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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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94 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/13(木) 13:13:33.22 ID:8JjI/LxP
ブリテッシュ・ジョークにムキになって
ハリケーンに特攻したヤンキーwwwwwwwww

  世界初の、台風の目観測飛行(1943年のサプライズ・ハリケーン)

ハリケーンに対する世界初の観測目的の飛行は、
第二次世界大戦最中にテキサス州ヒューストンを襲った
「サプライズ・ハリケーン」の際に敢行された。
これは、操縦士の間の賭けがきっかけとなったといわれている。

1943年夏当時、テキサス州ヒューストンにあるブライアン飛行場では、
イギリス人飛行訓練生が計器飛行の訓練を受けていた。
そこにサプライズ・ハリケーンが接近した際、
同僚のアメリカ人飛行士たちはT-6練習機を退避させようとした。
その様子を見たイギリス人訓練生たちが、T-6練習機の構造的な
欠陥をあげつらったところ、主任教官であるジョー・ダックワース大佐は、
T-6を自ら操縦してハリケーンの目に突入し、安全に帰還してみせた。

この最初の飛行の際にナビゲーター席には
ラルフ・オヘア中尉が搭乗していたが、
直後に敢行された2度目のハリケーンの目に向けた飛行の際には
基地の気象担当官であるウィリアム・ジョーンズ・バーディック中尉が同乗した。

この飛行によって、ハリケーンの内部を飛行機から観測できることが証明され、
以後、不定期に観測飛行が行われるようになった。
その後、1946年に初めて「ハリケーン・ハンター」の名が使用され、
この名称が今日まで受け継がれている。

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78 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/10(月) 18:06:20.08 ID:7f9mtU9U
戦後でありますが・・・・
元帥となったニミッツが戦後にアメリカの兵学校等へ演説に回ってた折。
とある大学に日本の文字がきざまれたベルが飾ってあった。
ニミッツが詳細を尋ねると、敗戦直後の福岡に教会のベルがあったから
土産として駐屯兵が持って帰ったとの事。
ニミッツは「キリスト教国家のアメリカが他国の教会からモノを強奪するとは
何事か」と怒って、太平洋司令部を通して、元の福岡の教会へベルを返還させた。

返還後に福岡の教会の子供たちからお礼の手紙がニミッツに届いた。

教会にはベルがあるというのを聞いて、私たちは、爆弾の破片や崩壊した
建物から鉄やしんちゅうを集めてベルを作ってもらいました。
戦後にアメリカ兵がこのベルは、俺たちの爆弾から作ったものだから
俺たちのものだ。といって持っていかれました。と福岡の教会からの
言明とともに
「再び戻ってくるとは思ってもいませんでしたが、ニミッツのおじさん
ありがとうございます」という内容だった。

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63 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/05(水) 21:07:10.49 ID:???
前スレで蛟龍について書いた者ですが、色々あった末に祖父の手記が手元に来ました。
タイトルからして特定されそう(汗…)なので、書ける箇所の判断が難しそうですが…。

 それで早速読み返した処、乗組みの潜航艇は蛟龍で間違いない様です(手記に士官1、下士官3、兵(祖父)1の乗員五名と記述がありました)。
 唯一人の兵なのでこき使われそうですが、死なば諸共なので和気あいあい、とても嬉しかった様です(艦隊勤務では航行中に新兵が蒸発するくらい苛烈だったとか…)。
 あと意外なのは艦内に湯沸かし器があって、そこに缶詰やらを入れて温めて食べたという処でした。もっぱら祖父が進んでそれをやると、皆「すまんすまん」とニコニコして食べてくれたと。
 面倒見が良かったのか…???


64 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 11:37:21.44 ID:???
>63
「蛟龍」艦内に瞬間湯沸かし器があったとは!
貴重な証言ですね。


65 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 16:59:36.19 ID:???
甲標的は乙だか丙型からディーゼル積んでるから、排熱利用だろうね。
そうなると湯沸かし器というより、温める程度のものだろうけど。


66 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:43:05.34 ID:???
>>64
”瞬間”とか勝手に追加するなよ…
いい加減なデマが広まっていく過程の一例を見た気がする


67 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 23:48:59.06 ID:???
>>64
 湯沸器とあるので、専用のものではないのかな?
 進んで食事を温めたと書きましたが、どうも食事係だったようです(戦車兵の様に全員が一通り出来たのか、操舵もやってます)。
 そういうのは艦隊勤務での兵の役目で、お茶くみから盛りつけと気を配らなければならなかった様。
 だから缶詰を温めるくらい訳なかったんでしょう。意外に広かったのか、食器に盛り付けて食べた様です。
 祖父が料理上手(祖母が商売気質で家事に興味なかった…)だというのはそういう経験があったからかとも思いますが、食べたことなし…。
 常用漢字外の漢字が多いのと、当時の人でしかわからなさそうな言葉や意味が多いのでどうも読み込みが進まない…。全然書けなくてすみません。また来てみます。


