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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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43 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/12/04(月) 13:03:01 ID:???
 別スレに書いたけど、流れに蹴られたので、こっちに。

  もう随分昔に亡くなっ漏れのじーちゃん、18才で陸軍に志願、勉強して主計兵になり、途中退役したり、
また召集されたりしながら、終戦時には大尉だった。
そのじーちゃんから聞いたのだが、戦時中はフィリピンのどこかの島にいたそうで、港に海軍のフネが
入ってくるとすっ飛んで行き、海軍の主計と談判、お互いの物資を交換したそうだ。
 ある時、酒と交換で砂糖をたくさん貰ったので、アズキも使って汁粉を作って部隊に配給したら、
兵隊に大変喜ばれたそうだ。甘味に飢えてたんだろうなぁ・・・。


46 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/12/04(月) 16:23:59 ID:???
>>43
新兵は食えなかったんだろうな、可愛そうに。


47 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/12/04(月) 17:43:04 ID:???
>46
 新兵に食べさせたかどうかまでは聞いてないから断言は出来んが、じーちゃんの性格からいって
新兵イジメをしたとは思えない。それにフィリピンとはいえ、まだ日本の羽振りが良かった頃だったし。

 戦前、まだのんびりしていた時代にじーちゃんが地元の連隊にいた時、入営してくる新兵の出身を
調べ、同郷の兵がいると自室に呼んだそうだ。
 呼ばれた新兵は、連隊の主計士官殿からの呼び出しに(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルでやって来た
ところを、茶や菓子でもてなし、その後も色々面倒をみたそうだ。そのため除隊して郷里に戻った
兵隊は、じーちゃんの兄弟に礼を言いに来たそうで、貧乏農家だったが肩身の狭い思いをしないで
済んだそうだ。


48 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/12/04(月) 19:15:36 ID:???
>>47
そうか……人情味の有るじいちゃんだったんだな。新兵云々は撤回しよう。
いい話だったよ。

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42 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/12/02(土) 03:56:18 ID:???
私の生まれ育った地域は、昔ながらの閉鎖的で過疎化の東北の農村です。
近くに県庁所在地がありましたが、市街地郊外に誤射?空襲一発のみ。
県自体が当時から糞だったのもあり、近隣一帯は爆撃目標には程遠かった。

農村故、隣近所は姻戚関係の者も多く、食料も恵まれていたようです。
赤紙はもちろん届きましたが、「出征すれば再び生きて祖国の土を踏まず」です。
出征した者は死んだ者として、表面上は変わりない生活が続いたそうです。
・・・田舎故、食料豊富故、皆親戚!故に、変に平和ボケした村落だったのです。

しかし、そんな村落にも一応「防空壕」があったんですよ。
本家筋に当たる家が、万が一の為に掘り続けたようです。横穴式。
結局、過疎農村では戦時中に使われる事は一度もありませんでした。
防空壕が存在する事すら、掘っていた本家一族しら知らない有様。

その防空壕が活躍し出したのは1980年代から。子供の秘密基地です。
子供の頃「探検隊ごっこ」をやって爺様に酷く叱られたものでした。
今でもひっそりと、金網フェンスに閉ざされた防空壕があります。
今度、田舎に帰ったら、あの防空壕に行ってみようと思います。

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32 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/11/28(火) 17:29:03 ID:???
東郷平八郎、イギリスで食ったビーフシチューがウマーだったので、部下に作らせようとする。
   ↓
しかしジジイ、具にジャガイモ、ニンジン、タマネギ、肉が入っていたことだけ告げて、部下にとって完全に未知の料理である、「びーふしちゅー」を作れと、イジメレベルの無茶な命令をする。
   ↓
しかし部下も「外国の料理」と言われてんのに、醤油とみりんで味付けするという開き直りをみせる。
   ↓
肉じゃが誕生


34 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/11/30(木) 06:31:41 ID:???
前スレでも書き込んだ、ばぁちゃん特製、ビーフシチュー。
気になったので詳しく調べた。

初めて食べたのは戦前であった。
大阪に買い物に行った際、洋食屋に立ち寄った所、シチューなるメニューを見つけ好奇心で注文。
ばぁちゃん、あまりの旨さに感動し料理人にレシピを教わった。
当時はまだ、片栗粉でトロミが付いていたが、現代における我が家では片栗粉は入れない事になっている。
「高井家食卓文化史」より抜粋

>>32の肉じゃがをスープにして(みりん抜きで)
小麦粉ルゥのトロミを片栗粉で表現した物らしい。

最初から肉じゃがが汁気の少ない食べ物だったのかと疑問が残る。東郷さん好きだし、ちょっとルーツを探ってみるわ。

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922 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/11/11(土) 12:16:29 ID:u6UNJTrF
銀河によるウルシー梓特別攻撃隊の一員、原田幸男上飛曹と、
日本赤十字社の看護婦、田島美子は、わずかな入院期間に知り合い
その後も文通を重ねて相思相愛の仲になった。

