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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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929 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 19:16:25 ID:???
その時、とつぜん砲撃がはじまったんで、おれたちは慌てて手近な塹壕に飛び込んだ。
するとどうだ、そこには先客がいたんだ。
ドイツ兵が五人。こっちはたぶん四人か五人だったと思う。
最初のうちは戦おうなんて気はこれっぽっちも起きなかった。
……そのとき、向こうはライフルを持ってるし、それはこっちもおんなじだって気がついたんだけど、
そこへ砲弾が落ちてきだして、おれたちは塹壕の端にへばりついて、ドイツ兵もおんなじことをしてた。

それでどうなったかって言うと、砲撃が小やみになったとき、
おれたちは煙草を取り出してそいつらに回して、仲良くいっしょに吸ったんだ。

あのときの気分をどう言っていいかわからないが、ともかくいまはドンパチやりあうときじゃないって感じだった。
……向こうもこっちとおんなじ人間だし、おんなじようにびびってたんだ。
                   

戦争における「人殺し」の心理学より、第二次大戦に従軍したアメリカ空挺隊員。シチリアにて。

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901 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 18:03:05 ID:???
さっきあった話。

かなりの大雨の中、傘もなくただゲーム(AC3w)を買うべく電車を降りた俺は、駅前のマクドの軒先で何やら困っとるじいさんを発見。自分でも不思議だが自然に「どうされますた」と聞いた。

じいさんはあんま上手く喋れんらしく、「ふんだらひってほんだーへん」を連呼。
俺は一瞬話しかけたことを後悔したが、ちょい聞いてるとどうやら目の前の傘立てが
邪魔でマクドに入れんという事だった。

足腰も弱ってるみたいで、何故か片手でスーパーとかにあるカートを掴んでた。多分田舎のばーさんとかが歩行器代わりにしてるコロコロ(名前がわからん)みたいなもんだろう。

まあ大体事情はわかったのでとにかく傘立てをどけてると、マクド店員登場。ここで仕事は終わったかと俺はすぐ近くの階段を「それでわ」と言いながら駆け降りた。
そんで鞄を頭に載っけて雨避けとし、10分余りで中古ゲーム店に到着。結局無かった…(アマゾンで注文)

902 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 18:16:08 ID:???
そしてまた帰る。雨は弱まってたが行きの雨でもはやキャパシティーの限界に達していた
マイチェクシャツはずぶずぶだらだら。心地悪くてたまらず傘差してる奴が憎らしく思える。

だがコンビニで傘を買うなど言語道断、自らの過失を金で補うわけにはいかない。

ぽすぽす歩いて目前に駅が迫り、高架下で信号待ちしていると
「何処までいかはるねん」
とじいさんのもっさり声。大体70くらいか、目は細くて小さく、黒豆にしか見えん。

「すぐそこです」と言うと、じいさんは傘に入れやと言ってくれた。
感謝感激雨霰、出来れば中古店辺りに居て欲しかった。

信号が結構長かったのと、じいさんのとぼとぼ歩きに合わしたため、行きは5分の高架下から
駅までの行程は10分以上にまで延びた。

「さっきから見てたんやけど、わいの足じゃあんたに追い付けんからな」
じいさんはそう詫びた。詫びる必要ないのに詫びるのは良い人だ。俺はじいさんを褒め称えた。

「えわあえわあ、大した事無いがな。
旅は道ずれ世は情けや、あんたもどっかでえー事したやろ」

ああ、まあ。と俺は答えた。
「そう、せやからおいちゃんは傘貸したっとんねや、まあそゆことやな」

そこから駅に入って、ホームでじいさんと色々話した。アイランド型ホームで、
じいさんは奈良方面、俺は大阪方面待ち。


904 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 18:55:16 ID:???
雷がなって、じいさんは「わしもな、小さい頃傘かされた事あるねん」と言った。

軍板に入り浸る俺はこのスレに書き込むネタが出てくると直感し、聞き出すべく会話を進める。

「満州からの引き上げの時や」ここでじいさんは言葉を切って、「満州て知っとるか」と聞いた。
まあ俺は当然、知ってますと答えた。

「ほう、勉強家やね。まあほんでな、わいらはよう帰れんと、大陸の港でずっと待たされとってん。
まあようある話で、小さい子はえろう死んだ。

そんでもくわなあかん、よう向こうの人の畑荒らした。配給なんて雀の涙や
こんな雨の日やった。強くも弱くもない、普通の雨。わいにどいも盗んではしっとった。

向こうから八路軍(国民党と間違いか)の自動車がきて、怖かったからわざと歩いた。
ほんならな、自動車止まってんがな。あー」

じいさんが顔をゆがめた

「怖かったわー、ほんま怖かった」

905 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 18:57:48 ID:???
「でもな、降りてきょった軍人さんはな、おいちゃんに傘貸してくれてん、
なんちゃいら(なんちゃライラー?)とか言うてな、いってもた」

