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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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210 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/09/07(土) 22:00:46.55 ID:???
>>208-209
詳しくありがとう。お礼に一つほのぼの成分を。

 20世紀初頭、モロッコ北部のリフ山地で戦争が起こった。二つの不帰順山岳の間に前線陣地を構えたスペイン軍部隊は、ある晩モロッコ軍側の軍使一行を迎え入れた。
 スペイン軍の大尉は茶を出して彼をもてなし、礼節をわきまえた軍使もそれに答える。しかし、共に茶を飲んでいると銃声が聞こえ始めた。東方の山岳部族の一団がこの陣地に夜襲をかけて来たのだ。困ったのはスペイン軍大尉である。

大尉「申し訳ないが、あなた方の同胞が攻撃してきているので、退去していただけないだろうか……」
軍使「それは出来ない。何故なら我々は今晩、あなたの客人だからだ。貴官を見捨て去ることは神が許さないであろう……」

 軍使一行はその言葉通り、大尉の部隊に加わって陣地を救った上で、やっと自分たちの鷲の巣(恐らく断崖陣地)へ登っていった。

 それから暫く経ち、今度は彼の軍使の部隊が陣地を攻撃しようとした。その前日、敵軍は再度軍使を送った。
軍使「先の夜、われらは貴官をお援けした……」
大尉「そのとおりだ……」
軍使「われらは、貴官の為に、小銃弾三百余を放った……」
大尉「そのとおりだ……」
軍使「それを我らに返してもらえまいか……」
 この求めに、気位の高い大尉は、相手の気高さゆえに、自分が受けた利益を利用しかねた。彼は自分に対して使われるであろう弾薬を返してやったという。

サン=テグジュペリ著『人間の土地』より

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80 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/08/06(火) 15:19:28.37 ID:???
うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。

婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。

当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。

その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。
弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。

この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。

黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」

婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である
黄色のヒモを毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。

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60 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/24(水) 12:03:09.75 ID:???
西欧戦線派遣部隊司令官に任命されたマーシャル大将が、回顧録に綴った話

時は第一次世界大戦
前線へ赴く道中の将校らがマーシャルの指揮所に立ち寄った
皆が自らの体験談を自慢し、武勇伝を語り合っていたところ、ある一人の師団長が立ち上がった
彼は異例な事に、自らの作戦の失敗を腹蔵なく打ち明けたのだ
まかり間違えば、不名誉な罷免が待ちかまえる事になるかも知れぬ。しかし彼はそれを恐れなかった
その作戦の問題点と、それによって何が起きたかを指摘し、「私の名誉を守る事よりも、私の失敗の教訓を米軍全体に活かす事が大事だ」と述べる彼に、マーシャルは深い感銘を受けた

後日、本国から「彼を罷免せよ」との圧力があったが、マーシャルはこれをはねのけた
そして数週間後、例の師団は歴史に残る抜群の功績をあげたという

戦術の極意で最も大切なことは「私心のない平常心を保つこと」なのだ

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52 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 14:28:16.74 ID:???
キンメルの次に太平洋軍司令長官になったニミッツの訓示
(意訳)
「おらあテキサスの田舎町の生まれで、海なんてもの見たことなかっただ
あるときエビっていう海の生き物を食ったが、どえらく美味かった
こんな美味いものがある海ってのはどんなとこなんだべ、と思ったのが海軍に志願したきっかけだべ
エビってのは脱皮したら皮がふにゃふにゃで、敵に襲われたらひとたまりもねえべ
だんからあいつらは岩の間に隠れて、皮が硬くなるまでじっとしとる
んで、皮ができあがって、やっとのことさ餌とりに出かけるんだ
今のおいらたちは、その脱皮したばかりのエビなんだべさ
苦しい時だが我慢して、皮が硬くなるように努力しなきゃなんね」

この訓示を聞いて戦意が衰えていた真珠湾の将兵の士気が上がったとか

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983 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 14:46:50.39 ID:???
南方軍総司令部の参謀長がマレー、インドシナ地域を飛行機で視察するため、
閣下ご一行を運ぶ役目となっていた清水陸軍大尉。

スマトラ島のメダンで市街地の酒保に行き、内地の香りのする料理を
食べていたときの事。
同伴の上等兵が、給仕のインドシナ娘に、日本語は通じないと思って
「おい」、「おい」と呼んでいたら、娘から手厳しく、
「女性においおいって、兵隊さん、失礼でしょ」と現地訛りの日本語で
たしなめられた。
これには、上等兵も清水陸軍大尉も「まいった、まいった」と頭をかいた。

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863 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/25(土) 14:09:50.25 ID:???
ムッソリーニはドイツの足を引っ張ったという観があるが、ムッソリーニも
ドイツに振り回された。

1943年七月に連合軍がシシリー島に上陸すると、突如ファシスト党幹部に
反乱を起こされ、ムッソリーニは逮捕された。バドリオ新政権は連合軍と
休戦したが、ヒトラーのムッソリーニ救出により、北イタリアに「イタリア
社会共和国」を樹立してムッソリーニは戦争継続の政権を握った。(傀儡であったが)

