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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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11 名前:名無しさん@おーぷん[  ] 投稿日:2015/02/10(火)16:17:17 ID:rYS [2/2]
陸自の歌姫






12 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/02/10(火)19:58:22 ID:NbP [1/4]
>>11
海自に対して陸自が出したのだから、空自も出さねばなるまい。

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123 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/12/07(日) 23:22:52.96 ID:EYmKX4+n.net
「運隊」といえば、80年代後半に予備校の講師をしておられた方が戦時中、
いつものように学校に行こうとしたら母親から「回っても立ってはいけないよ・・・」と
小声で目を伏せて言われて、なんのことだと不思議に思って家を出たそうな。

学校につくと、なにやら適性検査を受けろと言われて、その場でぐるぐる回ったあと
片足で立つということをやらされた。負けん気の強いその方は、ドヤッとばかりにピタッと
止まって見せたら「よし!」と言われて、後日徴兵の知らせが来たとか。
母親は「だから言ったのに、おまえは・・・」と泣き崩れたそうで、「数日後に終戦にならなかったら、
ひょっとしていわゆる特攻隊になっていたのかもしれない。」とおっしゃってた。

なお、その方は授業時間に余裕があるとやたら芙蓉部隊のことを褒めちぎっていた。

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116 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/12/06(土) 16:10:52.47 ID:qwygZyJ6.net
祖父は婿養子で実家はこの地方では結構な部類の名家だったそうな。
で、実家の長男は地元連隊のある部門の超お偉いさん。

日華事変の頃に、「これから先の戦は危ないから、今のうちに志願してしまえ!」
というお達しが出て地元連隊に志願。
当然、長男の庇護を受け一回目のは無事除隊。

で、またまた実家から「婿入り先は貧乏だから、恩給がつくまでお勤めしなさい!」
ときつ~いお達しが出て、その後2回応酬し、最後はなぜか軍曹にまでなって
無事、現役除隊。恩給ももらえるようになったらしい。

その後、戦争は泥沼化していくのだが、一度も前線に出る事もなく、のんきに大陸
の連隊本部勤務していた祖父にとっての戦争とは物見遊山の旅だったらしいw

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85 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 20:30:19.48 ID:NkENKp97.net [1/2]
ナポレオン時代のフランスでは、20歳から25歳の壮丁に兵役義務があった。
兵役年限は平時に5年、戦時には無期限。
初期にはくじ引きで当たった者だけが召集されたが、ロシア遠征のころにはほとんど全員が召集された。

当時、兵役に行けば生きて帰れるのは3人に1人と言われており、
当然ながら兵役逃れのあの手この手が横行することになる。

手っ取り早いのは、既婚者は兵役を免除されたため、徴兵年齢以前に結婚してしまうことだった。
次の手は身体を傷つけることで、
当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
それも通用しないとなれば、撃鉄を起こす親指を切り落としたり、足を折ったり、片目を潰す者まで現れた。


87 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 20:40:56.74 ID:NkENKp97.net [2/2]
それでも応召が決まってしまえば、逃亡する者も後を絶たなかったが、
奥の手として、当時のフランス軍は替え玉の入営を認めていたのである。
しかし、替え玉を頼むには巨額の費用が必要で、
とてもではないが一度に払える家族はおらず、年賦で支払われるのが普通ではあった上、
もしも替え玉が戦死すれば、年賦の支払いが残るほか、
戦死後15日以内に別の替え玉を立てなければならず、家族の負担は増えるばかり。

だが、1813年、替え玉は同一郡内の同一出身階級の者に限る、と、法律が改正されたため、
替え玉制度も有名無実のものとなる。
金持ち同士では替え玉のなり手がおらず、貧乏人同士ではお互いに金がなかったからだった。

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71 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 11:11:08.02 ID:sjVu28Dx.net
黒澤明は戦時中に徴兵されなかった。
本人曰く「徴兵検査で撥ねられたのだ」そうだ。
だが、あの偉丈夫の黒沢が検査で撥ねられたとは到底思えない。

