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640 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/10/09(月) 11:39:59 ID:Nfq0rkhv
玄奘三蔵法師のお骨は日本軍が南京占領時に郊外で稲荷神社を建造しようと
地盤工事を行っているときに掘り出されました。学のある兵隊が、ご遺骨の
入った石棺の表面の刻印を判別して、陸軍と学術関係者による調査が行われました。
その後、日中の仏教関係者、陸軍、日本政府、中国国民政府(汪兆銘首班)と南京市民をまねいた
追善供養が盛大にいとなまれ、お骨は中国政府に返還されました。
そこでお骨の一部を日本に分骨するという申し出が中国側からあり、日本の仏教関係者が
ありがたく授かり、大事に日本に持ち帰り、いまは薬師寺に奉納されてます
613 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/03(火) 20:49:10 ID:???
じいさんから聞いた話だが・・
実は、あんまりほのぼのではないかもしれん。
大戦末期に民間船の機関整備をしようとするがどうしても軍務や大手を優先して
いたため、なかなか民間の船(それも小型など)は整備はしてもらえなかった。
しかし、そこはそれ、整備員の喜ぶそう麺や子供のおかしなどを整備員の
人数分甲板に置いておけば朝までにはなぜか機関整備や修理も完了していた。
そして、仕事で移動するため整備時間がなかったため、山のようにたべものや
お菓子を甲板に積んで整備員たちを労ったそうだ(ただの賄賂の様な気もするが・・・・)
そして、そのかいや整備員の努力もあり、船は早朝を持って港を出航することができた
らしい、うちの爺さんたちは整備員さんに礼をいって船は出航した。
船は順調にすすんだが、8時をすこし回った時、広島上空で閃光が光ったらしい。
それは島陰に隠れてはいたが、広島で何かがあったとはっきりわかるような
異変で、何やらすごい凶々しさがあったと爺さんはいっていた。
俺が中学生の頃だから、45年たっても爺さんは時おり思い出していた。
「あの、そうめんやお菓子は子供達の食卓にとどいたのだろうか、
整備員さんたちに口にしてもらうことができたのだろうか?」
そう言っていた爺さんの声を思い出す。
まあ、もう、本当に古い話なのだけれどもね。
601 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/25(月) 11:06:37 ID:???
イタリア国境に近いフランスの村で知合ったイタリア人青年、
「子供は好きなんですよ、クニに2人います。妻と暮らしています。」
ほう、かなりのイケメンなのに感心だわ、と思っていたら、
「ここにも3人子供が居ます、こちらの愛人と暮らしています。」
だと。
602 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/25(月) 16:40:02 ID:???
>>601
チョイ悪オヤジのジモーラロのオヤジさんも、正にそれだったらしいなw
自分のお母さんが実は愛人であり、本妻と腹違いの兄弟が別にいたと物心ついたときに知ったらしいw
イタリア人はある意味偉大な民族だなw
603 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/25(月) 20:15:03 ID:???
>>602
しかし、男のかいしょうとして、全部養っていたんでしょ?
488 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/18(月) 13:21:03 ID:???
戦争後期、暗号がモロバレ状態になっていた日本軍、窮余の策として鹿児島出
身の兵士に早口で鹿児島弁を喋らせ、それを暗号代わりに使用していたとか…
そのアイディアは大成功で、かなりの期間において米軍はその暗号の意味を解
読出来なかったとか…
489 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/18(月) 13:40:16 ID:???
米軍もナバホ族を使って…
490 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/18(月) 15:16:39 ID:???
>>488
ん?俺はそれすぐにバレたと聞いたんだが・・・
492 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/18(月) 18:13:01 ID:???
>>488
同じ鹿児島出身の日系米兵がすぐに解読しました。
468 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/09/17(日) 03:27:31 ID:po3YF5kv
スレ違いだが話のネタを一つ・・・
何年か昔の話だけど。
山口県(だったか・・・)では「毛利氏」の子孫を中心(?)に地元の歴史を保存し、学んだりする
グループがあるそうな。
そして、島根県にも同じように「尼子氏」の子孫を中心(?)に地元の歴史を保存し学ぶ
グループがあったそうな。
それぞれのグループがある時お互いの存在に気が付いた。毛利と尼子といえば中国地方の
覇権をかけて相当に激しく戦った戦国大名同士。
しかし両グループは「毛利」と「尼子」の戦いの歴史に終止符を打つイベントとして
両方の子孫(とそのグループ)による古式にのっとった「和睦の儀式」を執り行った。
それにより毛利氏と尼子氏は平成の現代において形として正式に戦いを終わらせましたとさ。
…まぁ、現代の当人同士にはお互いに大して恨み辛みなどあるはずもなく、
自分達のサークルのイベントとしてやったってのが本当の所ではなかろうかとも思うが。
使命感や達成感のようなものも当然あったのかもしれないけどさ。
昔私の地元の地方新聞に載っていた記事(山○新聞)
460 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/16(土) 21:33:15 ID:???
戦後、婆ちゃんが伯母さん(俺の母はまだ生まれていなかった)を抱いて、街を散歩していた。
と、進駐軍の兵士がやってきて英語で何かわからんことを言って、伯母さんの頭を撫でていった。
その時婆ちゃんは、「向こうの人は遠くから見ても近くから見ても、相撲取りみたいに大きいんだねえ。
あんなに大きい人がいる国と戦っちゃあ、そりゃあ負けるわねえ」と思ったそうだ。
で、その婆ちゃんが癌で亡くなり、旦那の爺ちゃんも五年前に大往生したのだが、
爺ちゃんが生前に仕事先で仲良くしていたというアメリカ人男性が弔問にやってきた。
その際に先の婆ちゃんの話をしたら、その人が流暢な日本語で、
「私の父も占領軍で日本に行っていました。戦争中はあまり気にしていなかったけど、
実際日本に行って日本人を間近で見てみて、自分達に比べてかなり背が低い人が多いのに驚いていました。
それなのに、あんなに我々を苦しめたのだから、ガッツがある国なんだな、と思ったそうです」とのことだった。
まあ何となくほのぼのとしたような話。