68 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 09:55:27.99 ID:???
蛟龍って長期の航海は無理だけど
3日以上の航海は想定していたから
缶詰暖めるための湯沸かし器くらいあったろうな


69 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 16:25:26.83 ID:???
>66
そうだね、ごめん。

>67
缶詰からでなくて食器に盛り付けてますか。
食事後、食器はどうやって洗ってたんだろう?

食器は訓練時のみで、行動中は缶詰から喫食かな。


70 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 21:52:50.44 ID:???
>>69
 食事の描写は訓練時のみでした。
 ただ一週間程の行動半径があった様で、その分の物資を搭載してますから出撃でも同じではないかと思います。
 あと水上艦に居た頃は残飯を海に捨てて(太刀魚が寄って来て面白かった…)海水で洗い、それを熱気消毒する大きな箱に入れていたとか。
 案外ハイテクですね…。


71 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:02:39.44 ID:???
そらボイラー艦だから余分なお湯と蒸気はタップリあるからなあ
調理設備も火を使わず蒸気でやってたし


72 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:02:57.91 ID:???
>>70
蛟龍母艦として波101級が使われてたって話もありますが、母艦がどうこうなんて話は出ませんでした?
普通に港か基地からの発着だったのかな。


73 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:05:47.81 ID:???
>>71
蛟龍(と甲標的乙型以降)は蒸気タービンじゃなくてディーゼルでは。


74 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:07:50.71 ID:???
71だけど
「水上艦に居た頃」ってところに対しての感想


75 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:18:22.91 ID:???
>>74
ありゃ、失礼!


76 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 17:42:34.32 ID:???
>>71
なるほど。蒸気で調理してたんですか。
>>72
 母艦の話はありませんでした。最初音戸の瀬戸(後で知った!)沿いの倉橋島P基地に行き、そこで訓練の後に豊後水道を通り四国沖へ出撃、そのまま宿毛(水偵基地)に留まった様です。
 そしてここへ応援に来た二隻と共に突撃隊を編成し、佐伯(さいき)湾の地松浦という入り江を根拠地にしたとあります。
 後に二隊が到着し、合計九隻となった蛟龍の眺めは精悍だったらしく、“恰度九匹の龍が池中にひそんで獲物がくるのを待っていると云う感じである”(原文ママ)と締め括っています。
 当初の教育で特務艦千代田・日進による潜航艇運用については説明を受けていた様ですが、この頃にはどちらも改装/沈没と、運用は不可能だったようですね…。


77 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 22:14:47.17 ID:???
>>76
なるほど、普通に海岸根拠地のみの運用で、遠距離進出はしない想定だったのかもしれませんね。
しかし千代田や日進の名前が出るとは、教育自体はだいぶ早い時期だったんでしょうか。


81 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 20:54:03.82 ID:???
>>77
調べてみました。
祖父が試験を受けて退艦したのが43年1月。
ここから日付の記録があやふやになっていますが、トラックから横須賀へ船便で行き、海軍工機学校へ入学しました。ここで3カ月の教育の後卒業。
しかし当初の予想と異なり、卒業生は皆、大竹潜水学校へ再入学が決まっていた様です。
ここでは教育期間の記述もありませんが、潜水艦による物資輸送の話が出ているのと、配属されていった仲間が一月もせず戦死していることからして戦局が相当悪化している頃(43年末~?)かと推測。
 この後に祖父はP基地へ配属され、第6期特殊潜航術訓練生として教育を受けました。時期がわかればいいのですが…。


82 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 21:16:39.21 ID:???
>>81
ありがとうございます。
43年1月だと日進は戦没してないし、千代田もギリギリ改装が始まってない頃なので、
両艦の名前が出たって事ですね。
しかしその時期まで甲標的の母艦運用が考慮されてたってのは興味深いです。


83 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 23:48:57.18 ID:???
>>82
教官の説明に「ディーゼルの乙標的が間もなく出来る」とあるので、P基地に配属されたのは少なくとも43年末~44年初頭以降、教育もその頃かと思われます。
 ですから母艦での運用はあくまで甲標的の運用思想を示したもので、当時考慮されてはいなかったかと。
 あとwikiでは祖父の隊の上位組織に波101など輸送潜水艦が母艦として配備されたと記述があるようですが、手記にはありませんでした。
 恐らく外洋での進出時に考慮されていたもので、実質内海でしか運用されなかった為に乗員は知らなかったのでは???


