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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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817 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/01(水) 17:35:49 ID:???
【ほくほく】さつまいも【しっとり】
http://food8.2ch.net/test/read.cgi/salt/1185427164/
690 名前:ぱくぱく名無しさん 投稿日:2007/07/30(月) 20:46:58
スレ違いかもしれんが…
戦時中(第二次世界大戦な)食べるものがなくてイモばかり食ってた、なんて話は
良くあるが、うちのじいちゃんばあちゃんもそうだった。

で、当時サツマイモは涼しい縁の下なんかで保存しとくものだったみたいだが
じいちゃんばあちゃんのところでは庭の地中に石でできた箱を埋めて、それを
食料貯蔵庫にしていた。もっとも中身はサツマイモくらいしかなかったらしいが。

62年前の8月6日、広島に原爆が投下された。
じいちゃんばあちゃん家は広島市中区、原爆の爆心直下であった。
幸いにじいちゃんは南方へ出兵中、ばあちゃんと当時子供の父親は岡山の
実家にいたので助かったのだが、広島の家が心配なばあちゃんは西国街道を
チャリンコですっとばして戻ったそうだ。火事場の馬鹿力だろう。
ちなみにじいちゃんは南方でもイモばっかり、と今でもイモを見ると愚痴る。

広島の家に戻ると一面の焼け野原、というより地獄絵図だったらしい。
とにかくいろんなものが焼けた臭い、焦げた臭い、そして家は跡形もなく崩壊して
いたようだ。がっくりすると同時にチャリンコで長距離走ってきた疲れもドッと
出たばあちゃん、それでも最後の望みと庭の食料貯蔵庫を開けてみた…

焼き芋…貯蔵庫のサツマイモ全てが、当然すでに冷めてはいるが焼き芋に
なっていたのである。貴重な食料だがこうなってしまっては仕方ないと
満腹まで冷めた焼き芋を食ったばあちゃんは周りの同じ境遇の人たちに
焼き芋を配って回ったそうだ。
俺の知っているばあちゃんは焼き芋をいつも冷ましてから食べた。嬉しいような
悲しいような複雑な表情で食べながら「おいしいねぇ」と言っていた。

そんなばあちゃんが昨日死んだ。仏前には冷めた焼き芋。
じいちゃんは愚痴りたそうな顔をしてイモをずっとながめている。


818 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/08/01(水) 18:44:04 ID:jeOpOhhF
>>817
全俺が泣いた


日露戦争って一時休戦中に色々食べ物交換したりちょっとした交流があったって聞くけど、

戦闘再開したら昨日おにぎりあげたヤツに銃を向ける・・・
昨夜ウォッカ貰った人と殺し合う・・・

ってなった訳だよな?
なんというか、やりきれないというか悲しいというか、この気持ちなんだろう・・・
俺だったら涙流しながら銃撃ってるだろうな・・・

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804 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 13:07:14 ID:???
アイヤー、最近の人民解放軍は中華鍋を携帯していないアルか?
伝統と合理性を無視した暴挙でアル。 責任者は反省するアル!


805 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 19:25:32 ID:???
ちゃんと背中に中華なべ背負わないとな。


806 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 19:43:33 ID:???
装甲版にもなるのにな
中国人はあれひとつでマジに何でも作るとこだけはほめてやる


807 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 21:55:21 ID:???
後頭部にショットとラップが・・・。


808 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/30(月) 09:10:49 ID:???

実際に旧軍が中国戦線で拾った中華鍋をかぶって戦闘したら、
目立っちゃって狙い撃ちされまくったらしいぞw


809 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 00:03:14 ID:???
>808
食材が調理器具持っているんだ。最高の獲物だろう。


810 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 00:05:06 ID:???
ドイツの見てるとでっかい飯ごう炊飯背負って飯届けに来るな


811 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 01:05:38 ID:???
>>808
その兵隊の名字は鴨葱。


812 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 22:05:23 ID:???
>>810
ありゃ保温コンテナだから最前線でも一応は温かい飯食えるな。
ただし目立って>>808の様に狙い撃ちされるんで配達する補給部隊
の隊員は命懸けらしいが。