しばらくして原田から「君を汚したくない」と
写真が返送されてきたので田島は不思議に思ったが、
間もなく彼の特攻戦死を新聞で目にしたのだった。


929 名前:922[] 投稿日:2006/11/11(土) 20:38:14 ID:u6UNJTrF
>>922のつづき(田島美子さんの言葉)

彼の散った南海の海へ続く海水を掌にすくって、
「原田さんなぜ私を残して死んでしまったの…」と涙を流し、
私の涙が彼の眠る海に届くように泣きじゃくりました。

もし今、自分が死んだら、涙を流してくれる人は何人いるだろうか。

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862 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/27(金) 11:49:58 ID:???
終戦間際の比島でのはなし
「その頃の我々の部隊は全くの敗残兵で、武器も食料もない。村から山、山から密林へ
と敵に追い立てられて逃げ回っていた。
もともと始めは30人程の部隊で当分困らないだけの糧秣を持っていたが、敵に追われて
いるうちに、部隊にはぐれた連中が加わって数倍に人数がふくれあがってしまった。
日本軍もその頃は、戦いより生き抜くのが精一杯。ところがその部隊長は無類の善人で
苦しいのはお互い様だと、皆に食料を分け続けた。人数が増え続けたから食料も心細く
なった。かといって部隊長は配給を打ち切れるような人ではないし、善人で部下の信望
も厚かったから、「隊長の道楽には困ったものだ」と眉をひそめる者はあっても、表立
って非難する者はなかった。今考えると、まことに偉大な人徳です。
 それでまぁ我々も機会があれば少しでも食料だけはかき集めておこうといる方針だった。

そんな時誰が聞きつけたのか『近くの山に、親日の山賊部隊がいる。それは原住民と支那人
だか半島人だかの混血が酋長で、原住民を率いて米軍基地を襲っては、食料や弾薬を盗んで
きて贅沢三昧で暮らしている。』との話があった。始めはそんな連中がいるわけないから
米比軍のゲリラの間違いかではないかと思ったが、色々聞いてみると敵ではないことは確から
しい。一つ相手を確かめに行って、都合によっては物資を巻き上げようというので、私(少尉)
と曹長、それに軍曹と兵の何人かで出かけた。

その原住民部隊の本部は、山間部の窪地の原住民小屋で、普通に行ったら探せないような
ところだった。
手近な住民に近づいても我々を警戒せず、身振り手振りで尋ねると案内してくれた。
すると小屋の中に円座になった原住民の真ん中に、若干色白な一癖も二癖もありそうな、
支那人との混血っぽいヤツが偉そうに米軍のレーションらしきものをパクついている。
そしてそいつと交渉開始(英語)した。」つづく

863 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/27(金) 11:51:01 ID:???
つづき

少尉「我々は君たちを白人の横暴から解放するために当地に来ている。日本軍に積極的に
   協力してもらいたい」

酋長「(゚Д゚)ハァ?だったら、我々に何かしらの援助してくれるのが筋だろ?
   何かくれるのかヨ (・∀・)ニヤニヤ」(乱暴な英語)

曹長(短気な性格)「少尉、こいつら我々をなめきってます。ここは力づくで…(#゚Д゚)」(日本語)

少尉「まぁマテ。もうちょっと話合ってからでも遅くはない。こいつら位だったらいつでも…」(日本語)

酋長「(´・ω・`)ボソボソ」(原住民語?でなにやら呟く)

曹長「Σ(゚ロ゚)くぁwせdfrtgふじこl!!!!」

酋長「Σ(゚ロ゚)くぁwせdfrtgふじこlp;!!!!」

曹長&酋長「くぁwせdfrtgふじこ( ´∀`)人(´∀` ) ナカーマ 」

少尉「( ゚д゚)ポカーン??????????」

つづく

864 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/27(金) 11:51:35 ID:???
つづき

実はその酋長は混血などではなく、生粋の日本人でしかも日本軍の情報将校少佐。
原住民を日本軍に協力させるべく工作活動を行っているとのこと。その少佐(酋長)
の出身地は九州、曹長も九州同地方の出身。少佐が少尉と曹長の日本語の会話を聞いて、
「勝手なこと言ってやがる」と方言で呟いたところ、曹長が懐かしい方言を聞きつけて
方言による会話となって意気投合となった。少尉は九州の方言とすら判らなかったので
呆然と見守るのみだったと。

で、こちらは少尉以下、相手は佐官ということが判り、少尉らが緊張していると、
「そんなにかしこまらないでよろしいw日本軍人同士じゃないかw」と米軍から
くすねてきたらしいパイナップルの缶詰やらレーションやらをかなり分けて
もらったとさ。
この元少尉は終戦後に降伏を知らない旧軍兵が南方で発見されるたびに「酋長少佐」
のことを思い出したとのこと。
ひょっとして現地に残り原住民の酋長としてよろしくやっているのではないかと。

余談だがちなみにこの「酋長少佐」は無事に復員した。
ただし、情報将校ではあったが、実は終戦時の階級は中尉。
どうもナメられそうだったのでハッタリをかましたらしいw

