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440 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/01/24(木) 03:05:01 ID:???
秘密のうなぎ採り
ポナペではうなぎは神様の使いなのでいじめてはいけないもの
しかし電話線の保線作業中体長1メートル以上もあるうなぎがうようよしている場所を発見
あくる日補修用具とつり道具を持ってその場所へ
途中でえさにするトカゲを捕まえいざつり開始!
するとたちまちかごにいっぱいのうなぎが採れて
その晩はうなぎ三昧だったそうな
ボラ同様おなかが減るとたびたびうなぎを取りにいって
これも貴重な蛋白源になったそうです
おじいさんいわく爆撃があるときは戦争だ!と思うけど
夜釣りしたり豚を捕まえて食べたりしてると
戦争しに来たのか旅行に来たのかわからないなぁと思ったらしい
353 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/12/26(水) 18:06:09 ID:S/8bo/N/
「戦場のメーリークリスマス」の原作者ヴァン・デル・ポルの青年時代。
戦前にアフリカから大阪商船の就航第一船で日本へ来航し、
日本人船長の好意により門司で歓迎会をしてもらった時のエピソード。
その晩は同船した同じイギリス青年と船長との三人で、
浴衣姿のまま宴席の芸者三人と雑魚寝になった。
しかし船長から芸者に指一本触れてはならんと厳命され、
そのまま悶々と一夜を過ごすことになった。
この晩の体験は彼にとって、その後イギリス陸軍大佐となり
ジャワで過ごした一年半の収容所生活より辛い拷問だったそうな。 (捕虜スレでは無視だったんで)
355 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/12/26(水) 19:07:43 ID:???
とある港町での出来事
その町にも婆ちゃん曰く単発機(…だから艦載機かな)の空襲が何回かあったらしい
で、その日もその町にある工場を狙って空襲してきたんだが、当時、女学生でその工場に勤労奉仕していた
婆ちゃんが建物を出た瞬間、正面から熊ん蜂みたいにずんぐりした敵機(グラマン)がぐぅんと突っ込んできた
既に操縦士の姿が見えるほど近づいているので、逃げようとしても間に合わない
やられると思った瞬間に腰が抜けて動けなくなってしまったんだが、何故かその敵機は工場を狙うのには格好の射点なのに
一発も撃って来ない
そして、そのまま上昇していった
振り向いた婆ちゃんには、その操縦士が手を振っているのが見えたんだと
よく無差別に機銃掃射してくるみたいに言うけど、米兵も悪い奴ばっかじゃないと思ったそうだ
ぼのぼの …かな
276 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/27(火) 00:56:18 ID:???
終戦後の国鉄で運転された進駐軍専用列車ネタ。
深夜に運転される進駐軍専用列車では、
客車から蒸気機関車の炭水車を乗り越え、機関車の運転台にやってくる米兵がたまにいた。
機関車好きな若い米兵が好奇心でやってくるのだが、
日本の食糧事情が悪いことをよく知っていたのか、お土産を持ってくることが多かった。
真っ白な食パン、コンビーフの缶詰、丸ごと1本のハム、チーズ、缶入り粗挽きコーヒー。
また、「キャメル」や「ラッキーストライク」をカートンで置いていく米兵もおり、
有難く頂いた機関士は、蒸気機関車の運転台に米兵が添乗?することを許した・・・が、
激しい振動と騒音、ボイラーの熱・・・・に、30分もたつと客車に帰ろうとする米兵、
機関士は丁重にお引き取り願ったという。
277 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/27(火) 01:05:44 ID:???
しかし、進駐軍専用列車といえど、戦後の燃料事情から逃れることはできなかった。
駅で停車した直後、食堂車の日本人コックがバケツを下げて機関車に駆け寄ってきた。
石炭を一杯もらえないか、とのこと、
機関士は快く応じ、手ごろな大きさの石炭を選んでバケツに入れてあげた。
次の停車駅で、機関車まで走ってきたコックが、機関士に紙包みを差し出した。
中身は機関士と機関助士の2人分の、サンドイッチとホットドッグ。
時ならぬおすそ分けにありついた機関士と機関助士だが、
進駐軍列車の食堂車の横を通ると、いつも何ともいえないよい匂いがしていた、と述懐している。
261 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/22(木) 18:06:20 ID:???