813 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 22:21:58 ID:???
>>812
浅田次郎が陸上自衛隊時代の体験談に似た話を書いていた。
演習の状況下、飯を届けにいく隊員は大きな容器を背負っていくんだが、
同じく目立って狙い撃ちにされるため、大変な任務なんだとか。

幾多の苦難を乗り越えて、演習中の塹壕に届いたゆで卵がものすごく美味かった、とも。


814 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 23:14:23 ID:???
目立つというより飯の奪い合いか


815 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/08/01(水) 14:14:11 ID:Wrb8CmI+
>>813
その演習中に、もしメシを担いでいる敵側の兵を倒すと、搬送中のメシを
鹵獲して食っちゃう事もできたんですかね?
味方からの補給がくる前に、鹵獲メシを(かつてのチャーチル給与みたいに)
食ってお腹一杯なんてことも(笑)

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752 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/22(日) 15:19:02 ID:???
流れ変えてしまうが
1900年の初頭イギリスがアフガニスタンに侵攻したときの話
パキスタンとアフガニスタンの国境沿いにパシュトゥンという民族がいるのだけど
この民族は代々鉈とか刀とかの家事を生業にしてきた民族
そしてイギリスがパシュトゥンの土地に進行してきたときパシュトゥンの人は
英兵から奪ったエンフィールドを丸まるコピーして対抗した結果イギリスを追い払った
その後もパシュトゥンの人はエンフィールドを作り続けるんだけど
どうしてもボルトの部分がうまく作れない
仕方ないので夜遅く寝ている英兵のエンフィールドからボルトの部分だけを抜き取って
村に帰ってコピーしたエンフィールドに装着
翌朝英兵たちはボルトだけ盗まれていて大騒ぎしたそうな

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659 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 12:18:30 ID:???
すでに鬼籍入りした漏れのじーさん
台湾?あたりで100式司偵の偵察員してた。

飛行中にエンジントラブル→海上不時着
不時着直前、機長は「俺は機と運命を共にする!」と言って偵察員(じーさん)と機関士に涙の別れ。
二人は落下傘降下して無人島に漂着。
しばらくしたら同じ島に機長登場。何か助かったみたい。ちょっと気まずい。

その後、食い物を探して適当な蟹を取って食ったら、お腹急降下。
しばらく無人島で生活していたら救助隊が来て助かったとのこと。

100式は速かった?って聞いたら、「普通は300Km/hぐらいで飛んでるからそんなに速くないよ。
でもグラマンが来たら全力で雲に突っ込んで逃げた」って言ってたなぁ

親族中で唯一職業軍人だったんで、他にも
・連隊対抗射撃大会で優勝して連隊長からブローニング(M1910?)をプレゼントされる。
・満ソ国境付近の地図作成冒険旅行を第4次にして初めて成功させて師団長からほめられる
・中国で豚を市場に買いに行ったら現地の富豪と仲良くなって自宅に招待されてガクブル
・南方でドリアンを食って大いに満足
なんて話を聞いた


660 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 12:54:44 ID:???
>しばらくしたら同じ島に機長登場。何か助かったみたい。ちょっと気まずい。
ちょ、機長wどしたのww?

>・連隊対抗射撃大会で優~
なんつーかおまいのじーさん戦争満喫してんなぁ


661 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 14:03:12 ID:???
>659
>でもグラマンが来たら全力で雲に突っ込んで逃げた

かっけええええ!


662 名前:名無し三等兵[UHO] 投稿日:2007/07/14(土) 14:51:10 ID:???
>>659
100式司偵なら、二人乗り(操縦員+偵察無線) 。
三人乗れるスペースはないし、巡航300キロというのも遅すぎる。

九九式双発軽爆撃機あたりで、三人搭乗で偵察任務に出ていたのではと推測。


664 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 17:05:05 ID:???
>>659
> ・中国で豚を市場に買いに行ったら現地の富豪と仲良くなって自宅に招待されてガクブル
人肉加工工場でも見せられたのか?


