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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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648 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 02:45:09.04 ID:???
ナイトスクープじゃないけど、アメリカ本土を水偵で爆撃したパイロットが
現代の航空機で再び飛行するドキュメンタリーがあったな 米側のパイロット
が結構気を使っていたのが印象的だった 



649 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 10:58:48.94 ID:???
>米側のパイロットが結構気を使っていたのが印象的だった 

どういう意味で?



650 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 16:15:32.77 ID:???
被害は森林火災程度だけどアメリカの歴史上唯一の外国軍用機による空襲で
成功させたパイロットはアメリカだとすごい英雄で名誉市民になって
後々植林等の慈善活動が主な理由だけどその戦果も込みでレーガン大統領から星条旗を送られてるくらい

そんな人に万が一があったら色々と大変なことになるだろ

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640 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 11:36:15.17 ID:???
戦後の話ではあるが。
兄が昭和十七年に海軍志願で出征し、海軍整備兵として、軍務に従事して
いたため、三神氏は零戦を意識していた。

三神氏は、戦後三十数年ぶりに零戦が日本の空を飛ぶ。
というのを聞きつけ、セミネ・エアポート(宮城県)の零戦ショーへ馳せ参じた。

ショーの零戦は、滑走路すれすれの超低空で観衆の目前をかすめ、エンジン
全開で上昇反転、水平垂直の背面飛行にうつり・・・と、華麗な美技を繰り返した。
パイロットは二十五歳のアメリカ人というが、三神氏のとなりにいた甲飛三期の
方が、「なかなかやるな」と感心しておられた。

三神氏は、この零戦にあるいは手をかけたかもしれない兄の姿を思い浮かべながら
シャッターを切り、八ミリを回していた。

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637 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 21:17:27.25 ID:???
空母信濃が横須賀から呉への初航海で潜水艦から雷撃を受けた後、
艦内各所では応急作業要員が懸命に防水措置&修理回復作業を続けていた。

信濃には回航中も工事続行のため横須賀海軍工廠の工員が千名以上乗艦していたが、
阿部艦長は彼らは一般人であり、保護ならびに足手まといにならないようにとの配慮から、
「工廠の工員、上甲板」の命令を出した。

信濃の艦内は電源喪失でスピーカーが使えないため、
命令伝達は伝令員が「工員・上甲板」と言って各所を走り回った。

ところが、この伝令が人づてで「総員・上甲板」と誤って聞き取られて、
かなりの応急作業要員が上甲板に上がってしまい、艦の沈没を早めることとなった。
伝言ゲーム恐るべし。。。

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633 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 20:33:23.04 ID:???
PKOか何かでインド兵が自衛隊の医官に盲腸の手術してもらい
数年後インドで旅行者の日本人に親切にしてくれた話と似てるな

南方軍が収容されたタイでは労務作業の間にインド兵がこっそり
缶ビールやナンを分けてくれたそうだ
食堂勤務のインドネシア人も手伝いの日本兵にあまった焼き飯を
飯ごうに詰め水筒にはコーヒーを満たしてくれて
「今度は日本が勝つ」と励ましてくれたという

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613 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 10:17:58.75 ID:???
昔、合宿で一緒に訓練をした操縦幹部から聞いた話。
その人は演習の際、近接した航空団にフェ―カ―としてF-15で出発した。
結構長丁場なので缶コーヒーを持ちこみ、ちびちび飲みながらフライト、
計画通り相手側航空団との訓練後、基地に帰投した。機体から降りようと
して、缶が無いのに気がついた。機内を見廻すとコーヒーの染みが点々と
座席の後ろ側についていて、奥の穴で染みが途切れている。
整備に頭を下げて取り出すよう頼んだが、取り出せずIRANまでそのままに。
そのため飛行中はカラカラ後ろから音が聞こえる状態が続いたとか。

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607 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 23:18:47.11 ID:???
ほのぼのとした話というよりオカ板に書くべき怖い話になるけど書いちゃってもいいかな?

日本海軍がセレベス島のケンダリーを占領した一月二十四日の後のこと。
その日の午後、ケンダリーに到着した一○○一空の隊員達が飛行長の命令で宿舎を探し、オランダ軍のとある兵舎を見つけた。
しかしその兵舎は実は、夜の十二時が過ぎると必ず窓際に寝ていた誰かがうなされ、大声を上げてとび起きるという・・・。
こうした事件はあとを断たず、毎晩続いたそうな・・・。

九六式陸攻の機長であった東秋夫一飛曹は、ペアをからかいながらも実験台にたってみることにした。

午前三時頃、自身の足元に黒いものが近づいたかと思うと、足先から痺れ始めた。
足を動かそうとするが、その足は動かない。
そのうち胸を圧迫し、どうにもならなくなった東一飛曹は、横にある拳銃を握った。
途端に、手に力が入り、幽霊を払いのけたのだった・・・。
<続く>


608 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/24(日) 23:33:56.57 ID:???
<続き>
気がつくと東一飛曹の体はびっしょり汗をかき、隣の部下が彼をさかんに揺さぶっていた。
部下曰く、あまりの大声にびっくりしました、という。

