忍者ブログ
軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

97 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/06/12(日) 01:03:09 ID:???
独ソ戦の後半。ウクライナの戦いで吹雪の中あまりにも寒いので独ソ両軍兵士たちが
一緒にねぐらを探し小屋の藁の中で少し離れて一緒に寝た。翌朝、いずれともなく
目を覚まして、そっと小屋から出て行き、両方の陣地から何事もなかったように
また撃ち合ったという話がある。

拍手[0回]

PR
94 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/06/09(木) 22:06:56 ID:MrcVwXlt
ウチの母方の一家は戦前、台湾に渡って祖父は長く台南市立病院の医師を
していたが、終戦後、病院を台湾人に引き渡して日本に帰ることになった。
日本への引き上げ者は持ち帰れる荷物と現金の額が厳重に制限されていたので
台湾人の医師と職員は「最後のお別れに満干全席を振る舞いたい」と申し出た。
母はまだ幼かったが三日間つぎから次へと食事がでてきて、お腹いっぱいで
祖母の膝の上で寝ていたが目を覚ますたびに違う料理が卓に並んでいた、と
回想していた。

拍手[1回]

93 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/06/09(木) 17:28:19 ID:hdhtG6ER
もうひとつ

じいちゃんは斥候にでててはぐれて、とりあえず川岸にでて飯盒に
水汲んでたら
敵兵と遭遇!
ピンチだっ!!
どうやらむこうも一人らしい・・・
しばらくきまずい空気の中でお互い固まってたらしい。
と、二人同時に猛ダッシュで逃げたんだと。


あとは、砂糖の工場だか集積場での戦闘のときに
どうやら土嚢より砂糖の袋のほうが弾を通さないらしいというのに
誰かが気づいて、砂糖で陣地構築したじいちゃんの部隊。
ここまではいいアイデアだ。
しかし、ここはビルマ、雨が降るということを忘れてた
と気づいたときには遅かった。
鉄帽からしたたる雨は飴の味がしたって。

拍手[0回]

91 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/06/09(木) 17:13:49 ID:hdhtG6ER
ビルマに行ってたじいちゃんの話しなんだが。

食料が少なくなってきたので、米を籾殻ごとたべたそうなんだけど
みんなうんこつまっちゃったんだって・・・
で、お尻を出し合って木の枝とかでほじったんだと。分隊で輪になって・・・・

うほっ

拍手[0回]

87 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/26(木) 22:37:45 ID:???
警察予備隊が創設されたばかりの時の話、集められた隊員の訓練をアメリカ軍の将校が担当する事になった。
日本語が話せる将校はほとんどいないので通訳が付いたのだが、ある将校が

「アイズ、ライト!」
と号令をかけたところ日本人通訳が

「まなこ、右!」
と翻訳してしまい、それを聞いた隊員達が眼だけをぎょろりと右へ向けた、、、なんて事があったそうだ。

拍手[0回]

84 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/25(水) 04:16:21 ID:???
戦場ではないけれど数年前のビッグレスキュー東京。
某公園で近所の小学生のグループにとても優しく相手をしてあげていた隊員さん。
すごくほのぼのしていて(´∇`)な微笑ましい光景だったけど・・・

警戒配置に着いている最中だったのがなんとなく複雑・・・
あれほど微笑ましく、でも素直に良いと言い切れるかどうか判らない光景
は未だに他でみた事が無い・・・

拍手[0回]

62 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/04/09(土) 22:53:51 ID:???
大戦中、ウチの祖父はマレーにいて敗戦時イギリスの捕虜収容所に入ったんだそうです。
で、いよいよ日本に引き揚げる時になって、イギリス軍が「(支給した)レーションは日本に
持ち帰ってはならない。この場で食べるのはよろしい」って通達出してきた。

祖父達は英軍の期限切れれーションを支給されていたそうで、これがまたおいしかったらしくて。
で、その場で食べるふりして懐や鞄にこっそりレーションを詰め込み、いざ船へ向けて出発って
段階になって身体検査があった。

ウチのじいさん、列から引っ張り出されてイギリス兵に鞄の中改められたらしいんだが、そのイギリス兵
レーションを見ても見ぬふりして見逃してくれたんだそうです。大事に日本へ持って帰ってきたレーションは、
ウチの父親や親戚一同にたいそう喜ばれたそうです。

拍手[1回]

202 名前:日出づる処の名無し 投稿日:05/03/06 21:49:33 Y2Mw/FID
父方の祖父はシベリア抑留に行ってた。
凍傷寸前みたいなこともよくあったそうだ。
ずいぶん前に聞いた話なのであいまいだが、火だかお湯だかであたためようとした時、
ロシア人が「それだとなまにえ(?)になってかえって悪くなる。
こうやってしばらく暖めてからにしたほうがいいぞ。」みたいな事を言って、
毛布で祖父の手をしばらくこすってくれたらしい。
乾布摩擦のような感じなんだろうな。
ほんとに大変だったらしいけど、
幸いにも祖父のいた所は他に比べればましだったらしいです。

父方の祖母は長崎にいたそうだが、
原爆投下一週間前に地元に帰ってきていたので
難を逃れたと言ってた。

じいちゃんばあちゃん、二人とも生き残ってくれてほんとにありがとう。

拍手[0回]

54 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/04/08(金) 21:46:50 ID:???
日露戦争の頃の話。
どこかで長期対陣となり、日露両軍のちょうど真ん中辺りに、占領して保持す
るまでもない所だがそのまま放置するのもどうか、という微妙な丘があった。
はじめに日本軍が占領した。夜になってその部隊が麓に降りると、どこからと
もなくロシア軍が丘の頂上に陣取る。夜があけると日本軍の部隊がまたやって
くる。すると頂上にいたロシア軍は戦闘もしないで明け渡す。別に示し合わせ
たわけではないが、いつのまにかそんな習慣?ができてしまった。

とある日の明け方、日本軍は少し早めに頂上に来てしまった。するとロシア軍
がまだそこに居る。当たり前だが銃撃戦となり、ロシア軍は慌てて下山した。
翌日の明け方、今度は時刻通りに日本軍が頂上に着くと、そこにはロシア軍の
置き手紙があったという。

「昨日の部隊の指揮官は誰だ。まったくせっかちな奴がいるものだな」

拍手[1回]

33 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/04/08(金) 13:27:07 ID:EbJFT6hm
南京で辻ぃーんが 蒋介石の御母堂の墓を整備して日本と中国の要人や
市民を招いて盛大な追善供養をして、そのニュースを聞いた 蒋介石が
泪を浮かべた、て本当?


40 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/04/08(金) 16:21:41 ID:???
>33
辻ーんかどうかは忘れたけどその話は本当

関連ネタとして玄奘三蔵法師の墓のエピソードもあるな。
荒れ放題だった三蔵法師の墓を探し出して整備しなおし分骨して日本で祀ったのだが、
敗戦後返還運動がおきたのを蒋介石がかえさんでもええよと言ったという話

拍手[1回]

前のページ      次のページ
カウンター
ランキング
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
最新コメント
[09/02 名無し三等兵]
[04/21 名無し三等兵]
[04/18 名無し三等兵]
[02/10 名無し三等兵]
[02/10 名無し三等兵]
[02/28 名無し三等兵]
[09/07  ]
[08/29 名無し三等兵]
[08/23 名無しの幽霊さん]
[07/22 名無しの幽霊さん]
プロフィール
HN:
名無し@従軍記者
性別:
非公開
Twitter
バーコード
アクセス解析
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   戦時中、戦場でのほのぼのとした話@軍事板   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]