665 名前:659[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 18:24:39 ID:???
>>660
機長は腕の骨折ってたけど泳いでたどり着いたらしい。

>なんつーかおまいのじーさん戦争満喫してんなぁ

でも支那戦線の実戦の話はしたくないって言ってたよ

>>662
速度に関しては自分も半信半疑だったんだけど、本人が100式と言い切っている以上
無碍に否定するのも何だし、まぁいくら快速の100式でも年中フルスピードで
飛んでいるわけじゃないし、現地でムリクリ改造して3人乗せられるように
したのかもねー、と好意的に解釈している次第。真相はもはや確かめる術も無いし。
(実は100式重爆を3人で飛ばした、というオチなら最高なんだがw)

とはいえ100式という単語が自然に出てきたということは、たとえ乗ってなかったにしろ
現物を間近で見ていたかもなので、それはそれでスゲーなぁ、と思っている。

あ、見たといえば霞ヶ浦にツェッペリンが来た時、遠くにポツンと飛んでいるのを目撃したとも
言ってたなぁ…

>>664
見たことも無いような超豪華な屋敷でびっくりしたらしい。
室内を鋲を打った兵隊靴で歩いていいものか、同行した豚買い仲間と悩んだとのこと…


666 名前:名無し三等兵[UHO] 投稿日:2007/07/14(土) 21:02:13 ID:???
100式と明確に言っておられるなら、100式重爆か。
100式輸送機で偵察(航法)任務という線もありそう。

 

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654 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 00:53:48 ID:???
中国での祖父の話。
ある日の行軍中、仲良しの同僚と、こっそり隊列を離れてタバコ吸い、
その遅れを取り戻そうと近道をしたところ、どうも様子がおかしい。
何気なく後ろを振り返ったら、自分の部隊がいる。
どうやら戦闘中の敵味方の中間点に出てきてしまったらしい。
後で班長に勇敢さを褒められたそうだ。

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488 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/06/13(水) 10:26:03 ID:a54uzqKK
わけわかんねーすれ違いネタで暴れんなよ

オットーカリウスネタ
オーストリア出身の乱暴者だった勇敢なツヴェティ曹長だけは無難ではなかった。
私たちが警戒態勢を解き、ソ連軍から死角となる高地の陰で物資の補給中
まるで青天の霹靂のように飛んできた跳弾が彼に当たったのだ
彼は戦車の上に立って弾薬の積み込みを手伝っていた。
そして、命中を食らったのだ
よりにもよって文章では書きがたい体の部分に。

少なくともドイツの中年の人々なら、また、誰でも品位ある社会生活をしている人なら、
彼の下腹部に当たったことというに違いない。
ともかく、私たちは爆笑した。
また、これが彼を激怒させた。
ツヴェティはこれまでの戦闘ではまったく無事だったが、この不運な負傷のため
中隊を去らなければならなかった!


490 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/06/13(水) 13:48:25 ID:???
>>488

たまたまたまにあたっただけだろ? と野暮な突っ込みをしてみる。

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453 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 13:51:01 ID:???
パンツァーマイヤーことクルトマイヤー著「擲弾兵」より

その夜、ビューゲルザックSS曹長は変わった体験をした。
彼は人間には避けられぬ欲求を感じ、小さな納屋を訪ねた。
風の当たらぬところで、ゆうゆうと用を足しにかかった。
「しかし、運命とはわからぬもんですな。」
フリッツ・ビューゲルザック一人だけではなかったのだ。
目の前にソ連軍の少尉が座っていて、黙って彼に期間拳銃を向けた。
しばらく前からフリッツの『重大用件』を眺めていたのだった。
とにかく、われわれは悲鳴を耳にした。
懐中電灯で照らしてみると、ズボンを下げたままのフリッツが、
口も利けずにソ連軍将校を指差しているではないか。
このときほど大笑いしたこともなかった。
相手もフリッツに差し出された煙草が実にうまかったのではないだろうか。

454 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 16:57:47 ID:???
その後、ソ連将校はどうなったの?