おしまい

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844 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/26(木) 10:35:43 ID:???
私の住んでいる町にも、終戦直後米軍が進駐してきて、郊外に基地を建設した
米軍は半年程度駐留していたが、撤退するときに基地の野戦病院で使っていた
医療用ベッド20台を、我が町に寄付していった。
このベッドは、軍隊用のためか非常に頑丈で、なんと最後の5台が今年の8月まで
60年に渡って使い続けられていた

ちなみに、かなりのクソガキだった私の親父は、仲間数人と共に、米軍基地に忍びこもうとして見つかり
米兵は空に向けて威嚇発砲したので、命からがら逃げ帰ってきたとか、撃たれないでよかったw

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793 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/10/24(火) 17:48:04 ID:M4rmudXl
ちなみに、家の爺ちゃんはニューギニアから生還できた運が良い人だが、

ニューギニアで5・6人で孤立してたらしい。
腹がへってへってどうしようもなかった時に、米軍(オーストラリアかもしれんが)からスピーカーで、
「戦争は終わりましたからトウコウシナサーーイ」とたどたどしい日本語で声が。

上官に連絡とろうにもとれない状況で士官もいない状況だったので、
「罠かもしれない。嘘ついてるかもしれない」と思ってたらしい。

すると一人の戦友が「降伏してもいいが誠意みせんかーーーい」とヤケクソでいったらしい。
するとなにか金属の塊が投げ入れられてきた。手榴弾か思って逃げようとしたらなんと、コンビーフや魚の缶詰。
情けないと思いながらも「まぁ、誠意を示してくれたわけだし、お礼はいわないと・・・」と兵士全員で自分自身を説得しながらあっさり降伏。

どうやらアメさんのそこの現地の部隊に日本語がかなりできる人がいたらしく、その投げ入れられた缶詰ほど旨いものはこの世になかったと、
よく語っていましたな。

ただほのぼのとしてはいるんですが、缶詰が投げ込んでくれなければ、ヤケになってみんな最後まで戦っただろうといってました。
いっきに緊張の糸がほぐれたからこそ、降伏できたと。
正直、缶詰投げ込んだ連合軍の兵士がいなければ私すら生まれていないと思うと、ほのぼのしてないかも。

ちなみに捕まってから食わされたバターライスも旨くて旨くていまだに思い出に残ってるとよく言ってました。

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733 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 00:05:32 ID:???
ほのぼの。

関東軍として駐留していた部隊で、「風呂」を物珍しそうに見ている現地雇用の人に
就業時間後に「風呂に入る」事を薦めたら、これが大喜び。
元々風呂に入る習慣が無く、川で身体洗ってたらしいから当然っちゃ当然。
集落単位で「もらい湯」しに来てる方に、仲良く入ってたりとか、士官の家族ぐるみで入ってたとか。
向こうの人もお礼として、野菜の差し入れだ、家庭菜園手伝うだとなんだかんだと終戦まで手伝ったり、終戦後も部隊の撤退に協力してた。

って話を以前、聞いた事があります。

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719 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:2006/10/18(水) 09:39:00 ID:???
 ある老柔道家の述懐。
 彼が徴兵されて終戦後、ソ連に抑留されていた折、十月の革命記念日に、捕虜とロシア兵対抗の格闘技の試合が催され、
(ニュアンスからすると、柔道やレスリング、またはサンボの形式というより、どうやらヴァーリ・トゥードに近いタイマン試合だったのかも知れない)
 彼は日本柔道の意地を見せてやるとばかりに、相手のロシア兵を絞め落として勝ったところ、翌日から捕虜たちの扱いがいきなり丁重になったとの話。

 祝日の余興にいわば喧嘩試合をやったり、喧嘩試合の強さで扱いが変わるあたり、その地の兵隊たちは、田舎の不良青少年をかき集めた、ガラは悪いが案外素朴な連中だったのかもしれない。


720 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/18(水) 10:19:45 ID:???
>>719
ソ連では、懲役刑をくらった軽から中程度の犯罪者に、服役する代わりに収容所の看守をやらせたという話を聞いとります
ある看守は、出来心で窃盗事件を起こして捕まり、服役するか看守を志願するか選べと脅かされ、しかたなく看守を選んだが
「こんな地の果てに行かされると思わなかった」と嘆いていたとかw


721 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/10/18(水) 14:24:52 ID:lzVKDsYm
>>720
カムチャッカ当りに流された人も軽犯罪で捕まり、そこで選択を迫られて・・・・・・・・ って人も多いらしいなw
日本に来るロシア人で程度の悪いのはそれもあるかもしれないな。

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646 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/10/10(火) 18:52:07 ID:i/vSv1yL
WW2の東部戦線でソ連軍の女性士官が捕虜となり、独逸の戦況が悪化して後送もできず、
ロシア語のできるドイツ陸軍下士官と塹壕とか前線近くの補給所で手伝いをさせながら何ヶ月も
共同生活を送ってたとう。そのうちドイツが負けてソ連軍女性士官は元の部隊に帰り、
ドイツ陸軍下士官は捕虜となり抑留後、故郷の東ドイツに復員した。

しばらくするとソ連軍女性元士官が東ドイツに行って気心の知れた元ドイツ下士官を見つけて結婚したという
話をこの板でみかけたけど、そんなにソ連では男が少なかったんだろうか?

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