ところが戦後に明らかにされたところによると、大戦末期にイタリアを占領
したドイツ軍は、ムッソリーニに内密で連合軍への降伏を交渉しており、
それを知ったムッソリーニは「ドイツは最後まで余をだましおった!」と
激怒したという。

そういうムッソリーニだけに日本には最後まで強い信頼感を寄せ、
時の日本大使館に個人的な重要書類を委託し、これはいまでもスイス銀行に
保管されてあるのことである。
また日本の潜水艦で日本に渡航する計画も日本側から出されたが、
ムッソリーニは「好意は有難いが、余はイタリアで最後を迎えたい」と
断ったともいわれる。

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665 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 03:37:43.28 ID:???
サイパン島に上陸した米軍を叩くため、銀河爆撃隊の護衛となった
零戦「虎部隊」の菅原氏。
米軍の対空砲火で被弾し、機体が火達磨になってアスリート飛行場に強行着陸
したが、そこはすでに米軍の占領下におかれていた。

燃える機体からひきはなされ、大ヤケドを負っている菅原氏に米兵が数十人とりまき、
外科治療を行い、一段落して点滴治療がはじまった直後に、突然に銃撃が始まった。

薄暮の日本兵の反撃である。銃撃がはじまった途端、菅原氏のまわりにいた
米兵はすばやく掩体壕の下に掘られた穴に避退し、残ったのは衛生兵と菅原氏の
二人のみになった。

衛生兵は激しい銃撃になんら動ずる気色もなく、腹ばいになって、私の点滴に
注目していた。
この衛生兵の態度には、すでに死を覚悟していた菅原氏でさえ、顔の上二、三十センチ
を飛ぶ銃弾には、あまりよい気持ちがしなかったから、その任務に忠実なことに
感心させられた。

零戦「虎部隊」マリアナ沖の痛恨 元海軍上飛曹 菅原氏


666 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 12:27:05.76 ID:???
侍魂と開拓者精神といったとこか。


667 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 16:33:18.49 ID:???
>>665
その菅原氏は結局生きながらえたのか(だから今我々が知ることができるのだろうが)
それにしても衛生兵gj


668 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 20:17:40.22 ID:???
>>667
まさに衛生兵魂。
例えは違うけど「軍医のお笑い従軍記」で著者の堀慶介先生が敵機の機銃掃射の真っ只中で手術する話があったなあ。
怖かったけど「手術中に死ぬなら医者として本望」と腹括って手術したと。

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648 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 02:45:09.04 ID:???
ナイトスクープじゃないけど、アメリカ本土を水偵で爆撃したパイロットが
現代の航空機で再び飛行するドキュメンタリーがあったな 米側のパイロット
が結構気を使っていたのが印象的だった 



649 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 10:58:48.94 ID:???
>米側のパイロットが結構気を使っていたのが印象的だった 

どういう意味で?



650 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 16:15:32.77 ID:???
被害は森林火災程度だけどアメリカの歴史上唯一の外国軍用機による空襲で
成功させたパイロットはアメリカだとすごい英雄で名誉市民になって
後々植林等の慈善活動が主な理由だけどその戦果も込みでレーガン大統領から星条旗を送られてるくらい

そんな人に万が一があったら色々と大変なことになるだろ

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633 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 20:33:23.04 ID:???
PKOか何かでインド兵が自衛隊の医官に盲腸の手術してもらい
数年後インドで旅行者の日本人に親切にしてくれた話と似てるな

南方軍が収容されたタイでは労務作業の間にインド兵がこっそり
缶ビールやナンを分けてくれたそうだ
食堂勤務のインドネシア人も手伝いの日本兵にあまった焼き飯を
飯ごうに詰め水筒にはコーヒーを満たしてくれて
「今度は日本が勝つ」と励ましてくれたという

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606 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 01:12:41.83 ID:???
86 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2013/01/02(水) 21:06:32.68 ID:0LIY2d34O
江田島にある、海上自衛隊の第一術科学校には「教育参考館」と言う施設がある。
ここには山本元帥や東郷元帥、ネルソン提督、旧海軍縁の品々が展示されているんだが、ここでの体験談。
夏の昼下がり、ここには観光客も訪れるんだが、施設が施設だけに見学時間や時期によっては全く人が居ないことがある。
俺は自衛官だったから案内も着かず、同期と二人で見学してた。
ある部屋を見て廻っていたとき、背後から黒い袖をした誰かに袖口を引かれた。
思わず振り向いたら、夏ばなのに黒い冬制服姿の男が次の展示室に入っていくところで、不思議に思って後を追ったんだけど、無人…
周りを見回して納得したね。
そこは特攻隊員の遺書の部屋だったんだよ。

他にも沢山このての経験はあるし、体験談も聞いたけど、恐怖心は無いね。
英霊と言っても、先輩後輩の仲だしな。

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