忍者ブログ
軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

573 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/10(日) 09:42:15.85 ID:???
2010年8月5日に発生したチリのコピアポ鉱山落盤事故で、
閉じ込められた鉱山作業員の救援物資のひとつとして送られたのは、
プチプチシートだった。
気泡をプチプチつぶすのが、ストレス解消になると。


「プチプチ」つぶして心の健康保って 
チリ落盤事故作業員に川上産業が寄贈


「プチプチ」(エアパッキン)製造大手の川上産業は、プチプチをつぶして遊ぶ
「プッチンスカット」を、チリ鉱山の落盤事故で閉じこめられている作業 員33人に、
在日チリ大使館を通じて贈ったと発表した。

「プチプチをつぶすことでストレスを少しでも癒し、
メンタルヘルスを保っていただければ」としてい る。

川上産業のサイトによると、プチプチは世界中で
つぶされまくっており、つぶしたくなるのは人間の本能。

「心理学的にプチプチはついプチプチしたくなる形で、優れた娯楽」だそうだ。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1009/30/news075.html

拍手[3回]

PR
543 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 11:26:16.20 ID:???
第八駆逐隊にバリ島奇襲攻略の命令が下った。
暗夜に敵艦影が見え、バリ島沖海戦が始まった。

海戦が終わりに近づいたところ、駆逐艦「朝潮」は異様な浮遊物を発見した。
見れば、敵兵が5,6人つかまっており、さかんに手をふっていた。
ロープで引き揚げてやったが、こちらにも向こうさんにも、言葉を通じる者は
いなく、彼らが愛嬌を振りまき、身ぶり手まねで、なにやらいってるが一向に
分からない。たった一つ分かったのは、どうやら「デロイテル」と、いってる
ことらしい、だけである。

われら乗員がめずらしがって、ビスケットや水、煙草などを進呈すると、ひじょうに
喜んで表情をくずす。
警戒兵をつけて彼らを監視するが、艦内の各所からは、みながかわるがわる
見学にやってくる。
彼らのひとりからお返しとして濡れた煙草をつかまされた乗員もいたが、
断ることもできず、お互い愛想笑いして握手をかわしていた。

「第八駆逐隊」太平洋血戦記 駆逐艦「朝潮」乗組、海軍兵曹長 藤田千代吉


544 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 12:31:29.55 ID:???
戦争がなければお互い仲良くなっていたかもしれないが
戦争がなければお互い知り合う事もなかった敵同士ではあるな


545 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 19:58:45.55 ID:???
>>543
ちゃんと捕虜として拘束しろよw

デロイエル乗員だとオランダ語か…
一人ぐらい英語のできるやついなかったのかねえ…?
駆逐艦じゃあ都合よくドイツ語系の言語ができる将校も乗ってないか

拍手[3回]

185 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 22:16:54.58 ID:???
アメリカ、ウエストバージニア州セーレム市警察での話。

ある夜、老人医療の専門病院から警察に通報が入った。
「患者の老人が処方薬を飲みたくないとだだをこねているうちに、精神状態が陸軍二等兵時代に戻ってしまい、
大声で号令をかけたりして、他の患者さんの迷惑になっている。
かれこれ1時間あまり『ドイツ軍が攻めてくる!』と叫びながら廊下を走り回っているので、
他の病院に移送したい、手を貸してもらえるだろうか?」

病院に急行したのは、ベテラン巡査部長と新人巡査の二人組。
新人「そういう頭のおかしいやつは、どうやって取り押さえるか考えておかないといけませんね」
ベテラン「相手はただの老人じゃないか、殺人犯なんかじゃない、よく考えて行動しろ」。

病院に着いたベテラン巡査部長が新人巡査を従えて老人の病室に入ると、老人は直立不動で敬礼、
「軍曹どの、自分はお国のために戦っております、勲章もたくさん頂いております」。
葉巻入れから王冠を取り出した老人に、ベテラン巡査部長、
「よし、よく頑張った。自分とここから撤退するんだ、急げ、敵はすぐそこまで迫っているぞ」。

ベテラン巡査部長に再び敬礼した老人、巡査部長のあとについてイチ、ニ、イチ、ニと行軍を始めた・・・が、
病院の玄関に待機していた救急車を見ると、その場にしゃがみこんで動かなくなった。

ベテラン巡査部長「心配するな、あれは自分の命令でやってきた援軍の野戦救急車だ。
さあ、後方は自分が見張る、早く乗り込め!」
命令?を受けた老人、さっと立ち上がり、すたすたと救急車に乗り込んでいったのである。

あきれ返った新人巡査「はあ?あれが援軍の野戦救急車ですか?」
ベテラン巡査部長「何が悪いんだ?じいさん、おとなしく移送されていったろう?」

拍手[2回]

165 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 23:42:26.34 ID:???
昭和50年春、エジプトのスエズ運河庁長官一行が来日、国鉄本社を訪れた。