84 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 23:55:14.11 ID:???
>>83
なるほど。
甲標的母艦の話は、あくまで基礎知識として教育されたという事ですね。


85 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/12(水) 22:52:30.16 ID:zgISlS1s
蛟竜ウィキ見たら「量産型の完成は1945年になってから」とある。

お爺さんの手記、旧漢字や戦前の文章読めるかも知れんので
個人名などは伏せて画像アップは無理?


86 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/12(水) 23:47:48.37 ID:???
>>85
 かなり末期ですね…。
 当初は練習的という四名乗りのもので訓練していた様ですが、はっきりと搭乗艇を貰った(?)時期については記述がありません。
 ただ同僚がラバウルやラエ、サラモアといった地域へ出陣した後で大量の予備学生が入り、その後に搭乗艇の配備があるので、45年以前ではないかと思うんですが…。

 手記のUPについてですが、このスレに直接というのは遠慮させていただきます。迷惑でしょうし…。
 もし前スレで関係写真について教えて下さった方でしたら、スキャンして一部お送り出来ます。


87 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/13(木) 00:37:07.93 ID:o54apO9q
>>86
まあ気が向いたらどこかで公表して下さい。
重要な記録だと思うんで。



- 前スレの蛟龍話 -

876 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 01:26:02.85 ID:???
>>181-182
父方のじいちゃんがまんま特攻生き残りだったけど、当時中坊の俺は結構キレられる事が多かったな。
年端もいかない馬鹿が実力に見合わない虚勢で「日本軍すげえ」とか「K国なんか焦土にしたらええねん」とか言ってたもんで。
実際に国の防波堤として死ぬよう教育された人にとっては、銃後で威勢ばかり良い人間をよく見ていたので、孫が同じようになるのが物凄く恥ずかしかったんじゃないかなと思う。

 蛟龍乗りだったじいちゃんは終戦二日後の出撃がご破産となって生き残り、土地と家付きの見合いで結婚。外地生まれで身寄りもなく、四人兄弟を海軍で培った機械整備技術で育て上げた。
 商売人気質で勝気な妻とも仲良くやりながら、人生の最後に手記を遺してくれた。でも俺が読めたのは死んだ後。
 じいちゃんの人生はとても大変なものだったけど、反面エネルギッシュで、でも何処か不安定な感じがあった。
 台北で生まれ、現地の人に本当に良くしてもらったけど、終戦で行方知れず。戦後数十年経って訪れた台湾で、一体何をして何を感じたのかが気になる。手記はそこまで書いてないんだよね…。


878 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 22:27:01.02 ID:???
かなり蛟龍は珍しいんじゃないか


881 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 23:10:46.83 ID:???
>>878
実は甲標的関係なだけで蛟龍は推測やで~(手記が手元にない)。
確か2人以上で魚雷装備、柁がでかかったような…。
所属は海軍P基地で、四国沖への出撃経験あり。交戦は訓練中の艦載機による空襲だけやった筈。
なんかしら陸上勤務(電子系)志望が潜航艇配属になってしまったと…。


882 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 01:36:47.39 ID:???
「蛟龍かもしれない」ってだけでもじゅうぶん貴重な資料だぜ

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33 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/01/16(木) 21:31:49.94 ID:???
戦時中の話ではないが

当時の皇族の男子と言うものは当然のごとく陸海軍軍人として教育を受けるわけであるが、
教育内容はともかく、生活一般は他の生徒とは扱いが異なり、お付き武官が付いて回り色々と世話を焼き、時には厳格なマナーの指導をするものでした。

海軍に回った皇族の場合だと江田島の海軍兵学校に入学され教育をうけるのですが、この江田島という場所は良く言えば世俗の誘惑を断つ島であり、
休日と言えばクラブ(といっても下宿の二階)でレコード聴くか、将棋を指すか、駄菓子を喰うか、もしくは古鷹山に登山するぐらいというまさに質実剛健な教育環境でした。

という事で兵学校下級生などは俸給を頂いても呉の市街地で悪い遊びを許されるわけでなく、酒を飲めるわけでなくといった所なので精々駄菓子を買うぐらい。
とはいえ、一般生徒ならともかく皇族ともなれば下賤の駄菓子なんか食べて腹を下してしまうと、お付きの者は腹を切らねばならぬような時代、
買い食いするな衛生に気をつけろと口酸っぱく諭しても、そこは同級生の悪ガキに感化されるため一つも言う事聞いてくれない。

