忍者ブログ
軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

87 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 19:39:19.50 ID:???
>>33
猫八師匠と言えば武海号の話を真っ先に思い出します。
馬の係になった師匠の担当の馬は連隊一の暴れ馬で有名な武海号。
さて戦々恐々な師匠と武海号の初対面はと言うと意外にも武海号が師匠に懐くという展開でw
師匠曰く「これがホントのウマがあった」とかw
師匠以外の兵は寄せ付けない武海号。でもそんな仲良しにも別れの日はやってきます。
師匠に転属の命が下り・・・師匠は武海号に別れの挨拶にと厩舎へ。別れを告げる師匠の言葉を聞いて武海号が涙を流したと。

「塩原太助の別れじゃないが馬が本当に涙流すとは思わなかった。私も涙の別れだった。」
とは師匠の述懐です。

拍手[2回]

PR
33 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/10/03(月) 14:11:32.97 ID:???
久々に故・三代目江戸屋猫八師匠の話。
大戦末期、暁部隊の一員として広島にいた猫八師匠。
当日朝寝坊したおかげで怪我もなく懸命に救援活動従事していた。
しかし、残留放射能にやられたのか、猫八師匠は原因不明の高熱で倒れてしまう。
忙しい中戦友たちが集まって
「大丈夫か岡田(猫八師匠の本姓)?」「しっかりしろ」
しきりに励まし看病してくれる。
とはいえ原因不明、物資は不足…北は千島南はトラックと駆け回った猫八師匠もこれまでか…

そんな時、ビタミンがとれればどうにかなると噂が流れ
戦友たちがトマトやミカンを集めて食わせてくれた。
戦友の思いが通じたか、ビタミンのおかげか、猫八師匠は復活。
ぶじ復員し愛する妻のもとへ帰っていった。
戦後も実家の農家から食料を送ってくれたり
出演映画を観てくれたり、戦友の絆は長く固く守られたそうな。

拍手[1回]

23 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 20:47:17.90 ID:???
大分荒れてるようだから話の話題を変えよう

「ビルマの竪琴」の著者、竹山道雄氏は戦時中は第一高等学校の教師だった
竹山氏は多くの教え子を戦場に送り出した経験から「ビルマの竪琴」を書いたそうな

実際、竹山氏は教え子の戦死通告を聞いて悲しんだらしいからね

拍手[1回]

876 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/13(火) 23:25:27.62 ID:???
クラインゾルゲ神父の話をもう1つ。
翌日7日、朝方「泉邸の外で綺麗な水道水が手に入る」と聞いた神父は水汲みへ。
重傷者には焼けていなかった太い草でストローをつくり
あるものには土瓶で水を飲ませ、同僚の神父たちとともにできる限りのことをしていた。
川岸で出会った女性が破れた着物を繕っていたので明るい気持ちになり
「これは驚いた。おしゃれだね、あなたは」と言えば女性も笑い
休憩する合間にも母親とはぐれた姉弟(後日無事に親と再会)とお喋りしたり遊び相手になった。
そして午後、一人の婦人が人々に何かを手渡していたのだが、見知らぬ婦人は
クラインゾルゲ神父にも同じ物を渡してくれた。

「お茶の葉です。噛んでごらんなさい。喉の渇きが止まりますよ」
ドイツの敗北以来、同盟国人でも外人として肩身の狭い思いをしていたが、
こんな非常時に見知らぬ婦人がこうも優しく…神父は泣きたくなったと言う。


なお、この後もクラインゾルゲ神父は日本で原爆症に悩まされながら信仰と自己犠牲の生活を貫き
母国からの食料は他人に、
進駐軍からのペニシリンも教区民へ渡し、帰化して日本名を得、1977年亡くなられた。


877 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/13(火) 23:34:57.95 ID:???
戦時中でない余談だが
同僚の神父から
「クラインゾルゲ神父は日本と結婚した」
と言われたクラインゾルゲ神父、
広島で避難する際
「これで私たちも荷物はみんななくなりましたが呑気さだけは残っていますね」
と同僚に話したそうだが、生涯呑気さと信仰が無くなることはなかったらしく
聖書と時刻表を「決して嘘をつかない」として読んでいたそうな…。

拍手[3回]

856 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 20:08:41.27 ID:???
広島の話になるとほのぼのというより責任果たそうとした壮絶な話が増えるが
個人的にほのぼのした話を1つ。

当日広島にいた牧師と神父は
それぞれ負傷しながら午前中のうちに市内北部の浅野家泉邸に避難。負傷者の輸送などに尽力をつくした。
午前中は泉邸の林は無事だったが、午後に入りここでも火災が発生。
しかし、日本人牧師の谷本牧師、クラインゾルゲ神父が負傷者を指揮し
二時間あまりでこの火災を鎮圧した。


857 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 20:15:59.62 ID:???
夕方になり食料調達のためにカトリック教会と谷本牧師の隣組の壕へ向かうことになったのだが
カトリック教会の防空壕途中の野菜畑では寉がついたまのカボチャが丸焼きになっていた。
クラインゾルゲ神父、同僚のシースリック神父と二人で食べたところ
「なかなか美味しかったです」

その後、丸焼きのカボチャや土の中で蒸し焼きになっていたジャガイモ
防空壕から米を回収し、引き換えした。
牧師と神父たちの集めた食料によるたきだしは100人分になったそうだ。