父が陸軍の高官で、徴兵司令官が父の教え子だったため兵役を免れたらしい。


73 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 17:54:46.33 ID:w5qLYdla.net [1/2]
>>71
黒沢明は1910年生まれだから、世代的には1930年(大正軍縮期)前後の「甲種合格籤逃れ」があった頃だよ
満州事変(1931年)以降は満州駐箚師団とかができて入営者がどんどん増えていくのだけれども、ギリギリその対象にならなかった世代
なもんで、太平洋戦争開戦あとも、訓練召集の内容とか特技(兵としての必要な自動車免許とか)の関係で国民兵役の応召対象から外れてもおかしくは無いって


75 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 19:23:34.03 ID:B31mtLGB.net
逆に言えば兵役の期間的にはそんな長くなかったってことだな
中国戦線だと現地除隊とか他の国の兵隊が聞いたら眼を剥きそうなことやってるし


76 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 19:43:00.48 ID:w5qLYdla.net [2/2]
>>74
そう、同じ年でも、現役入営とか甲種合格(籤逃れ)で全然違うし、入営期間があるが為に再招集の対象になりやすい(とくに新兵への教育係り的な分隊長要員としてなら特に)
あとは、国民兵役での召集の場合は、産業統制とかの絡みで「一般工員とか販売員とか考慮すべきでない業種」から、連隊区や各町村の兵事係りのあたりで鉛筆舐める部分が多かったとか書き残されていますね


77 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 01:41:24.01 ID:pPLs/IyT.net
最近どこかで読んだ話で
戦前に兵器の研究者が徴兵検査受けたら合格になるはずの結果だったのに
検査官「お前痔だろう」
研究者「違いますよ」
検査官「いいや痔だ。よって不合格」
と言われて不合格なったことがあったって話あったな。
徴兵されたら困る海軍が手をまわしていたそうだ


78 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 01:46:36.59 ID:VMEV1Ia6.net [1/2]
そう言うのは初めから弾いとけば良いのに。


79 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 06:59:37.37 ID:KScm0c7B.net
国民義務だし世間体的にも全く受けないわけにも行かんのよ


81 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 09:47:28.42 ID:2DX33YN3.net
>>78
初めから弾いとけば良かった・・・パターンは上原敏だな。本名で召集したら歌手が応召してきたという。
上官からも「知ってたら召集してなかった」とか言われたとか。で、部隊が出動する時に内地に留まる事を強く勧められたが本人は拒否。
そして戦死しちゃった・・・。


82 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/25(火) 11:09:23.05 ID:OiHBYRMu.net
>>77
その辺、船員や前線で任務に従事する軍属の現地徴兵検査でもけっこうあったようで、
揚子江方面の機帆船船員とかも、
検査官「おう機関長よ、今の船に乗るのと二等兵どっちがええよ?」
機関長「はぁ、船も若い者が多いのでワシが下りると心配ですし」
検査官「軍医ぃ、この人アレだよアレ、何か病気だ。ワシには治療するべき病気があるように見えるぞ」
軍医官「じゃぁ、肺湿潤か皮膚病(感染性)って事にしときますかね」
とか、(現場での必要性にかられて)多少の操作はあったようだけどね(船員が安全な職場とはいっていない

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824 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 22:31:44.15 ID:2VVgm3nX [1/2]
ベレンコ中尉亡命事件の折、ソ連国内では厳重な報道管制が敷かれ、
わずかにプラウダが「亡命」とは言わず、
「日本の北海道に航空機が不時着、パイロット1名が消息不明」と報じただけだった。

だが「どうやら戦闘機が亡命したらしい」という噂は、あっという間にソ連国内に広まり、
当時の日本某民放モスクワ支局長が、非公式にこの噂についてモスクワ市民に取材して回ったところ、
「1名しか乗っていない飛行機って、戦闘機しかないだろう?しかも帰ってこないって、亡命しかないじゃないか?」

