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58 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/09/13(木) 10:02:10 ID:s55JkCiQ
ほのぼのとした話というかカッコイイ話というか、イタリアの旅行のパンフレットのに書いてあった話で、
イタリアが降伏してしばらくして連合国として枢軸国に宣戦布告したその時の、
ある若い大尉さんのお話がのってた。ガイドさんをやってる人の思い出話として掲載してあったんだか。
イタリアが連合国側になったのでドイツと戦うことになった。大尉さんは上官に呼ばれて一人の部下といっしょに司令部?に歩いていったわけ。
上からの評価も高かった人らしい(シシリーでも戦ったと書いてあったから実戦経験も豊富だったらしい)
連合国になったからドイツ軍と戦うわけだが、連合国に鞍替えしたとたんドイツの悪口をいいだす上官とそのとりまき。
その時、その大尉さんは大声でいった。
「たしかにドイツ軍は横暴でした。我々をまともな戦力とも扱わず、情報もくれずさげすまれたこともありました。
けれどもいろいろな戦場で助けあったこともあります。命を救われたこともありましたし、ドイツにもよい兵士はたくさんいました。
あなたは現場で戦っていましたか?彼らは勇敢でしたし、敵となったからといって昨日まで肩を並べて戦ったドイツ人の悪口を私は容認できません。
私はイタリア軍の士官ですから命令は実行しますしドイツ兵とも戦います。けれども彼らに対して戦友としての敬意は持ち続けます」
といって敢然と司令部を後にあとにした。
その大尉さんについてきていた部下の兵士は大尉に礼を言った。
彼はイタリア降伏後にイタリアに残っていたドイツ人の娘さんと結婚したばかりだったのである。
大尉は彼のことを思いやって上官のドイツ人にたいする悪口に反論してくれたのだった。
なんで旅行ガイドにそんな話のってたかはわからんが素直に感動したので掲載。
イタリアとドイツってしっくりいってなかった部分はあるけど現場レベルではいい話もあったんだなと。
489 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/09/07(金) 17:44:04 ID:???
>>472
中国戦線で(軍命に拠って)渓流釣りに興じまくった兵士の手記によれば、
ノロ(現地の小型シカ)の肉は若葉の季節になると葉っぱ臭くて
とても食えなかったそうだ。
美味なのは脂肪を蓄える秋から冬。
この部隊は米や缶詰はいっぱいあり、食料には不自由しなかったが、
缶詰に飽きて新鮮な肉や魚にありつきたいという願望がしだいに強まった。
本来任務(中国軍ゲリラの掃討)もヒマ気味だったので、
偵察中(ノロ鹿狩り兼務)に見つけた釣りに良さげな川が話題となり、
やがて中隊一の釣り自慢だったこの人に「釣りをしてこい」と上官のお許してか命令。
いちおう威力偵察という名目のもと、装備(釣り竿、糸、エサなど)を整え、
単身出撃、勇躍挺身して、巨大イワナを釣りまくったとかw
490 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/09/07(金) 17:48:27 ID:???
>巨大イワナ
あの辺だとイワナかイトウかわからねえな
8 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/09/01(土) 17:46:19 ID:???
ひょんな事から知り合った老人から聞いた話
支那のある方面でのこと
彼の所属する部隊は、川を隔てた岸に陣取っている敵軍と睨めっこをしていた
とある日の夕方のこと、歩哨に立っていた彼の耳元でガサガサという怪しい音が…
見ると、草が揺れているはっとして銃を構えたところ、その中から「ブヒー」という鳴き声が
何だ… ただの豚かと再び配置に衝いたところ、食料のあるところがいつもより騒がしい
任務をおっぽり出してそこへ向かい、あたふたしている一人を捕まえて何が起きたかと聞いたところ
「食料が減っている どうやら敵に奪われたらしい… 見張りが豚の声を聞いたらしいから
どうやら豚に化けて潜り込んだのだろう」とのこと
「よくよく考えればこんな所に豚などいるかずがない… してやられた」
上官にそう報告したところ、苦笑いされたそうだ
翌日、8人の2グループでやり返しに川を渡って敵陣に潜り込んだ (川は歩ける位浅かったらしい)
途中で一手が歩哨に気付かれた…とっさに一人が馬の鳴き声の真似で誤魔化そうとしたもの無理だった
見つかったその一手が敵を引き付けている間にもう一手がたやすく内部に進入して、
麻婆豆腐と餃子とチンジャオロースを調理していた鍋ごと奪って凱旋した
その後、夕方になっては敵陣にもぐりこんで食料をこっそり奪うという事が恒例になった
彼曰く「昼間は(食料を奪う)作戦会議で精一杯、戦闘なんかほとんど無かった」らしい
949 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/28(火) 21:58:55 ID:???
