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1939年9月1日午前4時45分ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した。
第二次世界大戦の勃発である。
と同時にドイツと密約を交わしていたソ連もポーランドに侵攻。
イエジ青年は、極東青年会の本部を孤児院として開放し、戦禍で親を失った戦災孤児たちを庇護した。
そして極東青年会幹部を緊急招集し、勇士を募ってレジスタンス運動参加を決定した。
イエジ会長の名から、この部隊はイエジキ部隊と愛称された。
祖国の危機にやがて孤児たちも参加し、一万数千名を数える大きな組織に膨れあがった。
ワルシャワでの地下レジスタンス運動が激しくなるにつれ、ナチス当局の監視も厳しくなり、ある時とうとう孤児院に三名のドイツ兵が押し入り、強制捜査を始めた。
一人の子供が隙を見て逃げ出し日本大使館に知らせに行き、急報を受けて駆けつけた日本大使館の書記官はこう言い放った。
「この施設は日本大使館の保護下にある。子供たちに謝罪して下さい。」
そして孤児院院長を兼ねていたイエジ部隊長と孤児たちに向かって、「君たち、このドイツ人たちに日本の歌を聞かせてやってくれないか」と頼んだ。
イエジたちが日本語で「君が代」や「愛国行進曲」などを大合唱すると、ドイツ兵たちは呆気にとられ、「大変失礼しました」といって直ちに引き上げた。
以降、ドイツ兵は二度と孤児院には姿を見せなかったという。
当時、日本とドイツは三国同盟下にあり、ナチスといえども日本大使館には一目も二目も置かざるを得ない状態にあり、日本大使館はこの三国同盟を最大限に活用してイエジキ部隊を庇護したのである。
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