863 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 10:17:50.66 ID:???
>>858
余談だが、爆心から1.65km地点にあった鶴見橋も発火したが
避難者が協力してこれを鎮火、比治山方面からの救援・避難路の1つを守りきった。
ちなみに現存する鶴見橋は建て替えられたものです。

行動力もだけど火から逃げた先の火災で逃げようでなく消そうと考えられるだけでも凄い。


864 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/09(金) 08:23:37.17 ID:???
そういう話を聞くと、戦前から組織的にやってた防空防火演習とか意味あったんだなぁと思う


865 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/09(金) 16:59:44.08 ID:???
防空演習もだけど、事前に空襲を受けた場合の計画たててたのが不幸中の幸い。
幾つかの学校は臨時治療拠点に定められていたので
午前中には応急処置も始まったし、
まとまって避難できた動員学徒や作業員が親類と出会うこともできた。

……ちなみに、八月七日の時点で空襲による補償申請の受け付けが始まっていた。
8日には日銀広島支店が業務再開、市内の銀行に支払い業務などを行った。

拍手[3回]

841 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 15:33:45.72 ID:???
ドイツのほのぼの話1つ。
日独海軍親睦会が開かれたある日のこと。
日本側がハイネのローレライを合唱して見せると
ドイツ側からは太鼓がなり響き、デカンショ節の独演が始まった。
驚くことならかれ、この時独演披露したのは潜水艦作戦の権威として知られた
カール・デーニッツ提督だったのだ。

駐在海軍武官によれば誰とでも階級差を忘れて親しめる気さくな人だったそうな。
海軍の人がパーティーやら宴会で周囲をあっと言わせたり
座持ちの名人だったりするのは各国共通なのかねぇ。


842 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 15:58:17.16 ID:???
海軍軍人は外交官みたいなものだからねぇ
でもって本職以上に外交効果得るにはそうした芸達者さが有効なのかも


843 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 18:43:14.61 ID:???
>>841
山本五十六「皿回しは任せろー(aa略」

拍手[0回]

826 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 15:31:21.13 ID:???
昭和帝のエピソードは多いが明治帝の話があまり出ないので日清戦争中、
広島に大本営と御座所があった時の話を1つ。

明治帝が御座所を移されたのは「前線に近い場所で大元帥としての職務を全うして頂きたい」と
臣下が奏請したからだったが、いざ広島に着くと陛下の態度は立派なものだった。

玉座とその後ろに金屏風、壁に時計があるだけの御座所に
側近が安楽椅子ぐらい用意いたしましょうと言えば
「戦地にそのようなものがあるのか?」
冬場に備え、暖炉を用意しようとすれば
「出征将兵の苦労を思えば不便何かあらん」と断り
和平会議の見通しが立つまで皇后陛下他、宮中の女性が広島に来ることを許さなかったそうな。

蛇足かもしれないがふと東日本大震災に際し、節電に協力された今生陛下の態度に通じるものを感じた。

拍手[2回]

808 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/08/31(水) 16:02:59.28 ID:???
エピソードの多さでは水木先生に負けない山本長官の話。
トラックに滞在中たびたび海軍病院を見舞った山本長官。
病院船にも乗り込んで一人一人に言葉をかけて「お大切に」と帽子を脱いで病室を出てゆく。
病院船では順路を決めて院長が案内するはずが
長官は勝手気ままに隅の病室までお見舞いに行ったそうな。

さてある日海軍病院を見舞った山本長官。
ベッドの上にあどけない顔の少年兵が眼帯付けて座っていた。
山本長官ゆっくり近づき、肩に手をやり
「山本だよ、わかるか?」
少年兵は「長官…」とただ絶句。
院長から視神経がやられていると聞き、長官は
「名誉にかけて治さにゃならぬ」と激しい口調でいい、
少年兵には優しい声で
「海軍は見捨てやしないよ。また海の上で会おうよ」
と声をかけて行った。
少年兵はただただ声をあげ泣き伏したそうな…。

拍手[5回]

702 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 15:58:57.12 ID:???
20 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/04/16(木) 20:38:53.02 ID:qMxnwK8+0
広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉

市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」

そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う

自衛隊員「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」

拍手[11回]

701 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 15:53:37.30 ID:???
493 名前:なご[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 02:48:14 ID:G82vSG150
文芸春秋で自衛隊の面白い話が載ってた

自衛隊員A(以下A)「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」
自衛隊員B(いry「うえ、この間アブグレイブでイラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」
A「それが、どうも支援デモらしいぞ」
B「は? 支援デモ? 私怨じゃなくて? そんなデモ聞いたことねぇよ」
A「俺もねぇよ。ま、一応、本当に応援だった時の為に飲み物とアイスでも用意しておこや。暑いし」

デモ隊参上
彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた

A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」
B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」

デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。
自衛隊員見かねてゴミを拾う、すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。

そんなこんなで後日
米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」
自衛隊「あれ?」
米&英「あれだよあれ、支援デモ」
自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」
米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」
自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」

と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。
小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw

拍手[1回]

カウンター
ランキング
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
最新コメント
[09/02 名無し三等兵]
[04/21 名無し三等兵]
[04/18 名無し三等兵]
[02/10 名無し三等兵]
[02/10 名無し三等兵]
[02/28 名無し三等兵]
[09/07  ]
[08/29 名無し三等兵]
[08/23 名無しの幽霊さん]
[07/22 名無しの幽霊さん]
プロフィール
HN:
名無し@従軍記者
性別:
非公開
Twitter
バーコード
アクセス解析
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   戦時中、戦場でのほのぼのとした話@軍事板   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]