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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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163 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:47:18.85 ID:???
大正時代の海軍兵学校では朝飯は食パン半斤と砂糖大匙一杯、そしてなぜか味噌汁丼一杯
軍隊の学校に入ったのだから白い飯をタップリ食えると思っていた学生はなれないパン食に戸惑う
しかし訓練は厳しいし、腹も減るのですぐに慣れて食パンをガツガツと食うようになる
食パンには当然耳がある
いまだと耳の部分はタダでもらえるし、まあハズレの部類なんだろうけど
当時の学生にとっては耳は身が詰まっていて当たりだったらしい
食パンの端の半斤が自分の朝飯だったら「アーマー」と呼んで喜んだ

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140 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/12(日) 14:46:56.27 ID:???
光人社の○○よもやまばなしで読んだ記憶があるのだが

ある若手海軍士官が夜間に艦内の見回りをしていた
ふと、どこかから騒ぎ声が聞こえる
そこへ行ってみると、自分の部下たちが無断で酒盛りをしていた
これがばれたら自分も部下たちも処分されるのは間違いない
凍りつくように誰も言葉を発しない
その士官は下士官兵の輪の中に座り、無言で茶碗を持ち上げた
それに注げと言うことなのは誰の目にも分かった
恐る恐るその茶碗に隣の下士官が酒を注ぐ
士官はぐいっと飲み干し何も言わずに去っていった

その後、その士官は部下たちに尊敬されるようになった

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130 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:58:40.15 ID:???
日露戦争開戦時、ロシア正教会で、日本を呪うミサが行われたそうな

1904年、日露戦争
1923年、関東大震災

祈りのスピードは人間の業だから光速を超えられない
神のみ業は科学なぞ超越するから、一瞬で届く

…ロシア科学アカデミーが出した結論
「神は、地球から少なくとも19光年以内の所におられる」


137 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/12(日) 06:15:20.84 ID:???
>>130
ピョートル・カピッツアの話じゃね?

 1904年の日露戦争の際に、ロシア正教会は全教会をあげて
 日本に天罰を 下すように神に祈りをささげた。
 結局なにも天罰は降りず、ロシアは負けた。
 20年後、日本で関東大震災が発生。
 ロシアの物理学者カピッツァはこの事実から
 「神はわれわれから9光年以内にいる」と結論を下したという。

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118 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 22:50:49.80 ID:???
スナイパーというと一撃必殺なイメージがあるが、中にはへっぽこスナイパーというのもいるもので・・・

ベトナム戦争で、とある米軍陣地に向けて配置された北ベトナムのスナイパーがそれだった。
前任者二名は頭にきた米軍側が無反動砲をブチ込んで吹っ飛ばすほどの腕を見せたのだが、
こいつの場合はあまりに下手糞過ぎて「こいつを殺して代わりに凄腕が来たら困る」と
ほったらかしにされるほどのお粗末さ。
狙われるはずの米兵もなめ切ってしまい、マギーのパンツ(射撃訓練でハズレを示す旗)を振り出す始末。
いくらなんでもこの下手さは釣りじゃねーのかという話になってさすがに挑発行為は禁止されたが、
米軍側が陣地を移動するまでの2ヶ月の間、ついに一発も命中する事は無かったそうな。

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104 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 03:41:22.67 ID:???
昔々、演習に参加するノルウェー海軍のP-3が北極海を飛んでおりました。
そこへ現れたるはSU-27、スクランブル? いえいえ、領空内ではありませんからただの嫌がらせであります。
しばらくフランカーはオライオンに平行して飛び、顔もよく見えます。
しかしオライオンが逃げませんので、痺れを切らしたフランカーは前に出ます。
排気噴流で脅してやろうというわけです。

前に出てはまた平行飛行に戻るを繰り返し、フランカーは頑張ります。オライオンも頑張ります。
フランカーは短気なのか、効果が薄いと見ると速度を落とします。チキチキレースです。どちらが先に回避するか。

しかしオライオンは四発機です。鈍いです。特にロールレートはうんこです。
これにフランカーの頭の鈍さも合間って、ニアミスとなります。というか衝突です。翼端と翼端がぶつかり、フランカーは主翼、オライオンは水平尾翼に損傷を負います。
これに肝を冷やしたフランカーはすたこらさっさと逃げます。頑丈です。バカは丈夫とはよくいったもの。
オライオンといいますと、なんとか飛行を続けて帰還できました。
めでたしめでたし

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本題に入るけどこういう話は既出かな?