455 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 18:22:47 ID:???
>>454
その後のことは書いてないけど
この本のほかの事例とかを見るに
将校は捕虜にして司令部に送ったんじゃないかな

あとロバート・キャパが北アフリカの取材で
道中腹痛に襲われサボテンの木陰で用を足して
さぁ行くかと立とうとしたら目の前に
ドイツ語で「警告!地雷原!」と書いてあって
半べそになりながら近くにいた運転手に
「工兵をよんでくれー!」といった
しばらくするとその運転手は
イギリス軍工兵と「雑誌記者」を連れて戻ってきた

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403 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/05/27(日) 21:07:38 ID:???
海軍の爆撃機が2機のP51に追われ、
海面すれすれで逃げ回ったが、後方銃も打ち尽くし、
もはやこれまでとなったところで銃手が弁当の握り飯を相手に投げつけた。
P51は得体の知れぬ黒い物を避けるため急旋回したところ、
翼端が海面を叩きドボン。
2機目も同じ要領でドボンだったと思う。


404 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/05/27(日) 21:33:57 ID:???
>>403
ちょ、マジか?!

なんというオニギリの大戦果、後方機銃よりもつおいとは

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323 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 21:54:50 ID:???
昭和18年に国鉄に採用され、長崎機関区に若き機関士として配属された、
日本生まれの韓俊基氏。
原爆投下の日、たまたま非番で寮にいたため、難をまぬがれ、
戦後、韓国国鉄の機関士として新たな人生を歩みはじめる。
・・・だが、朝鮮戦争が始まり、韓機関士は南北を結ぶ「京義線」の機関士として乗務。
1950年12月、中国軍の参戦に追われて総退却する国連軍の、錯綜した戦線の中、
南へ向かう避難民を満載した列車の、決死の運転を買って出ていた。

12月31日、のちには非武装地帯の真ん中になったチャングン駅までたどり着いた韓機関士と乗務員2名。
チャングン駅にいた米軍兵士「ここから先は進めない、乗務員はそのまま、機関車に乗って待機せよ」。
・・・しかし、この命令を不審に思い、
もっと詳しい説明を聞きにチャングン駅の駅舎に韓機関士と2名が入っていったそのとき、
愛機、蒸気機関車「マテニ10号」は、米軍の一斉射撃を浴び、走れなくなってしまった。

すでにここまで列車がたどり着けたのが奇跡なほど、中朝軍が近くに迫っており、
あとで中朝軍に「マテニ10号」が捕獲されるのを恐れた米軍が銃撃を加えたのだが、
命令どおり「マテニ10号」に乗ったままなら、韓機関士と2名の乗務員、間違いなく射殺されていたところだった。
・・・原爆をも、朝鮮戦争をも生き抜いた韓機関士は1985年に韓国国鉄を定年退職。
愛機「マテニ10号」は、チャングン駅跡に放置されたまま、非武装地帯の中に取り残された。

2000年「京義線最後の機関士」として、京義線再連結事業の韓国側起工式に招待され、
金大中大統領、在韓米軍司令官と対談する機会を得た韓機関士、「あのマテニを見たい」と申し出た。
特別に非武装地帯に入る許可を得て、十数人の米軍兵士に守られ、変わり果てた姿の「マテニ10号」と再会。
韓機関士の目に、涙があふれていたという。
・・・さらには2001年、JR九州の招待で来日した韓機関士、
長崎機関区時代の同僚と再会、「第二の故郷」と自らが言う長崎の復興も目にした。

・・・しかし、かって韓機関士が金大中大統領と約束した、
「京義線が再連結されたら一番列車に乗車する」約束だけが、いまだに果たせずにいる。

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米海軍最後の通常動力潜水艦「バーベル」が佐世保を母港にしていた頃、
佐世保で見かけたのが、
何人かの「バーベル」乗員がお揃いのジャンバーを着て、町を歩いていた光景、
ジャンバーの背中には、
”diesel sub forever”と、刺繍が入っていた。

オレたちゃ最後のディーゼル潜水艦乗り、でも、ディーゼル潜水艦よ永遠に、と、いったところか。

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