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819 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 13:31:00 ID:???
>>800
巡洋艦春日と日進だね。
こないだのドラマでモックンが「スゴイのー」と言ってた巡洋艦筑紫はペルーのだし
(劇中で英国から買ったというくだりは英国に発注したペルーがキャンセルしたのを買ったという意味)、
チリからも巡洋艦和泉(信濃丸の一報を中継、バルチック艦隊との接触に成功した艦)を譲ってもらったし、
南米って意外と日本海軍と関わり深いよね。
820 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 14:05:19 ID:???
>>819
いい話としては、日本海海戦で日進が艦橋に損害受けて艦長、砲術仕官が戦闘不能になった際、
同乗のアルゼンチンの観戦武官(日進の回航責任者)が国際法に反すると知った上で、
「日本を知り、この戦争の意味を知っていたからこそ、信念を持って協力に踏み切った」
と代わりに指揮を執ったという。
毎年5月に行われる日本海海戦記念式典ではアルゼンチン海軍武官が招かれていて、
また愛知県の日進市は明治期の合併の際巡洋艦日進にあやかって名づけたと言われている。
821 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 14:17:52 ID:???
>>819
ついでに、筑紫はペルーでなくチリだよ。
822 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 17:44:38 ID:???
>>820
それはちよっと間違があって負傷したのは砲術士官だけで艦長は怪我はせず最後まで艦の指揮をとってた。
実際には、観戦武官のガルシア大佐は砲撃の手伝いをしたのでした。
ブルドックソース
http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/1999/0419.html
823 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 18:34:47 ID:???
>>822
そうだったのか、ありがとう。たしかに仮に艦長が指揮不能でも副長飛ばして艦全体の指揮までやるのは変だね。
785 名前:タリバンに拉致されたインド人、カレーを振舞って解放[sage] 投稿日:2009/11/13(金) 12:55:37 ID:???
1 名前:ぽキール星人φ ★[] 投稿日:2009/11/12(木) 11:10:32 0
世界の中で最も政情不安な国のひとつでもあるアフガニスタン。2001年に米国中心の連合国軍
による攻撃でタリバン政権が崩壊し、現在はハーミド・カルザイ大統領のもとで新たな国作りが
行われている最中だ。
しかし、安定への道は険しく、タリバンの残存兵によるテロや拉致事件のニュースが伝えられることも数多い。
今年10月に自転車でアフガニスタンに入国していたあるインド人男性は、北西部の主要都市ヘラート
近郊でタリバンに拉致・監禁された。言葉が通じず、暴行もされたという中、ある日男性が兵士たちに
カレーをふるまうと彼らは大喜びし、これがきっかけで拉致から24日後に解放されたという。
28歳のインド人男性ソメン・デブナスさんは、5年前から「世界のエイズの状況を知りたい」(英紙デイリー・テレグラフより)と、
自転車で旅を始めた。2020年までに191か国をまわりたいと望むデブナスさんは、これまですでに欧州など
33か国を巡っている。そんな彼が事件に巻き込まれたのは10月のこと。今年はじめ、パキスタンから
アフガニスタンに入ったデブナスさんは自転車で同国内を移動。そしてヘラートに差しかかかった先月、
現地の事情を何も知らなかったデブナスさんは、タリバン兵によって拉致されてしまった。
「突然、ひげを生やしたたくましい10人の男に囲まれて質問されたようだが、言葉が分からずに答えられなかった」
(デイリー・テレグラフ紙より)と、デブナスさんは拉致当時の様子を振り返る。荒涼とした場所に連れて行かれ、
わずか3メートル四方の地下牢で目隠しされたまま、椅子に縛られたそうだ。食事はわずかな米と牛肉が
3日に1回与えられる程度。現地のパシュトゥン語で命令されるものの、言葉の問題で従うことができず、
暴行を加えられたという。
続き>>786
786 名前:タリバンに拉致されたインド人、カレーを振舞って解放[sage] 投稿日:2009/11/13(金) 12:56:21 ID:???