浅間丸級の建造が決定し、英国の船会社にサービスを学ぶため乗組員を派遣した時の話。
ある時、「お前のところはたいそうな騒ぎだが、一体何トンの船を建造するんだ」
と聞かれたものがいた。
胸を張って「一万六千トンだ」と答えると、相手は首を傾げて曰く、

「そんな小さな船、うちの会社にはないなぁ」

―っていう話。この話は有名かな?
ソース
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/arsenal/hinomaru/index.html

ちなみにタイタニック号の総トン数は四万六千三百二十八トン。
やっぱり欧米の船と比べると小さい船だったんだな…。

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47 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 19:49:40.30 ID:???
1941年、Z部隊の駆逐艦「エクスプレス」で起きたほのぼの。

『シンガポールに入港するなり艦長のジャック・カートライト少佐が従兵のクリンガムにパパイヤを買いに上陸させたんですが、
 そういえばあの果実の事をクリンガムは「ポウポウ」と申して居りましたですね。
 セント・ヘレナ生まれでしたからね。たぶん南アフリカあたりではそう呼ぶんでございましょうよ。
 で、それをさっそく翌朝の食卓に出したんですが、まだ熟してなかったので艦長は下げさせまして、
 もっとよく熟してから出すようにって命じたんですよ。
 そこであの当日(マレー沖海戦)になりまして、バリバリ撃ってたその真っ最中なんでございますよ。
 クリンガム従兵がポウポウの皿を艦橋まで捧げ持って上がって参りましてね。
 「艦長! ポウポウが熟しましたッ。いますぐ召し上がって頂きたいでありますッ!」って申したんですよ』

――『戦艦―マレー沖海戦―』より、駆逐艦「エクスプレス」軍医大尉T・E・バーウェル――

なお、この実が食われたかどうかは不明である。

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11 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 21:14:21.70 ID:???
ネタ元は『大空の覇者ドゥリットル〈下〉―欧州・日本本土爆撃』から。

元アメリカ連邦議会上院議員であり、72年にはニクソンと大統領選挙を戦ったジョージ・マクガバンの話。
大戦中はB-24の操縦士であったマクガバン、1945年3月14日の出撃の際、一個の500ポンド爆弾が落下せず爆弾架に残ったままになってしまった。
このままではいつ爆発するか分からない。マクガバンは部下に命じて手作業で爆弾を外させることにした。
しばしの格闘の末、高度3700メートルでの作業は見事成功した。爆弾は無事爆弾架から落ちて―――……

……そのまま真下に位置していたオーストリアの農場を粉砕した。

乗組員は茫然、マクガバンも唖然。ちょうど昼飯時だ、あの農家には家族みんなが集まっていただろう…。
その後すぐに戦争は終結し、後ろめたい暗い気持ちを抱えたまま合衆国に帰還せざるを得なかった。

それから何十年も経ったある日、オーストリアのインスブルック大学で講義をしているとき、オーストリア国営テレビからインタビューを受けた。
このときマクガバンは初めて、爆弾が農場を直撃した話をし、それはオーストリア全土に放映された。
放映から数日後、テレビ局から連絡があった。ある一人の農夫が、爆弾が落ちたのは自分の農場だと伝えてきたという。

『我々は爆撃機が来るのを見ていました。私は妻と子供を家から出し、溝に隠れたんです。誰も負傷しませんでした』

マクガバンの安堵は例えようのないくらいだったという。その年は1985年、爆撃から実に40年が経過していた。

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777 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 02:49:31.69 ID:???
伯父が戦中陸軍で戦闘機乗りだったけど、
戦争中の話はしなかった。

終戦になって、軍隊から実家に帰ってくるとき、
当時普通では入手できない様な沢山の物資を
もって帰って楽しかった事は良く話す。
父に聞くとあの時伯父がもって帰ったパラシュートで
パンツと作って履いてみたけど、履き心地は最悪だったとか言ってた。

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766 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/12(月) 22:33:49.52 ID:???
ほのぼの話ではないんだけど、いい話スレが見当たらなかったもので・・


数年前に8CHでやってたTV番組。

ある特攻隊兵士と、当時兵士が居候をしていた家の家族を
追ったドキュメンタリー。
ハタチそこそこの特攻隊員は、居候している家の14歳の娘と恋仲に。
しかし出撃の日が来て結局兵士は還らぬ人に。
二人にとってさぞかし辛いことであったであろう。
もしかしたらその娘さんはその気持ちを一生引きずってしまうのではないか?
その後の一生はどうなってしまうのか?と思った。

番組はその娘さんのその後を追った。
娘さん(今はもちろんおばあさん)は別の地で結婚し、幸せに暮らしていた。
当時のことを覚えているか?と尋ねられ、
重々しい雰囲気は微塵もなく、清々しい笑顔で、
「もちろん覚えています、忘れられません。
 彼のことが好きだった事は大事な思い出です。
 人を好きなるということを教えてもらって、
 おかげで私は今幸せになることができました。
 感謝しています!」
とおっしゃっていたのを聞き、何だかとても安心した。
何というか、
戦死された特攻隊員もきっと安心しているのではないかと感じた。


よく恋人に戦死されてしまった人の悲しい話をよく聞くが、
私はこのTVを見て、彼らにとって戦争は一つの青春なんだなと感じた。

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