MENU | MENU | MENU | MENU | MENU | MENU |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
249 名前:白い嘘[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 23:06:05 ID:???
バトル・オブ・ブリテンのさなかのことである。
イギリス沿岸部上空で、一機のドイツ戦闘機が撃墜された。
パイロットは下の畑地に不時着を試みたが、気がつくと、軸線上に子供がいるではないか!
敵国民だが子供を殺すことはできない。
パイロットは必死に機を立て直そうとしたが、最後には諦め、愛機もろとも自ら地面に突っ込んだ。
パイロットが意識を取り戻したのは、さる農家のベッドの上であった。
瀕死の重傷を負いながら、付近の住民に助けられ、九死に一生を得たのである。
我にかえるや彼は片言の英語で叫んだ。
「子供っ! 子供は無事ですかっ!」
「安心しなさい、大丈夫じゃ」
そばについて看病していた年寄りの農夫がなだめると、パイロットは再び枕に沈み込んだ。
「よかった‥‥よかった‥‥」
と小声でつぶやきながら。
農夫は嘘をついていた。子供は土をえぐりながら暴走する機体にはねられ死んでいたのである。
250 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 00:07:57 ID:???
それは泣ける話じゃのう……
251 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 03:12:48 ID:???
両方共に立派だよな
なんつーか戦場に於ける理性の残光って感じがするよね・・・・
252 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/10/22(水) 03:16:05 ID:AlKhwuxB
おれ号泣状態・・。
240 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/10/19(日) 18:46:39 ID:GbNZICQ2
陣地を出ると、付近の山には敵が待ち受けていた。
山の上から攻撃された場合、とても逃げ切れるものではない。
どうせやられるならと覚悟をきめて、須永君は重機を
馬にも積まずに、すぐ発射できるように担いだそうである。
ところが、意外なことに中隊が陣地を後に撤退を開始しても、
八路軍は攻撃どころか隊に向けてタマ一発撃たなかった。
このことは、あるていどの犠牲、場合によっては全滅を
覚悟していた中隊にとって、まったく意外なことであった。
中隊全員が易県の部隊本部へ到着してホッとしたころ、
敵が中隊を攻撃しなかった理由が密偵の報告によって
判明したのである。
それは、中隊がシケイカンを撤退するとき、付近の
村長たちが集まって八路軍にこう言ってたのだそうだ。
「ここにいた日本軍は、われわれ村民にたいしてなにひとつ悪いことをしなかった。
だから、いま去って行くその日本軍を、どうか攻撃しないでやってほしい。
こうすることが、われわれ村民に悪いことをしなかった日本軍にたいする最後の、
せめてものお礼としたいのです」
このように村長たちからたのまれれば、八路軍としては
日本軍を攻撃することはできなかった。
易県の部隊本部でこの知らせを聞いたとき、
「おれたちは、村民に助けられたんか」と言って
中隊のだれもが、陣地のあったシケイカンのほうに向けて
頭を下げて感謝したそうである。
198 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/23(火) 16:39:42 ID:???
爺さんじゃなくて親父の話。
軍通信の通信兵だった。
インドネシア近くの小さな島に陣取ったそうな。
外務省や海軍の暗号が米国にバレバレだったのに陸軍の暗号がばれなかった理由は、
海底ケーブルで通信していたからだそうな。
ある時、ノイズで通信が出来なくなって調べに海岸へ行ったら、
師団通信のケーブルが直ぐ横にいつの間にか敷いてあった。
長距離通信で減衰するからかなり電流を流しているので、ケーブルが近くにあるとクロストークで何がなんだか分からなくなるので厳禁だったらしい。
親父は師団通信の通信将校に怒鳴り込んでケーブルを撤去させたと大威張りで語っていた。
その軍司令部も補給が途絶え終戦まで自給自足生活になり親父が復員したときは、
栄養失調で死ぬ寸前だった。
200 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 15:58:15 ID:???
>198、南方行き海底ケーブルってあったっけ?満州なら電話掛けられるってのわかるんだが
193 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/22(月) 01:51:57 ID:???
ある輸送船に、外地帰りの女郎さんが便乗してきた。
さいしょはおそるおそるであったが、そこはフェミニスト海軍、
台湾泊地に入るころにはすっかりうちとけて甲板上でだべっていた。
すると、他の艦艇が一斉に輸送船に注目。
舷窓に群がる水兵、ひどい船に至っては艦橋の大メガネで覗き込む始末・・・・・
しばらくして、意を決した見学船から手旗信号で
「ソノオンナナニモノナリヤ」
受けた甲板上の主計兵が返して曰わく
「ジョロ(ウ)」
それを見ていた女郎さん「兵隊さん、なにしてるん?」
まさか「ジョロウ」と書いていたと言うわけにも行かないので
「あんまりイチャイチャするなと言ってきたから、了解、と返したのだ」
フィリピン陥落前の一コマである。。。
195 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/23(火) 12:45:40 ID:???
>>193
「ジョロ」を「ジェロ」と見間違えてしまった。orz
ちょっと視力測りに往ってくる。
197 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/23(火) 14:59:18 ID:???
>>193
「海軍めしたき兵物語」だったかな?
面白い本だね。
199 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 02:57:07 ID:???
>197
総決算の方ですね
筆者がサイゴンから退院して帰りの便船の話
176 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 07:50:32 ID:???
>>175
塹壕戦の初期(空では飛行機乗りがまだ挨拶していた頃)、
やっぱり声が届く程の近さの塹壕同士でフランス兵が
「雨で水浸しだ!足がかゆい!」
と騒いでいたらドイツ側から流暢なフランス語で
「おまいら板でも敷けよ!靴下替えろよ!」
と返されたらしい。更にフランス兵が
「ご親切な助言、ありがとうムッシュー!この辺に井戸か飲める水源ないか?」
と大声で聞いたら
「この辺には、湧かさないと飲める水ないよ!」。
仏語の一次大戦本に紹介されていたそうだ(西洋史やってた人に聞いた)、
まだ兵科将校=貴族あるいは紳士(仏語は共通語)な伝統と、激烈な消耗戦に
入る前の状況を示している例として。
178 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 11:00:33 ID:???
>>176
一次大戦劈頭のフランス軍には、子連れの民営酒保がくっついて来た位だからな。
>>177
ネタ等貼るのでなければ、そういう反応はせずにスルーせよ…軍板では常識だと思うが。
175 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 17:04:43 ID:???
世界史板のトリビアスレから転載。なんかほのぼの
885 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/10/21(土) 06:41:05 0
第一次世界大戦の塹壕でも空き缶やら食べ残しの処理が問題になってたな。
ある兵士のエピソードに敵の声が聞こえるくらいの距離で対峙した塹壕で、
空き缶を敵陣に投げたら向こうもこちらに投げ返してきて雪合戦状態になったっていう話があった。
空き缶では無く手榴弾投げれば阿鼻叫喚の地獄絵図になるんだが、
どうも敵(ドイツ兵)も面白かったらしく笑い声が・・・
結局小隊規模で空き缶投げ大会になったそうな。
極限状態ではこんなことも起こるんだな