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369 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/12/22(木) 17:06:58 ID:???
(367のつづき)
私が隈之庄教育隊にいた時、先輩の十期長島伍長に十日程飛行訓練を受けたこ
とがあった。いつものように緑川上空に高度を取り垂直旋回を始めた。機体を
水平線に垂直に倒す、操縦桿をぐっと引く、方向舵で調整しながら水平線を切
って行く、左垂直旋回を始める、一回でうまく行った。長島伍長の「よーし」
の声、操縦はいささか得意であった。
続いて右垂直旋回を行った。機体を右に倒す、左と同じである。左の時は水平
線を直線に切れたのに今度は水平線が上になり、足で調節すると下になり鋸切
り型なってしまう。助教が「俺がもう一度やる。良くおぼえろ」見事に水平線
が切れる。「判ったか」「はい」伝声管を通して大きな返事をしたが、何回や
っても機首がかすかではあるが地平線を上下する。助教の「もう一度やって見
ろ」「まだだめか。もう一度やって見ろ」声が涙声である。私も思わず涙が出
て来た。
370 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/12/22(木) 17:10:04 ID:???
それからしばらく二人とも泣きながら操縦桿を握り必死になって練習をした。
気持ちが一つになった様な気がした。やっと何とか出来る様になり飛行場にも
どった。予定より十分以上飛行時間が遅くなって居た。
昭和十九年六月頃、長島伍長は前線へ飛び立っていった。其の後、戦死との報
を耳にし、がっかりしてしまった。戦後ぜひお墓参りをしたいと思い、色々と
人に尋ねたが判らず、やっと昨年、長島伍長の同期である松川氏に会い住所を
聞くことができ、埼玉県比企郡嵐山町大字○○のお宅へ訪ねることができた。
ご両親もすでに亡く、お兄さんがお墓を守り、心よく近くのお墓に案内してく
ださって、いろいろお話しを聞くことができた。
長島伍長は言葉に時々静岡なまりがあったので静岡の出身と思っていたが「隈
之庄に行く前に天竜の飛行場に居たので、時々なまりが出たのでしょう」との
事であった。
墓標に故陸軍曹長、長島四郎の墓「浄空院天忠孝道居士」昭和十九年十月十八
日アンヘレス上空に散る。
三十一年振りに念願が叶い感無量であった。
(菅谷編集委員)