192 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/09/01(土) 10:24:43.02 ID:???
昭和18年暮、当時、鉄道省直営だった東京鉄道ホテル(現在の東京ステーションホテル)井上支配人のもとに、
八田鉄道相から指示があった。
ドイツ・オットー駐日大使を招いて晩餐会を開きたいので、工夫をしてくれないか、とのこと。
工夫、というのは、昭和18年も暮のこと、料理の肉や野菜はどうにか入手できる目当てがあったが、
洋酒はほとんどが軍部に押さえられ、民間ではろくなものが手に入らない有様だったのである。
井上支配人がふと頭に浮かべたのは、同じ鉄道省直営、下関にある山陽ホテルだった。
さっそく鉄道電話で山陽ホテルに問い合わせをしてみると、
ラインワインの上質なものを秘蔵しているとのこと。
井上支配人は電話口で何度も頭を下げ、秘蔵のワインを上り特急の食堂車に託してもらい、
文字通りの特急便で入手することに成功した。
晩餐会の席上、謹厳なオットー大使と八田鉄道相が満面の喜びでグラスを合わせた瞬間の感激を、
井上支配人は戦後も長く記憶にとどめていたという。
なお、ワインを提供した山陽ホテルは昭和20年7月、空襲で被災し半焼、営業を休止。
秘蔵のラインワインも山陽ホテルで眠ったままであれば、被災した可能性もなしとはしなかった。
193 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 10:34:08.75 ID:???
昭和18年にまだ食堂車付きの特急が走ってたのか
194 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 11:54:47.81 ID:???
>>193
昭和18年暮の時点では、他の特急列車がことごとく廃止された中、
かろうじて東京⇔博多間の特急「富士」1往復だけが食堂車連結で残っていたが、
その「富士」も昭和19年4月には廃止されている。
[2回]
PR