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15 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/04/05(火) 08:18:24 ID:tY7GXHM1
日露戦争では両国ともハーグ条約の規定を順守して捕虜を手厚く扱い、世界から称賛され
た。浜寺に収容されたロシア人捕虜は比較的自由に街を散歩し海水浴も楽しんだことや、収
容所内では日本語教室が大人気だったことなどが、収容所の研究活動を続けている中野生
穂さんによって紹介された。近くの泉大津市内の墓地には収容所で亡くなった八十九人の捕
虜の墓があり、今も地元の人たちが焼香、献花を続けている。
約千八百人の日本兵を収容した捕虜収容所があったロシア北西部メドベージ村のロゴジン
村長は「村には十九人の日本人捕虜の墓があったが、第二次大戦でのドイツ軍の侵攻時に
破壊されてしまった。しかし、近年、七基の墓石が発見された。さらに発掘を続け、村に慰霊
公園を造りたい」と語り、同村を訪れたことがある中山元外相は「村の博物館には、日本人捕
虜が作った三味線や尺八などが保存されていた。手厚く扱われたことがうかがえた」と説明した。