じいさんの話はそれで終わりますた

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869 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/01(水) 13:46:20 ID:???
カレン民族解放軍とミャンマー軍の内戦での話
睨み合いの続く最前線、戦闘の合間に舌戦も行われていた。
「カレンの山猿!」
「そんなとこで毎日マスかいて、ママが泣いてるぞ~!」
カレン軍塹壕内でその舌戦を聞いていた日本人とフランス人の傭兵達は、幼稚な罵り合いの文句に顔をしかめた。
痺れを切らしたフランス人兵士がニヤリと笑い同じ塹壕内にいたカレン兵に紙切れを渡した。
紙切れを一瞥したカレン兵はブッと吹き出し「OKOK」
と塹壕を走り出て行った。
「何あれ?」
と聞く日本人兵士に
「何、気の利いたセリフを教えたんだ」
と紅茶を飲み始めた。

870 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/01(水) 14:01:15 ID:???
~続き~
離れた塹壕からカレン兵の叫ぶ声が聞こえてきた。
戦場に沈黙が落ちる。普段なら文句が帰ってくるところ。
「あれ?なんかさっきまでと違うな?」
と皆が考えた直後
返事の代わりに迫撃砲が撃ち込まれてきた。
フランス人兵に内容を聞いても笑うばかりで答えない。
帰ってきたカレン兵は満面の笑みを浮かべて親指を立ててみせる。
日本人兵士が紙切れを奪って読んでみると…
「お前らこんな所に居て良いのか?今頃女房、姉妹はお前らを送り込んだ上官にヤラれまくってるぞ!
無事に帰れたらアソコの臭いを嗅いでみろ!ドブより酷い臭いがするぞ!」
迫撃砲を撃ってきたのは絶対コイツのせいだと暫くの間一同爆笑、幼稚さはどっちもどっちだと思いながらも笑い転げたそうだ。

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794 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 21:13:12 ID:???
開戦初頭、フィリピンのバターン半島へ攻勢をかけていた頃。
サンフェルナンド近くの村落に駐屯した第3野戦輸送司令部勤務の
曹長は子ども好きで、村の子ども達が「ニッポンバンザイ」とか
「ギブミー」と寄ってくると、必ず手持ちの乾パンなどの嗜好品を
分け隔てなく上げていた。
いつしか、村の子ども達も「あいつは必ず物をあげる良い人」の
イメージが付いたらしく、1週間ぐらいすると10数名の村の子が
曹長の野営する建物に屯ってきた。当然、隊長の少尉からお咎めが
来て、「二度と子どもらに物を恵むな」のお達しが下ったが、曹長は
夜の作業や村落の巡回の傍らに、コッソリ子ども達に嗜好品を
渡していた。
この話を聞いた日本の報道班が曹長に取材してきたので、子ども達と
手をつないだ曹長の写真が新聞に掲載された。
さすがに隊長も「司令部近くに現地人がうろつかれては、機密漏洩に
つながりかねない。貴様の責任を持って、服務外に限り、村の外での交流を
認める」と妥協した。
曹長は隊長の言葉にも感謝し、自重しながらサンフェルナンドから
去るまで子ども達と交流をかわしていた。

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780 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 20:53:38 ID:???
中南米の某国にアメリカ軍が早速治安維持名目で出動し制圧。
あっけなく片付いたこの出兵で、アメリカ兵の損害は重傷2名に留まった。

一人は、駐屯地の自動販売機にコインを食われて(詰まって商品が出ず)怒り、蹴りを入れて
倒れた自販機の下敷きになった兵。

もう一人は、くわえ煙草で便器に座り、排便後にまたがったまま(前の利用者が殺虫剤を散布
していた)便器内に煙草を放り込んで引火・爆発したものであった。


781 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 00:18:19 ID:???
>>780
間抜けすぎる


782 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 12:11:02 ID:???
>780、ちんちん丸焼け?


783 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 12:51:16 ID:???
>>782
 大やけど。消化剤まみれで搬送され、救護兵も野戦病院のドクターも負傷箇所を知るや
「何やったんだコイツ」とみるみる冷淡にor馬鹿にされたそう。

 前者の話は、アメリカの有名コラムニスト(誰かは忘れた)が「戦死より事故死の危険性
が高い」平時の米軍を皮肉って

「昨年、合衆国海兵隊の少なくとも3名の兵士が、自動販売機相手に名誉の死を遂げた」

とか書いた元ネタになった。


784 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 16:54:37 ID:???
バンドオブブラザースも鹵獲したルガーが暴発したり
つまらんことで死んでるな


785 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 18:40:40 ID:???
そう考えると日本の自動販売機は優秀だなw

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768 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 08:34:19 ID:???
>>767訂正
×汁いつもはカレー風味→○汁はいつもカレー風味