毎日死の恐怖を感じていたデブナスさんだったが、ある日一筋の光が射し込む。英語を少し理解できる
タリバン兵の存在に気付き、この兵士の話から自分が置かれている状況についても知ることができた。
デブナスさんは、この兵士とできるだけ話をするよう心がけ、「世界を旅行している最中で、彼らの目的を
邪魔するつもりはない」(英誌ガーディアン・ウィークリーより)と、必死に説明したそうだ。
そんなある日、デブナスさんはタリバン兵から料理を作るよう頼まれる。誤解を解くチャンスだと思った
デブナスさんは、インドならではのカレーを作ることに。羊の肉を牛肉で代用した以外、普段と全く同じものに
仕上げたというカレーを出すと、その味に兵士たちは大喜び。英語を話せる兵士を介して「とても幸せな
気分になれた。あなたは安全な人に思える」とタリバン兵たちも心を開き、拉致から24日後にデブナスさんを解放した。
デブナスさんは受けた暴行で体中にあざが残ったが、使っていた自転車はしっかり保管され、
解放後は再び世界をまわり始めている。「私の奔放な行動が、死を近づけてしまった」と、今回の経験は
大きな教訓になったようだが、その後クロアチアに渡ると「インド大使館の人は、私のタリバンの話を
楽しんでくれる」とも話し、しっかり旅のネタにしている様子。それでも精神的に辛かったのは確かなようで、
「今はとにかく家族に会いたいかな」と、インドへの一時帰国も考えているようだ
ソース:ナリナリドットコム
http://www.narinari.com/Nd/20091112599.html
http://www.narinari.com/site_img/photo/2009-11-12-095826.jpg
736 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/10/13(火) 23:39:49 ID:???
戦時中、NHKでドイツ語放送をやっていたフリードリヒ・グライデル氏の体験談
…この頃,私の友人で,新宿に近い淀橋に住んでいたササキ・マサコという日
本人の女医さんの家が焼けてしまいました。5月24日の夜から25日にかけての
大空襲のあと-それはアメリカ軍のB29爆撃機による東京への最後の空襲で
した一,私は,その友人の家が爆撃を受けたかもしれないと思い,彼女を探し
に行きました。彼女を私は防空壕のなかで見つけ,赤坂の私の家に連れて行き
ました。それ以来私たちは一緒に住んでいます。ご覧のとおり,現在彼女は私
の妻になっています。それは50年前のことでした。
519 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 23:08:11 ID:???
明治37年2月10日。連合艦隊は緒戦の勝利に沸き立っていた。旗艦
「三笠」では東郷平八郎司令長官を前に、旅順港の戦果について駆逐隊
司令が「相当の打撃を与えた」と戦果を報告した。
すると、仁川の報告に来ていた巡洋艦「浅間」の艦長八代大佐が「何隻
沈めたか、それが大切だ」と口をはさんだ。
第二駆逐隊の石田中佐はむっとして、「泥棒が金を盗ったら直ぐ逃げる
のと同じで、電灯を点けて勘定すれば巡査に捕まるようなものだ。わざ
わざ敵に沈められることはない」と言い返した。
八代は再び「そうとばかりはいえぬ。財布を懐に家人を起こし、メシを
食ってから失敬するという手もある」とやり返した。
この肝っ玉論争を黙って聞いていた東郷も、笑いをおさえきれず噴き出
してしまった。
「異色の艦長たち」 宇都宮泰長
495 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/09/11(金) 17:18:29 ID:???