「新幹線の運行管理技術をスエズ運河に適用できないだろうか?
第3次中東戦争で破壊された技術を復旧するにあたって、新技術のかたまりである新幹線を調べに来た、
協力してくれるなら、何とか導入したい。
実は運行管理技術はスエズ運河開通して以来、昔のままで、追突事故が絶えないのだ」。

当時のスエズ運河は全長169kmの単線、途中2箇所に行き違いのポイントがあり、
船が起こす波で土手の砂が崩れ落ちるのを防ぐため、航行制限速度は7・5ノットを厳守、
スエズ運河航行中はスエズ運河専属の水先案内人が乗船し、
運行管理は2・5kmごとに設けられた信号所が、昼は旗旒信号、夜は灯火信号で船の航行を管制する、
鉄道に置き換えるとローカル線の単線、それもふた昔前のようなシステムだったのである。

国鉄は船舶航法の違いから始めて鉄道との違いを洗い出し、国際法の資料も揃え、
昭和50年秋、現地に視察団を派遣する。
そこで視察団が見たものは、追突事故の原因である船の速度超過に対して信号所からスピーカーで警告するしか方法がない、
各信号所を結ぶVHF無線も聞き取りづらい、これでは事故が多いのも当然と思える実態であった。


166 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 23:43:11.88 ID:???
国鉄は新幹線のシステムをスエズ運河に置き換えた、全く新しい運行管理システムを提案した。

2・5kmごとの信号所を全廃し、信号所跡にはUHF無線の受信機を置く。
受信機は新たに設けられた中央指令所とケーブルで結ばれており、指令室にはスエズ運河全体を表示する巨大な照明盤を設置する。
スエズ運河を通行する船舶に乗船する水先案内人に、あらかじめ専用のUHF無線機とコード番号を与え、
信号所跡の受信機近くを通過すると、たちどころに照明盤に船の位置情報が表示されるようにする。
速度超過や事故が起きた場合には、UHF無線で指令室から水先案内人に指示が走る。

視察団が派遣されてから2年後、国鉄の提案通りの運行管理システムが完成すると、
第3次中東戦争の戦災復旧どころか、スエズ運河における追突事故は根絶されたのである。


167 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 01:47:15.78 ID:???
国鉄ですか。
やるなあ。


168 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 05:23:48.86 ID:???
国鉄の運行管理システムに目を付けるって所も凄いな


169 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 07:45:48.31 ID:???
両国の凄さだね。国鉄の管理システムに目を付けたエジプトも凄いし畑違いの船の事でも誠実に対処した国鉄も凄い。

拍手[5回]

140 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/12(日) 14:46:56.27 ID:???
光人社の○○よもやまばなしで読んだ記憶があるのだが

ある若手海軍士官が夜間に艦内の見回りをしていた
ふと、どこかから騒ぎ声が聞こえる
そこへ行ってみると、自分の部下たちが無断で酒盛りをしていた
これがばれたら自分も部下たちも処分されるのは間違いない
凍りつくように誰も言葉を発しない
その士官は下士官兵の輪の中に座り、無言で茶碗を持ち上げた
それに注げと言うことなのは誰の目にも分かった
恐る恐るその茶碗に隣の下士官が酒を注ぐ
士官はぐいっと飲み干し何も言わずに去っていった

その後、その士官は部下たちに尊敬されるようになった

拍手[3回]

130 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:58:40.15 ID:???
日露戦争開戦時、ロシア正教会で、日本を呪うミサが行われたそうな

1904年、日露戦争
1923年、関東大震災

祈りのスピードは人間の業だから光速を超えられない
神のみ業は科学なぞ超越するから、一瞬で届く

…ロシア科学アカデミーが出した結論
「神は、地球から少なくとも19光年以内の所におられる」


137 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/12(日) 06:15:20.84 ID:???
>>130
ピョートル・カピッツアの話じゃね?

 1904年の日露戦争の際に、ロシア正教会は全教会をあげて
 日本に天罰を 下すように神に祈りをささげた。
 結局なにも天罰は降りず、ロシアは負けた。
 20年後、日本で関東大震災が発生。
 ロシアの物理学者カピッツァはこの事実から
 「神はわれわれから9光年以内にいる」と結論を下したという。

拍手[1回]

766 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/12(月) 22:33:49.52 ID:???
ほのぼの話ではないんだけど、いい話スレが見当たらなかったもので・・


数年前に8CHでやってたTV番組。

ある特攻隊兵士と、当時兵士が居候をしていた家の家族を
追ったドキュメンタリー。
ハタチそこそこの特攻隊員は、居候している家の14歳の娘と恋仲に。
しかし出撃の日が来て結局兵士は還らぬ人に。
二人にとってさぞかし辛いことであったであろう。
もしかしたらその娘さんはその気持ちを一生引きずってしまうのではないか?
その後の一生はどうなってしまうのか?と思った。