他に日中戦争期のある部隊では、
「明日敵の籠る山岳陣地を強襲する。一つ美味いものを拵えてやってくれんか」との大隊長
命令を受けた、娑婆で料理人だった司厨兵が発奮して美味いカレーを作った…ら、
「…こんないい匂いのものを作っちゃあ、敵に『動きあり』と教える様なものだ!…飯も
十分炊いて大盛りにしてくれ!」と、叱責なのかよく分からない褒辞を貰ったそうだ。

ドイツのあちこちの屋台で人気の、カリーブラート・ヴルスト(カレー風味のソーセージ)も
戦後の物々交換時代に、カレー粉ばかりやたら大量に出回ってハンブルグ版肝っ玉母さん
がソーセージにまぶして営業したのが元祖だとか。

何かカレーの話して申し訳ない、自分でカレー食いたくなってきた。

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767 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 07:31:14 ID:???
その点補給がまだ順当だった、日中戦争期中支軍での「贅沢な逸話」に
「手違いなのかカレー粉が続々届いた」ていうのがあったな。

最初はカレーライス、カレーすいとん、カレー味の煮付け等に応用して
兵達にも好評だったが、何せ他の糧秣に較べカレー粉の量が圧倒的だった。

汁いつもはカレー風味、副食物もカレー味なのが延々と続く(前線近くで都市
もなく、当時の中国農村部ではカレーが知られていないので物々交換も拒否
された)と次第に兵もうんざり。とうとう始末に困って中隊長だか大隊長級が
「前線近くに到達しつつあり、匂いで接敵時に不利の恐れあり」を理由に
放棄を許可。大量のカレー粉は手近の川に放り込まれた。

折しも下流域で活動中の別の部隊、川上から真っ赤な水が流れてくるので
「上流では大激戦、屍山血河とはこの事だ」と戦々恐々としたそうな。

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761 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/03/02(月) 17:09:10 ID:j6JgIniW
ガダルカナルとレイテの両方を体験した将校によると、
食糧事情はガダルカナルの方がまだマシだったそうな。
細々とでも補給があったから、多少の希望もあったと。



765 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/03/02(月) 23:10:21 ID:0UabbmCE
>>761

その点、中国戦線はまだ恵まれているな。食糧不足で飢餓に陥ったという戦記は見た事ない。
とある部隊の話。大戦末期、部隊は最後の決戦に備えて陣地構築をしていた。
食糧は補給された米が大量にあったが、困った事に副食が全くなかった。
主計課は周辺の村に買出しに行ったが、皆軍票を嫌いなかなか売ってくれない。
仕方なく支給された煙草などで物々交換をした。ある日は大量の冬瓜の買い付けに成功した。

当分は冬瓜汁尽くしになるな。

主計課は全員苦笑いした。

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625 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 23:59:42 ID:???
第1001航空隊の岩崎氏の秘話
昭和19年7月のある日、硫黄島からテニアン経由で、ぺリリュー島まで
新品の一式陸攻を届ける予定であったが、朝から突然、敵襲の警報が
鳴り、空を見れば敵機らしい黒点が見えた。

岩崎氏は「早く退避しなければ・・・」と動いたが、突如「飛行機で
逃げるんだ」と思いつく。
昨日、木更津から乗ってきた新品の一式陸攻に乗り込み、退避しようと
する近くの整備員に怒鳴ってエンジン始動させ、間一髪で敵襲から
逃れることができた。
無事に木更津に帰還できたのはよかったのだが、岩崎氏の心の中では
昨日三機で飛び立ったのに、今日は一機で勝手に逃げてきた。と
敵前逃亡の思いで非常にうしろめたかった。
指揮所に報告にいったものの、バツが悪いんで一緒に乗ってきた
塔整員とすぐさま立ち去ろうとしたとき、司令の少将が「ちょっと待て」と
とめる。
すると、司令は「新機の一式陸攻を敵の砲火から救った行為はみごとである
ご苦労!」と褒めてくれたのである。
岩崎氏は「やっぱり間違ってなかったか・・」と心の中でホッと
した。

実は、岩崎氏が従軍全期間を通じて、たった一回ほめられたのが
この逃避行である。

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618 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 00:00:28 ID:???
北千島は昭和19年頃から米軍の空爆、艦砲射撃、潜水艦攻撃を
食らい始めていたが、空爆だけは100%察知できたようです。

ソ連のカムチャッカ国境警備隊の監視哨が米軍爆撃隊を発見すると
一応暗号で通信するのだが、まだ日本とは戦端開いてないのんびりな
状態なので、占守島通信隊はソ連の通信は容易に解読できたそうだ。

占守島海軍通信隊の兵は、ソ連の通信を傍受して警戒警報を発令したので、
ソ連軍が日本軍に協力しているようなものだった。と語っております。

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