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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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63 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/05(水) 21:07:10.49 ID:???
前スレで蛟龍について書いた者ですが、色々あった末に祖父の手記が手元に来ました。
タイトルからして特定されそう(汗…)なので、書ける箇所の判断が難しそうですが…。

 それで早速読み返した処、乗組みの潜航艇は蛟龍で間違いない様です(手記に士官1、下士官3、兵(祖父)1の乗員五名と記述がありました)。
 唯一人の兵なのでこき使われそうですが、死なば諸共なので和気あいあい、とても嬉しかった様です(艦隊勤務では航行中に新兵が蒸発するくらい苛烈だったとか…)。
 あと意外なのは艦内に湯沸かし器があって、そこに缶詰やらを入れて温めて食べたという処でした。もっぱら祖父が進んでそれをやると、皆「すまんすまん」とニコニコして食べてくれたと。
 面倒見が良かったのか…???


64 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 11:37:21.44 ID:???
>63
「蛟龍」艦内に瞬間湯沸かし器があったとは!
貴重な証言ですね。


65 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 16:59:36.19 ID:???
甲標的は乙だか丙型からディーゼル積んでるから、排熱利用だろうね。
そうなると湯沸かし器というより、温める程度のものだろうけど。


66 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:43:05.34 ID:???
>>64
”瞬間”とか勝手に追加するなよ…
いい加減なデマが広まっていく過程の一例を見た気がする


67 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 23:48:59.06 ID:???
>>64
 湯沸器とあるので、専用のものではないのかな?
 進んで食事を温めたと書きましたが、どうも食事係だったようです(戦車兵の様に全員が一通り出来たのか、操舵もやってます)。
 そういうのは艦隊勤務での兵の役目で、お茶くみから盛りつけと気を配らなければならなかった様。
 だから缶詰を温めるくらい訳なかったんでしょう。意外に広かったのか、食器に盛り付けて食べた様です。
 祖父が料理上手(祖母が商売気質で家事に興味なかった…)だというのはそういう経験があったからかとも思いますが、食べたことなし…。
 常用漢字外の漢字が多いのと、当時の人でしかわからなさそうな言葉や意味が多いのでどうも読み込みが進まない…。全然書けなくてすみません。また来てみます。


68 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 09:55:27.99 ID:???
蛟龍って長期の航海は無理だけど
3日以上の航海は想定していたから
缶詰暖めるための湯沸かし器くらいあったろうな


69 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 16:25:26.83 ID:???
>66
そうだね、ごめん。

>67
缶詰からでなくて食器に盛り付けてますか。
食事後、食器はどうやって洗ってたんだろう?

食器は訓練時のみで、行動中は缶詰から喫食かな。


70 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 21:52:50.44 ID:???
>>69
 食事の描写は訓練時のみでした。
 ただ一週間程の行動半径があった様で、その分の物資を搭載してますから出撃でも同じではないかと思います。
 あと水上艦に居た頃は残飯を海に捨てて(太刀魚が寄って来て面白かった…)海水で洗い、それを熱気消毒する大きな箱に入れていたとか。
 案外ハイテクですね…。


71 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:02:39.44 ID:???
そらボイラー艦だから余分なお湯と蒸気はタップリあるからなあ
調理設備も火を使わず蒸気でやってたし


72 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:02:57.91 ID:???
>>70
蛟龍母艦として波101級が使われてたって話もありますが、母艦がどうこうなんて話は出ませんでした?
普通に港か基地からの発着だったのかな。


73 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:05:47.81 ID:???
>>71
蛟龍(と甲標的乙型以降)は蒸気タービンじゃなくてディーゼルでは。


74 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:07:50.71 ID:???
71だけど
「水上艦に居た頃」ってところに対しての感想


75 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:18:22.91 ID:???
>>74
ありゃ、失礼!


76 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 17:42:34.32 ID:???
>>71
なるほど。蒸気で調理してたんですか。
>>72
 母艦の話はありませんでした。最初音戸の瀬戸(後で知った!)沿いの倉橋島P基地に行き、そこで訓練の後に豊後水道を通り四国沖へ出撃、そのまま宿毛(水偵基地)に留まった様です。
 そしてここへ応援に来た二隻と共に突撃隊を編成し、佐伯(さいき)湾の地松浦という入り江を根拠地にしたとあります。
 後に二隊が到着し、合計九隻となった蛟龍の眺めは精悍だったらしく、“恰度九匹の龍が池中にひそんで獲物がくるのを待っていると云う感じである”(原文ママ)と締め括っています。
 当初の教育で特務艦千代田・日進による潜航艇運用については説明を受けていた様ですが、この頃にはどちらも改装/沈没と、運用は不可能だったようですね…。


77 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 22:14:47.17 ID:???
>>76
なるほど、普通に海岸根拠地のみの運用で、遠距離進出はしない想定だったのかもしれませんね。
しかし千代田や日進の名前が出るとは、教育自体はだいぶ早い時期だったんでしょうか。