第一次落下傘降下は成功し、パレンバンの飛行場事務所の見える
小川の地点で2個中隊が合流して突撃準備をしていた。
すると、敵の将校らしき3名が白いハンカチを振りながら手招きで
歩いてくる。停戦交渉らしい。
こちらも中尉3名が進み出て、O中尉の通訳で交渉を始めた。
敵は「日本軍の兵力は少ない。戦闘すれば必ず負けるから全員降伏せよ。
それに負傷者が多いではないか。その傷ついた足を見ろ。」といって、
O中尉の足を指差す。
こちらも「日本軍は大部隊が降下した。火器もたくさん持っている。
早く武器を捨てて降伏せよ。」と言い返した。
敵はブツブツ言っていたが、指揮官に相談してくると言って帰っていった。
なかなか戻ってこない。あたりが大分暗くなってきた。
遥かすかして見るとあわてて走る敵兵が見える。十両くらいのトラックが
北方へ走っていく。
しまった!退却準備に時間を稼いでいたのだ。
急遽、突撃前進を始めて、すっかり暗くなった午後七時すぎ飛行場事務所
に突入した。やはり敵はいなくなっていた。
陸軍落下傘部隊史より
462 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 02:14:26 ID:???
スペイン内戦で、共和国側義勇兵唯一の日本人として知られるジャック白井(函館出身)。
国際旅団エイブラハム・リンカーン大隊の兵卒として彼に与えられた任務は炊事兵。
外航船やNYのレストランのコックだった経歴を買われた配属で、実際に彼は戦場でも、
「美味く、早く、大量に」食事を作る達人で、兵士達に評判だったとのこと。
しかし、「ファシストと戦う!」という熱意に燃え志願したジャッキー(愛称)にとって、
戦闘任務こそが本来の志望。何度も何度も転属願いを続け、時には「もう飯作らねえぞ」とごねたりした結果。
めでたく前線に配置換えとなったが、それで済まないのが、うまい飯を食えなくなった他の兵士達。
ジャッキーの後任の作る料理がとにかくまずく、「食える物を食えなく作る達人」だったこともあり、
義勇兵達の士気はがた落ち。「ジャッキーのシチューが食えねえなら戦わないぞ」という輩まで出る始末。
大隊付政治委員に折衝し、懇願した結果、ジャッキーはパートタイムで炊事も担当し続けることに。
「戦うコック」の異名がつくことになりました。
ちなみに、彼の最期は、1937年7月11日、ブルネテ攻防戦でのこと。
敵味方が銃火を交えてにらみ合う中、すぐ近くまで来た糧食配給車が立ち往生。
ジャッキーが見かねて「俺が取ってくる」と塹壕から出た瞬間、国民戦線側の機銃弾に倒れました。
最後の最後まで、飯と縁の切れなかった人だったようです。
>>455-456
その三矢じゃねえw
317 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 23:57:16 ID:???
最近読んだ本で、ほのぼのじゃないんだけどほっとした話
武蔵が沈みそうになった時、兵隊が腰に10個ぐらい
水筒を縛り付けてた。上官が不審に思って水筒を確認したら、
どれも空の水筒だった。
「おまいなにやってんだ」って聞いたら、兵隊は「まったく泳げないから、
これで浮き袋代わりにします」と答えた。こんなもんで浮くのかなと
思ったけどその上官はほっといた。
この兵隊は結局、水筒で浮かんで救助されて生還した。
436 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 00:09:00 ID:???
>>434
ちなみに、以下 「水筒に助けられた話」のソースです。
新潮文庫「軍艦武蔵」 手塚正己著 下巻188ページより以下引用
『彼は十個ほどの水筒を肩からたすき掛けにすると、その上をバンドで締めて
いた。小澤が腰に連なった水筒の一つをゆすってみると空だった。
「お前、その格好はなんだ?」
矢島一水が真剣な顔で答えた。
「はい、泳ぎがまったくできないので、空の水筒を浮き袋の代わりにします」
果たして効果があるのか疑問に思ったが、急かされている状況でもあったので
なにも言わなかった。
水筒の効果はあった。矢島は簡易浮き袋のお陰で駆逐艦に助けられ、無事
終戦を迎えることができたのである』
「総員上甲板集合」が出た直後、沈没寸前のエピソードです。
生還した水兵は矢島一等水兵。上官小澤上曹(小澤考太郎氏)も戦争を
生き残りました。