という流れがあったため、高松宮殿下(昭和天皇の弟宮)は俸給を取り上げられていたようである。




なお、殿下は殿下で駄菓子屋で誰かを見つけると、「オイ50銭貸してくれ」とか「饅頭1つオレにも呉れ」と隠れてやっていた模様

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31 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/01/16(木) 15:43:51.90 ID:???
流れ変えるために投下
今の天皇陛下が高校生の頃
「いっぺん『銀ブラ』ってのをやってみたい」
と言い出した
学友のみんなは「さすがにそれはヤバい」と思いつつ
「殿下、いつやりますか?」
「今でしょ」
結局どこかの宮様のおうちに行くって名目で銀座に繰り出した
早稲田の学生に「殿下、こんにちは」とか言われて、喫茶店で一杯数十円のコーヒーを飲んだりしながら、楽しいひと時を過ごした
その後銀座の町中に警察官が何十人もズラリと並んでいる
さすがにこれはマズいとオモタ殿下と学友は東宮に帰ることにした
あとで殿下含めて学友の皆さんがエラい人たちにこっぴどく叱られたことは言うまでもない

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842 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 13:04:10.68 ID:???
ペリリューで戦った日米両軍将兵が60年後に同島で再会するというドキュメンタリー。

番組ではまず、米側が上陸地点、日本側が陣地側から戦跡を探訪して、最終的に再会する。
元海兵隊員「この辺で俺の戦車がやられたんだ」
元海兵隊員が密林に覆われて朽ちたLAV(A)1を発見。結構原型を留めているので、何処か嬉しそうに手を触れる。
元海兵員「お前はよくやったよ…」
次いでもう一人の元海兵と共に、上陸地点へ猛射を浴びせてきた陣地へ行くと、朽ちて置石みたいに苔まみれの十三粍機銃を発見。なんと薬室に銃弾!!
そして再会。
元米海兵戦車兵「会うの楽しみにしてました!!」
元日本海軍根拠地隊「私はその十倍!!」
と、不思議な戦友意識を映し出しつつ…封印された地下壕へ。そこには遺骨と鉄兜、安全ピン付きの手榴弾が…。


843 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/06(金) 21:32:52.69 ID:???
[そこで取材テープは途切れている]


845 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/07(土) 00:41:18.33 ID:???
後日、記者が追加取材を申し込むため、両国の退役軍人会に照会したところ、
不思議なことに「そのような名前の者は名簿に存在しない」との回答が来たという。


846 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/07(土) 20:07:38.45 ID:???
ネタにすんなw
ペリリューで最後まで持久した34人の一人だったんだけど、投降しようとして仲間(士官?)に射殺された戦友の死んだ場所で泣いてたよ…。
その戦友のアドゥヴァイス(ここだけ流暢な英語)のお陰で皆帰って来れたと。
俺なら持久以前に事前砲撃で粉々になるか、生き残れても洞窟の中で発狂するかのどっちかだろうな…。あれだけ力強い世代が自分の祖父の代と思うと、ちょっと信じられない。

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810 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/23(土) 21:54:08.81 ID:???
戦時中のことに関して今の世代に責任なんかない。
ただ心情としては責任を感じてしまうこともあるだろうし、例えば自分の爺さんが実は人を殺していた…みたいなことがあったとして、孫には刑事罰も何も適用されないが、遺族に対して「まあ未来に生きようや、たかり屋ちゃうんやし」なんて口が裂けても言えない筈だ。
そりゃ少しは引け目を感じるのが人間だけど、実際に土下座したり慰謝料を払うなんてのは馬鹿げている。

うちの近所でもこんな話があった。

故郷の同じ兵隊さんと下士官さんがいて、家も近い。
兵隊さん(二等兵)は商店の次男坊で、下士官さん(軍曹)はただの農家の四男。軍曹は元は交通局のバス運転手だったのが輸送部隊に取られていて、二等兵より一回り年上なので面倒頼むよとお願いされていた。

それで二人とも大した苦労や武勇伝もなく広東から復員したんだけど、とても険悪な関係になってしまっていた。元々〇〇やん、〇〇兄と呼び合う間柄だったのにね。
二人は理由を頑として語ろうとせず、それから町内での集まりで二人が目でも合わそうものなら因縁の付け合いが始まり、二言目には殴り合うというはた迷惑な状態が続いた(まあ河内の人間なので元から喧嘩っ早い…)。
自然と互いの子供や親戚同士も何処か宿敵という感情を抱くようになり、
「〇〇家のガキに負けたら家入れんぞ」「〇〇の店で買いもんすな」という緊張状態にまで至ってしまった。そして半世紀が過ぎた…