俺の爺ちゃんの話でも投下しますか
戦時中、大陸に出征した爺ちゃん中尉
いくら綺麗事を並べても日本軍は所詮侵略者、支那人(注:当時の呼称)の憎しみいかほどか、
と思っていたが、いざ進軍してみると
日本軍の部隊が進むところ、大八車や家畜を引っ張った農民(当然中国人)が
ぞ~ろぞろついてくる。
今から戦場に赴くのだから危ない、ついて来るなといっても誰も帰らない。
何故かと理由を聞くと、
「中国軍の方がよっぽど残酷だ。規律正しい日本兵の近くに居れば安全だ」と。
中国軍(国共ともに)は現地調達と称して略奪し放題、ついでに若い娘さんをデザートにしたりと
とてもとても農民の味方と言える状態ではなかった。
しまいには我が方の米と家畜を交換してくれと言ってくる始末
いつの間にか肉まんを量産して日本兵相手の商売を始める強者まで・・・
爺ちゃん談「あれには拍子抜けするしかなかったよ」
終戦後、彼等が酷い目に遭っていなければいいがな・・とも言っていた
951 名前:949[sage] 投稿日:2007/08/28(火) 22:14:39 ID:???
大切な事を書き忘れた
爺ちゃんが最後に言ってた事
「大陸戦線の全てがこうだったとは思わないが、
あの大陸ではこういった情景も普通にみられた。
今の従軍慰安婦と呼ばれている人たちがどういう存在だったのか、
また南京で30万人も殺すなんてことがありえないという事は明らかだ。
だが戦後になって元将校がそんなことを言える時代ではなくなってしまった。
少しでも日本軍を擁護するような発言は徹底的に封殺された。
だが、最近になって少しずつ世論が変わってきた気がする。
死ぬまでに本当の事が言える社会になってくれればいいが、もう長くないからなあ」
爺ちゃん、俺文才ないから
ここでチラ裏するのが精一杯だ、許してくれ
887 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 15:10:15 ID:???
こんなんでネタになるかどうか解らないが、身内ネタでもいいのかな・・・
うちのおふくろは、太平洋戦争当時、九州の門司に住んでいた。
関門海峡に機雷を投下する米軍機がよく見えたそうだ。
ある日、学校帰りに友達と歩いていると、畑にきれいなパラシュートが落ちて
おり、なんだろうと二人して駆け寄ろうとしたところ、通りがかった近所の人
に、近付くんじゃない!と一括され、慌てて逃げ出した。
その後、畑の周りには軍やら警察が大勢押しかけ、パラシュートとそれにぶら
下がっていた物を回収していったそうだが、父親から、あれは海に落ちるはず
だった機雷だったと教えられ、訳の分からないものに、迂闊に近付くんじゃな
いと、散々叱られたそうだ。
888 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 15:17:17 ID:???
>>887
アメリカ製風船爆弾
889 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 17:37:28 ID:???
ほのぼのどころか恐ろしい…
890 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 17:43:29 ID:???
>>887
機雷だけじゃなくて、最前線でも低空攻撃用のパラシュート爆弾を大量に使用していたよな。
米軍は。
で貧しい前線での話、清潔な布とかも貴重品だったからパラシュートの布(大抵絹が使われていた)に
目が眩んで危険を顧みずそれを手に入れようとして爆死、なんていうケースが発生したらしいw
そういえば、どこぞのレジスタンスの女性部員が、降下潜入用のパラシュートを後生大事に取っておいて、
終戦と同時にウエディングドレスに仕立て直した、なんていう話を聞いたことがあったっけな。
てか空挺隊員用のパラシュートに色がついていたような気もせんでもないのだが・・・・・・・・ 染め直したのかなぁ?
まあ、染めていないのも多かったのかもしれんが。
891 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 20:26:48 ID:???
BOBでもそんな話し合ったな。
892 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 21:16:19 ID:???
大戦初期は各国ともパラシュートとの材料は絹だっけ?
893 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 21:22:16 ID:???
それで日本と開戦した米が日本から輸入していた絹が無くて困った
それで合成繊維のナイロンが出来たって話を聞いた希ガス
894 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 21:31:43 ID:???
ナイロンの発明は偶然の産物だったはず。
838 名前:837[sage] 投稿日:2007/08/04(土) 12:38:36 ID:???
「俺の書き込みがあって」→「俺の書き込みが引用されてて」
俺の知ってる話をいくつか。
・ニューギニア近くの孤島。日本軍は組織的戦闘はできるほど弾薬・糧食もなくなり、その抑えとして
置かれた米軍も大した規模ではない。双方とも積極的な作戦行動は起こさなかった。
とある日、米軍宿営地まで忍び寄った日本兵が米軍の国旗の棹を撃った。棹ごと国旗は落ちたが、
報復として米軍も日本軍の国旗の棹を撃ち、国旗を落とす。双方、しばらくは相当ムキになって国旗の
落とし合いをしたとか。
・ビルマのコヒマでは相当苦しい戦闘が繰り返され、日英双方ともお互いの顔を視認できるまでの戦闘が
たびたびあった。終戦後、収容所に入れられた日本兵が黒猫の徽章をつけた英兵を見ると、「ヘイ、ユウ
コヒマ?」と話しかける。すると向こうも32師団の桜の胸章を見て「オウ、クリスマスケーキ(英兵にはそう
見えるらしい)、ユウ、コヒマ!」とタバコをくれたりしたそうな。