番組はその娘さんのその後を追った。
娘さん(今はもちろんおばあさん)は別の地で結婚し、幸せに暮らしていた。
当時のことを覚えているか?と尋ねられ、
重々しい雰囲気は微塵もなく、清々しい笑顔で、
「もちろん覚えています、忘れられません。
 彼のことが好きだった事は大事な思い出です。
 人を好きなるということを教えてもらって、
 おかげで私は今幸せになることができました。
 感謝しています!」
とおっしゃっていたのを聞き、何だかとても安心した。
何というか、
戦死された特攻隊員もきっと安心しているのではないかと感じた。


よく恋人に戦死されてしまった人の悲しい話をよく聞くが、
私はこのTVを見て、彼らにとって戦争は一つの青春なんだなと感じた。

拍手[5回]

756 名前:愚連みらー[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 02:48:56.74 ID:???
開戦前の日米関係で育ち、ジャズの魅力にどっぷり浸かってしまった中産階級士官の話

戦争中でも、住宅地では割と平気に蓄音機を鳴らしていた。
時々憲兵が怒鳴りに来るが、外国語に堪能な士官は、ドイツ語と英語の違いがわからぬ憲兵にジャズをドイツの音楽であるとニセの解説をすると、憲兵は感心して帰って行った。

いよいよ日米開戦になると、士官は爆撃機搭乗員となった。
この頃、グレンミラーが空軍でバンドを指揮していることは日本でも知られていた。
爆撃機に乗った士官はレシーバーの周波数を米軍放送に合わせてジャズを聴くのが最大の楽しみだった。
しかめっ面で必死の探査を装いながら、本土では聞けない放送に心はウキウキ。
この士官こそ、日本ホットクラブ会長の故石原康行氏。

石原氏の前の会長故油井正一氏は、陸軍の高射砲手だった。
もしB29にグレンミラーが乗っていたら、自分は死んでもいいから当たりませんように!
と、命令からわざと外して高射砲を撃ちまくった。
戦後、日本が負けたのは自分の高射砲にも責任がある、と思い悩んだ。

拍手[4回]

677 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2012/02/05(日) 14:15:54.18 ID:G+N4vmkH
 現代編になってしまうが。

 俺は高校の時、1年間USAにホームステイしていた。
 ところが当時、米国は不況真っ盛り。もちろん経済的負担の大きいホストファミリーも不足状態。
 そんな中、俺は退役軍人の家にステイすることになってしまう。ファミリー自体は私のことをとてもよくしてくれたが、となり(といっても歩いて15分はかかるが)に住んでいたホストファザー父は私のことを邪険に扱う。
 
 さて、ある日、ホストファザーに連れられて、ホストファザー父の家に行ったところ、ホストファザー父氏、テレビで第三次ソロモン海戦についてやっている番組を見ていた。ホストファザーが私に囁く「彼、この戦いに参加してたんだ」。

 それを聞いて仰天、なんと私の大叔父もこの戦いに参加していた。ホストファザーがホストファザー父にそのことを教えると、これまでの態度が一点、「詳しく聞かせてくれ」と。

 ホストファザー父氏はなんと戦艦サウスダコタの砲術士官。うちの大叔父は重巡愛宕の航海士。
 
 昨日の敵は今日の友というやつでしょうか。それ以降、ホストファザー父氏は私のことを大変、気に入り、しょっちゅう、私と話をしたり食事に行く仲になりました。

 一度だけ、ホストファザー父の昔の同僚、つまりサウスダコタの別の乗組員と会う機会があって紹介してもらいました。

 「こいつのじいさん、あの時のタフな艦の航海士だったんだぜ」
 
 ただ、、、ホストファザー父氏、ちょっとボケが始まっていたので、後になってどうも大叔父の艦を霧島と勘違いしているフシがあった。訂正しとけばよかったのかな、、、

拍手[17回]

285 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 20:38:48.07 ID:???
ウチの納戸を探せば、陸軍の将校だったじいちゃんがフィリピンで撮ったアルバムが出てくるはず。

昔、じいちゃんが亡くなった後、遺品整理してて見つけたんだが、生前家族にも見せてくれなかった。

写真は戦場の凄惨な風景・・・じゃなくて、フィリピンの長閑な農村風景とか戦友とのスナップとか、
隠すような内容ではないのだが、ばあちゃんが凄いやきもち焼きで、「農作業をするフィリピンの農婦」
みたいな写真でも怒ったから隠していたらしい。


286 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 21:19:46.88 ID:???
ばあちゃんww


287 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 22:18:51.09 ID:???
なんだよ、お惚気かよw

拍手[7回]

カウンター
ランキング
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
最新コメント
[09/02 名無し三等兵]
[04/21 名無し三等兵]
[04/18 名無し三等兵]
[02/10 名無し三等兵]
[02/10 名無し三等兵]
[02/28 名無し三等兵]
[09/07  ]
[08/29 名無し三等兵]
[08/23 名無しの幽霊さん]
[07/22 名無しの幽霊さん]
プロフィール
HN:
名無し@従軍記者
性別:
非公開
Twitter
バーコード
アクセス解析
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   戦時中、戦場でのほのぼのとした話@軍事板   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]