒す、左と同じである。左の時は水平
線を直線に切れたのに今度は水平線が上になり、足で調節すると下になり鋸切
り型なってしまう。助教が「俺がもう一度やる。良くおぼえろ」見事に水平線
が切れる。「判ったか」「はい」伝声管を通して大きな返事をしたが、何回や
っても機首がかすかではあるが地平線を上下する。助教の「もう一度やって見
ろ」「まだだめか。もう一度やって見ろ」声が涙声である。私も思わず涙が出
て来た。


370 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/12/22(木) 17:10:04 ID:???
それからしばらく二人とも泣きながら操縦桿を握り必死になって練習をした。
気持ちが一つになった様な気がした。やっと何とか出来る様になり飛行場にも
どった。予定より十分以上飛行時間が遅くなって居た。

昭和十九年六月頃、長島伍長は前線へ飛び立っていった。其の後、戦死との報
を耳にし、がっかりしてしまった。戦後ぜひお墓参りをしたいと思い、色々と
人に尋ねたが判らず、やっと昨年、長島伍長の同期である松川氏に会い住所を
聞くことができ、埼玉県比企郡嵐山町大字○○のお宅へ訪ねることができた。
ご両親もすでに亡く、お兄さんがお墓を守り、心よく近くのお墓に案内してく
ださって、いろいろお話しを聞くことができた。

長島伍長は言葉に時々静岡なまりがあったので静岡の出身と思っていたが「隈
之庄に行く前に天竜の飛行場に居たので、時々なまりが出たのでしょう」との
事であった。
墓標に故陸軍曹長、長島四郎の墓「浄空院天忠孝道居士」昭和十九年十月十八
日アンヘレス上空に散る。
三十一年振りに念願が叶い感無量であった。
(菅谷編集委員)

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366 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/12/22(木) 16:24:03 ID:Mit6EJHQ
ある班長殿の話

彼は台湾出身で終戦の混乱期、帰郷するところもなく長い間の苦労の後、大阪
で立派に成功している。彼のことばをしばらく聞いていただきたい。

「日本の映画、テレビは軍隊の悪い所を大げさに取扱い、良い所は少しも取り
上げない。確かに悪い下士官、将校も居たが良い人も多勢いたのだから、たま
には良い方も取り上げてもらい度いものだ。」

少飛の試験に合格し、台湾を出発するとき、母が胃散の薬の罐に砂糖を入れてく
れて「日本では冬、雪が降るから雪と一緒に喰べると美味しいよ。」といって
荷物の中に忍ばせてくれた。入隊以来、私物の中に大事にしまって置いたとこ
ろ、私物検査で班長に見つかり、「貴様!砂糖をかくし持って居るとは何事だ」
と叱られ「実は母親が雪にまぜて・・・・・」と前記のお袋のいったことを班長に
話しをすると、班長は胃散の罐を没収して、下士官室に引上げてしまった。何か
月か過ぎた或る日「下士官室へ出頭せよ」との命令があった。


367 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/12/22(木) 16:27:14 ID:???
当時、呼出しがある時は怒られる時が多く、何で叱られるのかとビクビクして
下士官室に入ったところ、班長が「窓から外を見ろ」といった。そういわれな
くても、今日は日本に来て初めて見る雪景色を班内より充分堪能して居たとこ
ろだった。窓より班長の前にもどると、「腹をこわすな」といって小さな罐を
机の上にポンと置いた。良く見ると見覚えのある胃散の罐だ。演習、学課等忙
しくもうすっかり忘れていたあの胃散の罐である。班長は私の言葉をおぼえて
居てくれて、雪の降る今日迄大事に保管して置いてくれたのである。

外に出て砂糖と雪を一緒に口にほおばった。たしかにうまい。二口目を口にし
たとき、お袋の事、班長の気持が頭の中に交錯し胸一杯になり涙がとめどもな
く流れてきた。
三十年前のことであるが彼は昨日のことのように目頭に涙をためて話してくれた。

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