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18 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/06/25(水) 13:29:17 ID:D2O6tC9/
一応二つほど投下。アメリカの朝鮮戦争の本にのってたお話。
朝鮮戦争で中国軍が大群で参戦してきた時、国連軍は崩壊してドンドン撤退、
完全に壊走していたとき、著者のアメリカ人が撤退してくる韓国人の士官を見つけて、
「そっちはどうだ」と聞くと同じく酷い状況でズタボロだと説明。
「必要なものはないか?まわせるものはできるだけまわすように上にかけあう」というと、
その韓国人士官は「なら昔の上官と『仲間』を日本からつれてきてくれ!!彼らなら、共産主義者どもの攻撃でこんなに逃げ回ったりするものか!!!」
と答えたらしい。聞いた著者のアメリカ人士官も太平洋戦争での従軍経験もあったので、思わず、
「彼らが10万人でもここにいてくれれば踏みとどまっただろうな・・・。しかし、彼らはいない」と答えたらしい。
ぶっちゃけ韓国軍には日本軍で教育された士官も多いから、戦後すぐだと、個人的には中が良い部分も多々あったんだろうなぁと。
嫌韓やむこうでは反日ばかりが目立つけど、日本軍を「仲間」といってくれた韓国軍士官さんにはちょっとほのぼの。
11 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 19:15:26 ID:???
159 :本当にあった怖い名無し :2006/07/18(火) 14:00:04 ID:wHHDFJSB0
私の祖父は太平洋戦争の天王山といわれるミッドウェー海戦に参加していました。
祖父は空母飛龍の機関員だったそうですが、沈没間際に退艦のさい艦橋を見ると
山口司令と加来艦長が抱き合ってキスしてたそうです。
ほんうだとしたら怖い話です
912 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:15:05 ID:???
キスのように見えて抱き合って頭が重なって見えただけか、
何かを感極まりながら話してたんじゃないか?
524 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/03/06(木) 22:48:49 ID:???
405 おさかなくわえた名無しさん :2007/11/08(木)
22:07:08 ID:zc1bq9iS
俺のじーちゃんは陸軍士官学校卒の偵察パイロットだった。
86歳の今でも当時乗ってた偵察機の写真や絵を眺めては想いを
馳せる、ばりばりの飛行機野郎。
そんなじーちゃんと、数日前飛行機の模型とかがいっぱい飾って
ある博物館に行った時の話。
博物館の奥には、日本をはじめとした世界各国の戦闘機や
偵察機の模型や資料が展示されてた。
じーちゃんは何か色々思うことがあるんだろう、30分ぐらい
自分が乗ってた偵察機の模型の前にいた。
俺はそんなじーちゃんをちょっと離れたとこから見てたんだけど、
そこへ老紳士って単語がぴったりな白人じーちゃんが現れて、
うちのじーちゃんに何やら声かけてた。
じーちゃんは英語出来ないからあたふたして、慌てて俺が駆けつけた。
以下俺が通訳してのじーちゃんと老紳士の会話
(数日前だから多少脚色あるかもしれないが、そこは勘弁w
じーちゃんξ゚⊿゚)ξ 老紳士(´・ω・`)
(´・ω・`)「貴方はこれに乗ってたんですか?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうだ。それがどうした?」
(`・ω・´)「おお、私は幸運です! まさかジョーに会えるなんて!」
ξ゚⊿゚)ξ「??」
525 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/03/06(木) 22:49:49 ID:???
(`・ω・´)「この偵察機は、当時米軍で最も恐れられてた
偵察機なんです。
いつのまにか現れて私たちの情報を握り、いつのまにか
消えていく。当時誰もがその日本の技術力の高さ、
そしてパイロットの優秀さに感心してましたよ」
ξ゚⊿゚)ξ「……」
(`・ω・´)「私は基地で見てた身ですが、いつかあの偵察機と
パイロットに会ってみたいと思ってました。
その夢が今日叶いました! 握手してください!」
ξ゚⊿゚)ξ「……いいのか? 俺はあんたの仲間をたくさん
殺したかもしれないんだぜ?」
(´・ω・`)「それは戦争ですから、しょうがないです。それに
基地勤めたと言っても私だって軍に所属してた身です。
間接的にたくさん大好きな日本人殺して、大好きな日本に
あの恐ろしい爆弾も落としました。個人的には、日本に
そんなこと、……したくなかったですが。……ごめんなさい」
ξ゚⊿゚)ξ「謝るな。もう、戦争は終わったんだ」
(´・ω・`)「はい……」
ξ///)ξ「いいか、よく聞け。俺はアメリカが嫌いだ。だけど、
お前は……嫌いじゃない」
じーちゃんが握手しようと手差し出して、老紳士が嬉しそうに手を握った。
(`・ω・´)「ありがとうございます! 私生きてる限り、ジョーの
素晴らしさ、パイロットの優秀さ、そして貴方の器の大きさ
皆に語ります! 日本人大好きです!」
ξ///)ξ「ちょ、直球すぎんだよ」
じーちゃんのツンデレっぷりに孫ながら萌えつつ、老紳士に和んだ一日でした。
ちなみに老紳士の「ジョー」ってのは、日本の偵察機のあだ名みたいなもんだそうだ。
謎だったからwikiで調べてみたら↓こう記述してあった。
>連合軍は本機を“写真屋のジョー”とも呼び、“ジョー”がやって来た
数日後には必ず日本軍の攻撃があるとして、その飛来を恐れたという。
519 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/03/06(木) 00:22:35 ID:iZjw6LLt
第一次大戦時のモンゴメリー(通称モンティさん)のお話。
当時中尉だったモンティさんは、銃弾を胸にうけてしまった。本人曰く、
「あんまり痛みはなかった」らしいが(本当かよ)動けなくなってしまった。
味方の衛生兵がいそいでやってきて、治療してくれる。モンティさんは、
お礼をいってしばらくしゃべっていたが、いきなりその衛生兵は倒れてしまった。
ドイツ兵に狙撃されてしまったのである。衛生兵は死んでしまい、モンティさんは動けない。
味方はモンティさんも衛生兵も死んでしまったと判断して塹壕からでてこないwww
ドイツ兵はたまに思い出したかのように射撃練習の的として、倒れた二人を狙撃した。
モンティさんはさらに二発弾丸を食らったが、他の弾丸は衛生兵の死体が盾に
なってくれ、あたらなかった。
数時間がたち、日が暮れると戦死者を収容する担架がやってきて
モンティさんが生きているのをみて後方の野戦病院に運び込んだ。
これで安心だと思ったモンティさんだが、なんと病院の軍医が重症でもない
モンティさんを「こいつは助からないな」と判断して、治療してくれなかったwwww
それでころか横では自分用の墓穴が掘られる始末。
しばらくして軍医さんがやってきて「あれ?まだ生きてる。しゃあないな」と
数時間後に治療してくれ、本国の病院に送られた。
ちなみにモンティさんは将軍になっても笑い話としてこの話を部下に
したそうだが、笑えないだろwwwwこれ。かなり悲惨だと思うんだが。
520 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/03/06(木) 00:40:14 ID:iZjw6LLt
>第一次大戦時のモンゴメリー(通称モンティさん)のお話。
モン「ト」ゴメリーだった初歩的なミスを・・・・。
521 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/03/06(木) 21:55:55 ID:???
モントゴメリーってこてこての英国軍人だからな、この程度の諧謔で
笑えない香具師は教養がないと判断していそうだ