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686 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 14:42:16 ID:???
引揚・復員の読者体験記の一部を編集
20年10月、ソ連軍の発行したパスポートを握って北朝鮮の小さな駅に
日本人が200人集まりました。男は数人で、ほとんどは女、子供でした。
しかし、「機関車に牽引力がない」との理由で私たちを乗せた貨車2両を
切り離して列車は行ってしまいました。
1日、2日と機関車が来るのを待っていたら、3日目に機関車がやってきて
私たちのいる駅に止まりました。すると銃を持ったソ連兵が10人ほど
降りて来ました。貨車には日本の軍人が捕虜として乗せられていたのです。
言葉をかわすことは出来ません。黙ってお互いのあわれな姿を見つめあい、
涙がほおを伝わりました。兵隊さんたちも泣いていました。
やがて、その貨車は北に向かって動き出しました。
そのときです。「捕虜の身にこんなものはいらない」と叫んで毛布、財布、
果糖などを私たちの貨車に向かって投げてきました。
「日本に生きて帰れよ!」、「子どもを死なすなよ!」と口々に絶叫しました。
果たしてあのときの兵隊さんの幾人が、日本の土を踏むことができたでしょうか。