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787 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/09/15(月) 22:20:04.28 ID:81qLK1ii
ほのぼのかどうかは分からんが、ひとつジョークを

規律にうるさく衛生を重視する猛将パットンが、ある隊を視察すると全員が胸のポケットにフォークを入れている
「何のためのフォークかね」
「将軍のご命令どおり、きたねえ手でパンをつかむことなく、このフォークで刺すためでさあ」
「結構、それが衛生だ」
将軍が外に出ると、兵士のズボンの真ん中から紐がぶら下がっている
「その紐は何のためのものだ」
「将軍のご命令に従い、ナニを手で引っ張らずに済むようにでさあ」
「大いに結構。しかし、しまう時にはどうするのかね」
「へえ、その時はこのフォークを使いやす」

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578 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/07/06(日) 19:08:13.37 ID:ssGGnYg7
ほのぼのかどうかは知らんが
山田風太郎の「同刻同日」より

太平洋戦争開戦の日、日本軍がシンゴラに上陸するときの話。
山下将軍が舟艇から飛び降りるとき、波に足をさらわれないようにためらっていたため、
それを見た舟艇の操縦士が
「こらっ!山下!さっさと飛び込め!」
と叱ったので、つい山下将軍も「おう」と反射的に答えて飛び込み、全身ずぶぬれになって上陸。

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371 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/03/30(日) 19:02:06.57 ID:ITdrmhI+ [2/3]
「戦争は女の顔をしていない」より

ソ連の新入りの女性兵が風呂場で爆撃を受けたので赤いタオルで頭包んだまま飛び出したところ
少年と言っていい上級中尉が「赤いタオルは目立つから捨てろ!」と怒鳴ってくるので
その女性兵はその中尉から逃げながら
「目立たないわ、頭濡らしたら外に出たらおかあさんに怒られちゃうわ」と口答え

後でまたその上級中尉が見つけて
「どうしていうこと聞かないんだ、私は君の指揮官なんだぞ」といっても
こんな少年が上官なんて冗談だと思って「あなたが私の指揮官なんてごめんだわ」と口答え

親切な上級中尉カワイソス

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94 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/13(木) 13:13:33.22 ID:8JjI/LxP
ブリテッシュ・ジョークにムキになって
ハリケーンに特攻したヤンキーwwwwwwwww

  世界初の、台風の目観測飛行(1943年のサプライズ・ハリケーン)

ハリケーンに対する世界初の観測目的の飛行は、
第二次世界大戦最中にテキサス州ヒューストンを襲った
「サプライズ・ハリケーン」の際に敢行された。
これは、操縦士の間の賭けがきっかけとなったといわれている。

1943年夏当時、テキサス州ヒューストンにあるブライアン飛行場では、
イギリス人飛行訓練生が計器飛行の訓練を受けていた。
そこにサプライズ・ハリケーンが接近した際、
同僚のアメリカ人飛行士たちはT-6練習機を退避させようとした。
その様子を見たイギリス人訓練生たちが、T-6練習機の構造的な
欠陥をあげつらったところ、主任教官であるジョー・ダックワース大佐は、
T-6を自ら操縦してハリケーンの目に突入し、安全に帰還してみせた。

この最初の飛行の際にナビゲーター席には
ラルフ・オヘア中尉が搭乗していたが、
直後に敢行された2度目のハリケーンの目に向けた飛行の際には
基地の気象担当官であるウィリアム・ジョーンズ・バーディック中尉が同乗した。

この飛行によって、ハリケーンの内部を飛行機から観測できることが証明され、
以後、不定期に観測飛行が行われるようになった。
その後、1946年に初めて「ハリケーン・ハンター」の名が使用され、
この名称が今日まで受け継がれている。

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