456 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 23:08:26.69 ID:???
昭和16年初め、東京・帝国ホテル。
当時の料理長、石渡文治郎が、部下の若手コック13名に指示を下した。
「調理場の銅鍋を集め、隠せ」。
日露戦争を経験していた石渡文治郎、このまま戦争が激化すれば、
鉄や銅製品はいずれ没収されることになり、
料理人の魂ともいうべき銅鍋も、必ず取られることを予見していたのである。
隠し場所は帝国ホテルからやや離れた、直営レストラン「リッツ」の地下二階。
大八車に銅鍋を積み、菰をかぶせて荒縄で縛り、
裏道を通るとかえって怪しまれるとばかり、日比谷の表通りを経由して丸の内警察署の横を通り、
500個以上の銅鍋のこと、一度運ぶのに20分を毎日、それが一週間以上続いたのだが、
堂々と運んだのが功を奏したのか、一度も見咎められることはなかった。
作業が一段落してしばらくすると、案の定、政府から8月30日に「特別金属回収運動」が発令され、
やがて調理場に残されていた鍋は、ほとんどが献納されてしまった。
「帝国ホテルが鍋を献納」が、新聞に大きく扱われた一方で、
石渡料理長が部下たちに、堅く口止めをしたのは当然の成り行きであった。
太平洋戦争が開戦になると、作業にあたった若手コック13名はことごとく召集され、
うち10名が戦死、終戦後、帝国ホテルに帰ってきたのはわずかに3名。
その3名も、戦後の混乱の中、隠した銅鍋のことはすっかり忘れてしまっていたが、
やがて古株のコックから「戦前に使っていた銅鍋がどこかにあるはずだ」という話が出た。
では一度確かめよう、ということになり、調べにいくと、
隠したそのままの状態で眠っていた銅鍋が発見されたのが、昭和29年。
13年間眠っていた銅鍋は、今もなお、帝国ホテルの調理場で使われている。
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