一○○一空総員は仕方なく一キロ離れた西の方にあるトタン屋根の小屋に引っ越すことにした。
ケンダリーの幽霊話は南方各地の海軍航空隊に広まったそうな。

しかし引っ越した先のトタン小屋でも同じ事は毎夜起こった。
しまいには入院患者が出だし、不寝の番兵までがうなされる始末だったという・・・。

<『奇蹟の中攻隊 予科練一期生の生還』(著 東秋夫 光人社NF文庫)より>



609 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 00:23:34.18 ID:???
>不寝の番兵までがうなされる
不寝番が寝てちゃダメだろ 幻覚を見てもダメだろ

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606 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 01:12:41.83 ID:???
86 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2013/01/02(水) 21:06:32.68 ID:0LIY2d34O
江田島にある、海上自衛隊の第一術科学校には「教育参考館」と言う施設がある。
ここには山本元帥や東郷元帥、ネルソン提督、旧海軍縁の品々が展示されているんだが、ここでの体験談。
夏の昼下がり、ここには観光客も訪れるんだが、施設が施設だけに見学時間や時期によっては全く人が居ないことがある。
俺は自衛官だったから案内も着かず、同期と二人で見学してた。
ある部屋を見て廻っていたとき、背後から黒い袖をした誰かに袖口を引かれた。
思わず振り向いたら、夏ばなのに黒い冬制服姿の男が次の展示室に入っていくところで、不思議に思って後を追ったんだけど、無人…
周りを見回して納得したね。
そこは特攻隊員の遺書の部屋だったんだよ。

他にも沢山このての経験はあるし、体験談も聞いたけど、恐怖心は無いね。
英霊と言っても、先輩後輩の仲だしな。

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603 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 11:09:58.40 ID:???
シチリアへのC47輸送機の降下作戦は、午前0時の夜間降下と強風という
最悪の条件下で行われたため、味方の艦船部隊からの誤射が発生し、
27機が被撃墜、約300名が死亡という大損害を生じた。

このため落下傘降下は、予定の倍のスピードと3倍の高度から開始され、
降下した部隊は広範囲にバラバラになってしまった。
しかしこの事態が結果的に幸運をもたらした。
広範囲に渡って降下したことで、敵には
大規模な数個師団が上陸したとの衝撃を与えたのだ。

おかげでイタリア軍はまったくやる気をなくし簡単に投降し、
ドイツ軍もヘルマン・ゲーリング戦車師団以外はあっさり白旗を挙げた。



604 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/22(金) 17:52:36.89 ID:???
>>603
それ独破戦線の「降下目標、シシリー」のレビューのコピペじゃん。
いくつか間違ってるから訂正入れとくと
降下作戦は7月9~10日と11日の二度に分けて行われ、強風と
機位の損失による広範囲への降下は英第一空挺師団と第505降下歩兵連隊の第一次降下作戦でのこと。
誤射は7月11日11時半のことで、シチリア島への第二次降下作戦中の
第504降下歩兵連隊での出来事だから、誤射と広範囲に降下したことに因果性はない。
また、誤射が発生したのはドイツ軍機の空襲経路と空挺部隊の飛行経路が丸かぶりしたせいで、
事前連絡は行われていたものの午後11時過ぎまで空襲を受けていたおかげで空挺団と
敵機の見分けがつかなかったことが直接的な原因とされている。
また、艦隊も米英等連合軍艦隊によるものだったから、通達の不備があったことも指摘されている。
一方で、撃墜された機体は144機中23機、300名以上の搭乗員と降下兵の損害の内には、
第82空挺師団副師団長のケーランス准将も入っている。

あえてこの件でほのぼのした話をするなら、
第一次降下作戦を受け持ったパイロットたちは(何故か)降下目標にどんぴしゃに降ろしたと確信して喜んでいたこと。
後に何十マイルも外れて降下させたと知らされた際には、空挺隊員も同情するほど意気消沈したらしい。

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585 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2013/02/13(水) 11:46:12.83 ID:baxP4Dlp
出航後まもなく、乗艦して日の浅い水兵が、無断で船外便所に入り、用を足していたところ、急に潜航し始めた。
あわてて艦内に入ろうとしたが、すでに艦橋ハッチは閉まっていた。
そのうちに深度が深くなり、艦橋にもいられなくなったので、伸びてきた潜望鏡に抱きつき、深度を増すにつれて上へのぼった。
そして、ついに潜望鏡の先端にしがみついてしまった。
 驚いたのは潜水艦長である。急に潜望鏡が見えなくなったので、急いで浮上したところ、潜望鏡の先端に、若い兵隊が必死でしがみついていた。
おそらく、艦内便所がふさがっていたので、我慢できなくなって、鑑外便所に飛び込んだのであろう。
それいらい、鑑外便所の使用は、水上走行中でも、当直将校の許可が必要になった。

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575 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/11(月) 22:52:44.54 ID:???
昭和23年、国鉄大井工場工機部(現在のJR東日本東京総合車両センター)。
戦後の物資不足の中、旧日本海軍向けの濃色緑色塗料を入手できた大井工場では、
早速山手線の電車の中から6両編成1本を選び、塗ってみることにした。

だが、塗料にばらつきがあったのか、1両ごとに少しずつ違った仕上がりになってしまい、
国鉄が取った苦肉の策は「これは色見本電車です、どの色がよいですか?」というポスターを作って張り出すことだったが、
あまりの反響のなさに、それっきりになってしまった。

同時期、戦時中に汚れ果てた流線型電車、モハ52を関西から運んできて、
東海道線での高速度試験のため大井工場に入場させたときも、
塗料不足を補うための旧海軍用塗料を使い、緑色に塗り替えられている。

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