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18 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/04/06(水) 22:04:32 ID:tXV9ivg1
硫黄島上空での事 坂井三郎氏は単機でF6F十数機と交戦し、そして氏の技術の全てを尽くして
戦域から脱出した。
戦後、太平洋戦争を日米のパイロットが集まる会合がアメリカで行なわれ坂井氏も出席した。
坂井氏は席上で、「あの時のパイロットはいないか?」と呼びかけた 一人のアメリカ人が、
「俺はその時にいたよ」と名乗りを上げた その瞬間、「下手くそ! 何でその時落せなかったんだ!」
と野次が飛び、会場は大爆笑の渦に包まれた。 坂井氏も大爆笑していたのは言うまでもない。
これは有名すぎる話かな? でもいい話だとは思う。
15 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/04/05(火) 08:18:24 ID:tY7GXHM1
日露戦争では両国ともハーグ条約の規定を順守して捕虜を手厚く扱い、世界から称賛され
た。浜寺に収容されたロシア人捕虜は比較的自由に街を散歩し海水浴も楽しんだことや、収
容所内では日本語教室が大人気だったことなどが、収容所の研究活動を続けている中野生
穂さんによって紹介された。近くの泉大津市内の墓地には収容所で亡くなった八十九人の捕
虜の墓があり、今も地元の人たちが焼香、献花を続けている。
約千八百人の日本兵を収容した捕虜収容所があったロシア北西部メドベージ村のロゴジン
村長は「村には十九人の日本人捕虜の墓があったが、第二次大戦でのドイツ軍の侵攻時に
破壊されてしまった。しかし、近年、七基の墓石が発見された。さらに発掘を続け、村に慰霊
公園を造りたい」と語り、同村を訪れたことがある中山元外相は「村の博物館には、日本人捕
虜が作った三味線や尺八などが保存されていた。手厚く扱われたことがうかがえた」と説明した。
3 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:2005/03/29(火) 09:47:22 ID:???
西南戦争の熊本城攻防戦のこと。
城の一角の段山陣地では、鎮台兵と薩兵が互いの顔を見れるほど接近して塹壕を掘り、戦況が膠着すると、
しばしば双方の将兵が罵倒合戦に及ぶこともあった。
「ドン百姓のクソ鎮どもが、菜っ葉ばかり食うて屁まで緑色かあ」
「やかましいわ芋侍が、おのれらが撃つんは芋食った屁の空砲ばっかりやないか」
・・・などと怒鳴り合う中、一人の鎮台兵が敵に向けて尻をまくり、
「賊徒どもが、屁でも嗅げや」と言ってブゥーと一発。
これに激高した薩兵も尻をからげて屁を返し、いっとき双方の陣地から
ブー、ブー、と怪音が飛び交う珍事となった。
・・・後に、この珍事は「段山ん屁戦(屁いっさ)」と呼ばれることになったという。。。