>258
KGBにそれをした強者はいないのだろうか
262 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/11/22(木) 19:32:11 ID:G7uWkR6E
>>261
КГБの場所は誰でも判るだろ。
本部ビル前にジェルジンスキーの銅像が立ってたんだぜ。
269 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/23(金) 19:00:09 ID:???
>>262
ゴルバチョフ政権時代、KGBがイメージアップ作戦に乗り出し、
企画したのが「ミスKGB」。
部内から選んだ、言わば代表選手だけあって相当な美女だったのだが、
「KGBが恐ろしい組織でなく、ソ連国民のために奉仕する機関であることを私もアピールしたいと思います」。
・・・そう言われても、なあ・・・。
270 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/23(金) 20:23:51 ID:???
>>269
当時その写真を何かで見たけど、そんなに美人では無かったような。
なんと言うか若き日の妖怪人間ベラみたいな感じでさ。
(目も口も大きい派手~な感じの顔)
ロシアではこういうタイプが好まれるのかなぁと思った。
263 名前:名無し三等兵[hage] 投稿日:2007/11/22(木) 20:40:33 ID:???
・新造成った戦艦ビスマルクにネズミ取り水兵として着任
↓
・1941年5月27日、ビスマルク沈没。しかしオスカーは脱出、
漂流中のところ、英国駆逐艦コサックに救助される
↓
・駆逐艦コサックにネズミ取り係として採用され、そのまま横滑りで乗組。
↓
・コサックは地中海へ。1941年10月24日、独潜水艦の雷撃を受け二日後に沈没。
オスカーは再び救助され、ジブラルタル島へ上陸。
↓
・直後に寄港した空母アークロイヤルに便乗して出航
↓
・1941年11月13日、ジブラルタルから30カイリの地点でU-81潜水艦の
雷撃を受けアークロイヤル沈没。しかしまたしてもオスカーは救助され、ジブラルタル島へ再上陸。
↓
・乗艦が三度沈められ、三度生還した超ラッキー猫オスカーとして有名になるも、
こいつを乗せた船は皆沈むと評判が立つ。
以後、ジブラルタル島の士官宿舎のネズミ取り係を命ぜられ地上勤務となる。
↓
・戦後、勇気ある貨物船に便乗させて貰い、奇跡的に北アイルランド・ベルファストへ到着。
1955年死去。
現在、テムズの国立海事博物館にオスカーの肖像画が展示されている。
写真:http://www.battleshipbismarck.info/cat_oscar.htm
264 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/11/22(木) 22:07:07 ID:aHvo1uam
名前はずっとオスカーで続いたの? 独英でちゃんと伝承されたのかにゃ?
265 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/23(金) 10:56:44 ID:???
案外、首輪に名札というか認識票がついていたりして
この場合はドッグタグならぬキャットタグだなw
266 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/23(金) 11:04:42 ID:???
ジブラルタルでは「沈まざるサム」と呼ばれていたそうだ
258 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/21(水) 21:12:22 ID:???
現在のバージニア州ラングレーに、CIA本部が完成した当初、
そこがCIA本部であることは秘密にされ、
建物の正門には「連邦印刷局」という看板が取り付けられていた。
・・・・ところが、やがてそこがCIAの本部であることが知れ渡り、
野次馬までならいいのだが、観光バスが次々と正門前に押しかけては、
「『連邦印刷局』と書かれてはいますが、ここが秘密情報機関、CIAの本部です」と、
バスガイドが説明する事態にまで発展。
頭を抱えたCIAは、正門前の看板に堂々と「CIA本部」と名乗り、
地図にも明記することにした。
・・・そのとたん、野次馬も観光バスも興ざめになったのか、ぴたりと来なくなったとか。