811 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/23(土) 21:55:31.68 ID:???
つづき

バブルが弾け、故郷の宅地開発地にも閑古鳥が鳴くようになった頃、二等兵が亡くなった。その十二年前には軍曹もゲートボール場で憤死していたから、当事者が居なくなってしまったのである。
互いに焼香こそ上げなかったが香典は送っていた。ただこのコミュニティー希薄な時代に付き合いが戻るわけもなく、更に二年が過ぎた。
そうして三周忌の朝、法要で忙しい筈の二等兵の長男が軍曹の家を訪ねたのである。
「〇〇のとこの良治(仮名)やけど、ちょっと墓来てくれんか…」
すでに宿敵心も遠く薄れていたいたし、さすがにご近所さんに線香の一本も上げないというのは変なので、軍曹の長男隆夫(仮名)は言われるままにした。
自分の父の仇(?)の墓に線香を上げ、手を合わせた隆夫が帰ろうとすると、良治は「昼食あるから帰らんとって」と引き止めた。酒好きな隆夫はそれに従った。
そして年忌のお高い弁当に酒も進んだ隆夫に、顔を赤くした良治は言うのである。
「どっちの親父も死んだし、ここで付き合い戻さへんか」と。
良治の話はこんな案配であった…

 大陸で家族を想い寂しがった二等兵は現地調達した家鴨に首輪を付け、可愛がっていた。糧食を分けてやるのでみるみる太り、それが軍曹の目に止まって食べられてしまった。
 二等兵は悲しみ、軍曹も謝ったが逆に取っ組み合いの喧嘩となって、そこから仇同士のようになってしまった…

 結局、それからは普通の近所付き合いになったけど、俺は全く引け目を感じていない。そういえば家鴨食ったことないな

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762 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2013/11/17(日) 23:32:04.89 ID:sjhHfzKy
最前線の民間業者では、やたらと従軍慰安婦が有名だが生命保険の営業マンも来ていました。
後方では縁起が悪いから帰れ、などと言われたが前線に近づけば近づくほど契約率も上がったそうです。
しかし保険料率は前線に近くなるほど、高くなったそうです。
また玉砕寸前の拉孟にまで敵の包囲を突破して保険を売りに来たらしい。
第一徴兵生命保険、現在のAIGスター生命でる。


763 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/17(日) 23:39:52.26 ID:???
>>762
AIGスター生命になったのは、旧千代田生命やね。

第一徴兵保険のほうは、東邦生命保険→GEエジソン生命→AIGエジソン生命→ジブラルタル生命保険


764 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/18(月) 08:16:28.37 ID:???
徴兵保険なんかだと学資保険みたいな感じで、男児出産時点での加入率高いよな
ちなみに特攻隊への発令後でも書類チョコチョコ誤魔化して加入できるようにした営業マンもいたらしいし、
遺族へ一円でも残してやりたいと考える隊長のいる基地だと比較的出入り自由だったらしい

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723 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/14(木) 14:31:34.25 ID:???
ほのぼのスレなのに流れがほのぼのでないので燃料投下

藤原武市という参謀がいた
マレーシアのアロースターで取り残されたインド兵に投降を勧告し、無事に武装解除
その後インド兵のモハンシン大尉って人を副官みたいにして街の治安維持に努める
そこへ山下奉文がやってきてインド独立を確約する酒宴の席で、山下将軍は
「モハンシン大尉は故郷に夫人を残して来ている(中略)今夜はこの藤原があなたの『ベターハーフ』としてお相手するでしょう」
とっさに藤原参謀は「私にはそのケはありません」と言ったが、真意は「インド独立に力を貸そう」ってことらしい
山下さん誤解を招くような表現しちゃだめ

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629 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 23:58:00.13 ID:???
初期に中国行ってたじいちゃんはぜんぜん自虐史観なかったな
子どものころ部隊の自慢話を聞かされた


631 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 01:01:12.17 ID:???
>>629
陸軍は地元出身者で集まってるし、初年兵が補充されたら雑務も解放されて楽しいと思う

なにかで読んだ話、内地で入営した兵隊に家族が面会しに行ったら本人の顔がパンパンに腫れ上がっていた
家族は暴力を振るわれているのかと非常に心配したと後日聞いたそうが、事実は違った
酒保で買い食いしまくって急激に栄養状態が良くなり太っていたのだった

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