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93 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/06/09(木) 17:28:19 ID:hdhtG6ER
もうひとつ
じいちゃんは斥候にでててはぐれて、とりあえず川岸にでて飯盒に
水汲んでたら
敵兵と遭遇!
ピンチだっ!!
どうやらむこうも一人らしい・・・
しばらくきまずい空気の中でお互い固まってたらしい。
と、二人同時に猛ダッシュで逃げたんだと。
あとは、砂糖の工場だか集積場での戦闘のときに
どうやら土嚢より砂糖の袋のほうが弾を通さないらしいというのに
誰かが気づいて、砂糖で陣地構築したじいちゃんの部隊。
ここまではいいアイデアだ。
しかし、ここはビルマ、雨が降るということを忘れてた
と気づいたときには遅かった。
鉄帽からしたたる雨は飴の味がしたって。
202 名前:日出づる処の名無し 投稿日:05/03/06 21:49:33 Y2Mw/FID
父方の祖父はシベリア抑留に行ってた。
凍傷寸前みたいなこともよくあったそうだ。
ずいぶん前に聞いた話なのであいまいだが、火だかお湯だかであたためようとした時、
ロシア人が「それだとなまにえ(?)になってかえって悪くなる。
こうやってしばらく暖めてからにしたほうがいいぞ。」みたいな事を言って、
毛布で祖父の手をしばらくこすってくれたらしい。
乾布摩擦のような感じなんだろうな。
ほんとに大変だったらしいけど、
幸いにも祖父のいた所は他に比べればましだったらしいです。
父方の祖母は長崎にいたそうだが、
原爆投下一週間前に地元に帰ってきていたので
難を逃れたと言ってた。
じいちゃんばあちゃん、二人とも生き残ってくれてほんとにありがとう。
54 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/04/08(金) 21:46:50 ID:???
日露戦争の頃の話。
どこかで長期対陣となり、日露両軍のちょうど真ん中辺りに、占領して保持す
るまでもない所だがそのまま放置するのもどうか、という微妙な丘があった。
はじめに日本軍が占領した。夜になってその部隊が麓に降りると、どこからと
もなくロシア軍が丘の頂上に陣取る。夜があけると日本軍の部隊がまたやって
くる。すると頂上にいたロシア軍は戦闘もしないで明け渡す。別に示し合わせ
たわけではないが、いつのまにかそんな習慣?ができてしまった。
とある日の明け方、日本軍は少し早めに頂上に来てしまった。するとロシア軍
がまだそこに居る。当たり前だが銃撃戦となり、ロシア軍は慌てて下山した。
翌日の明け方、今度は時刻通りに日本軍が頂上に着くと、そこにはロシア軍の
置き手紙があったという。
「昨日の部隊の指揮官は誰だ。まったくせっかちな奴がいるものだな」
33 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/04/08(金) 13:27:07 ID:EbJFT6hm
南京で辻ぃーんが 蒋介石の御母堂の墓を整備して日本と中国の要人や
市民を招いて盛大な追善供養をして、そのニュースを聞いた 蒋介石が
泪を浮かべた、て本当?
40 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/04/08(金) 16:21:41 ID:???
>33
辻ーんかどうかは忘れたけどその話は本当
関連ネタとして玄奘三蔵法師の墓のエピソードもあるな。
荒れ放題だった三蔵法師の墓を探し出して整備しなおし分骨して日本で祀ったのだが、
敗戦後返還運動がおきたのを蒋介石がかえさんでもええよと言ったという話