81 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 20:54:03.82 ID:???
>>77
調べてみました。
祖父が試験を受けて退艦したのが43年1月。
ここから日付の記録があやふやになっていますが、トラックから横須賀へ船便で行き、海軍工機学校へ入学しました。ここで3カ月の教育の後卒業。
しかし当初の予想と異なり、卒業生は皆、大竹潜水学校へ再入学が決まっていた様です。
ここでは教育期間の記述もありませんが、潜水艦による物資輸送の話が出ているのと、配属されていった仲間が一月もせず戦死していることからして戦局が相当悪化している頃(43年末~?)かと推測。
 この後に祖父はP基地へ配属され、第6期特殊潜航術訓練生として教育を受けました。時期がわかればいいのですが…。


82 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 21:16:39.21 ID:???
>>81
ありがとうございます。
43年1月だと日進は戦没してないし、千代田もギリギリ改装が始まってない頃なので、
両艦の名前が出たって事ですね。
しかしその時期まで甲標的の母艦運用が考慮されてたってのは興味深いです。


83 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 23:48:57.18 ID:???
>>82
教官の説明に「ディーゼルの乙標的が間もなく出来る」とあるので、P基地に配属されたのは少なくとも43年末~44年初頭以降、教育もその頃かと思われます。
 ですから母艦での運用はあくまで甲標的の運用思想を示したもので、当時考慮されてはいなかったかと。
 あとwikiでは祖父の隊の上位組織に波101など輸送潜水艦が母艦として配備されたと記述があるようですが、手記にはありませんでした。
 恐らく外洋での進出時に考慮されていたもので、実質内海でしか運用されなかった為に乗員は知らなかったのでは???


84 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 23:55:14.11 ID:???
>>83
なるほど。
甲標的母艦の話は、あくまで基礎知識として教育されたという事ですね。


85 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/12(水) 22:52:30.16 ID:zgISlS1s
蛟竜ウィキ見たら「量産型の完成は1945年になってから」とある。

お爺さんの手記、旧漢字や戦前の文章読めるかも知れんので
個人名などは伏せて画像アップは無理?


86 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/02/12(水) 23:47:48.37 ID:???
>>85
 かなり末期ですね…。
 当初は練習的という四名乗りのもので訓練していた様ですが、はっきりと搭乗艇を貰った(?)時期については記述がありません。
 ただ同僚がラバウルやラエ、サラモアといった地域へ出陣した後で大量の予備学生が入り、その後に搭乗艇の配備があるので、45年以前ではないかと思うんですが…。

 手記のUPについてですが、このスレに直接というのは遠慮させていただきます。迷惑でしょうし…。
 もし前スレで関係写真について教えて下さった方でしたら、スキャンして一部お送り出来ます。


87 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/02/13(木) 00:37:07.93 ID:o54apO9q
>>86
まあ気が向いたらどこかで公表して下さい。
重要な記録だと思うんで。



- 前スレの蛟龍話 -

876 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 01:26:02.85 ID:???
>>181-182
父方のじいちゃんがまんま特攻生き残りだったけど、当時中坊の俺は結構キレられる事が多かったな。
年端もいかない馬鹿が実力に見合わない虚勢で「日本軍すげえ」とか「K国なんか焦土にしたらええねん」とか言ってたもんで。
実際に国の防波堤として死ぬよう教育された人にとっては、銃後で威勢ばかり良い人間をよく見ていたので、孫が同じようになるのが物凄く恥ずかしかったんじゃないかなと思う。

 蛟龍乗りだったじいちゃんは終戦二日後の出撃がご破産となって生き残り、土地と家付きの見合いで結婚。外地生まれで身寄りもなく、四人兄弟を海軍で培った機械整備技術で育て上げた。
 商売人気質で勝気な妻とも仲良くやりながら、人生の最後に手記を遺してくれた。でも俺が読めたのは死んだ後。
 じいちゃんの人生はとても大変なものだったけど、反面エネルギッシュで、でも何処か不安定な感じがあった。
 台北で生まれ、現地の人に本当に良くしてもらったけど、終戦で行方知れず。戦後数十年経って訪れた台湾で、一体何をして何を感じたのかが気になる。手記はそこまで書いてないんだよね…。


878 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 22:27:01.02 ID:???
かなり蛟龍は珍しいんじゃないか


881 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 23:10:46.83 ID:???
>>878
実は甲標的関係なだけで蛟龍は推測やで~(手記が手元にない)。
確か2人以上で魚雷装備、柁がでかかったような…。
所属は海軍P基地で、四国沖への出撃経験あり。交戦は訓練中の艦載機による空襲だけやった筈。
なんかしら陸上勤務(電子系)志望が潜航艇配属になってしまったと…。


882 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/12/15(日) 01:36:47.39 ID:???
「蛟龍かもしれない」ってだけでもじゅうぶん貴重な資料だぜ

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