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768 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 08:34:19 ID:???
>>767訂正
×汁いつもはカレー風味→○汁はいつもカレー風味
他に日中戦争期のある部隊では、
「明日敵の籠る山岳陣地を強襲する。一つ美味いものを拵えてやってくれんか」との大隊長
命令を受けた、娑婆で料理人だった司厨兵が発奮して美味いカレーを作った…ら、
「…こんないい匂いのものを作っちゃあ、敵に『動きあり』と教える様なものだ!…飯も
十分炊いて大盛りにしてくれ!」と、叱責なのかよく分からない褒辞を貰ったそうだ。
ドイツのあちこちの屋台で人気の、カリーブラート・ヴルスト(カレー風味のソーセージ)も
戦後の物々交換時代に、カレー粉ばかりやたら大量に出回ってハンブルグ版肝っ玉母さん
がソーセージにまぶして営業したのが元祖だとか。
何かカレーの話して申し訳ない、自分でカレー食いたくなってきた。
767 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 07:31:14 ID:???
その点補給がまだ順当だった、日中戦争期中支軍での「贅沢な逸話」に
「手違いなのかカレー粉が続々届いた」ていうのがあったな。
最初はカレーライス、カレーすいとん、カレー味の煮付け等に応用して
兵達にも好評だったが、何せ他の糧秣に較べカレー粉の量が圧倒的だった。
汁いつもはカレー風味、副食物もカレー味なのが延々と続く(前線近くで都市
もなく、当時の中国農村部ではカレーが知られていないので物々交換も拒否
された)と次第に兵もうんざり。とうとう始末に困って中隊長だか大隊長級が
「前線近くに到達しつつあり、匂いで接敵時に不利の恐れあり」を理由に
放棄を許可。大量のカレー粉は手近の川に放り込まれた。
折しも下流域で活動中の別の部隊、川上から真っ赤な水が流れてくるので
「上流では大激戦、屍山血河とはこの事だ」と戦々恐々としたそうな。
761 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/03/02(月) 17:09:10 ID:j6JgIniW
ガダルカナルとレイテの両方を体験した将校によると、
食糧事情はガダルカナルの方がまだマシだったそうな。
細々とでも補給があったから、多少の希望もあったと。
765 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/03/02(月) 23:10:21 ID:0UabbmCE
>>761
その点、中国戦線はまだ恵まれているな。食糧不足で飢餓に陥ったという戦記は見た事ない。
とある部隊の話。大戦末期、部隊は最後の決戦に備えて陣地構築をしていた。
食糧は補給された米が大量にあったが、困った事に副食が全くなかった。
主計課は周辺の村に買出しに行ったが、皆軍票を嫌いなかなか売ってくれない。
仕方なく支給された煙草などで物々交換をした。ある日は大量の冬瓜の買い付けに成功した。
当分は冬瓜汁尽くしになるな。
主計課は全員苦笑いした。
750 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 23:08:13 ID:???
ある不良兵長の逸話
この兵長は第三師団の輜重隊へ入営した。17年に関東軍へ転属を
命じられたが、出発までの期間、機密保持のため、外出禁止である。
ところが、彼と同年兵の上等兵は、酒が飲みたくて仕様がない。
一策を投じ、厩の馬を故意に放馬させ、あとを追うフリをして
二人は営門の外へ駆け出したのである。
この奇策は上手く効を奏し、彼は上等兵と共に、酒家で、思うさま
痛飲できた。
しかし、その後がよくない。酔っ払った千鳥足で帰営したので、
営門で衛兵につかまり、週番士官に、気絶するほどブン殴られたので
ある。
このときに週番士官が、この行為への釈明を問うたら、兵長は
「自分らの仲間は多く死んでおります。自分もまた生きて(日本へ)
帰るつもりはありません。満州へ移るに際し、せめて彼らの霊と共に
心おきなく痛飲したかったのです」と言った。
任務に忠実な出征兵士の真情な吐露であろうが、更にぶん殴られたのは
言うまでもない、と述べている。
751 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/28(土) 00:20:19 ID:???
酒を飲みたいが故に馬を逃がし、禁じられている外出をした上に
酒を飲み言い訳をする
死刑にならんのこれ?
752 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/28(土) 01:02:25 ID:???
軍隊もそこまで鬼ではない。角田和男氏は、酔った勢いで上官を殴って
知らん振りかましたが、事なきを得た。
また酔った勢いで兵舎の上官の部屋のベッドにワインをぶちまけたが、
翌朝の朝礼で上官から皮肉を言われただけで済んでいる。
753 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/28(土) 01:06:10 ID:???
そうなんだ
そういや坂井三郎さんも無茶やってたね
でも知らん振りはワロタ
720 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 14:57:49 ID:???
開戦初頭、北ボルネオの油田地帯を制圧し、採油作業に入ったころの
独立工兵第二中隊のところに英領印度軍の捕虜一個大隊が派遣されてきた。
この捕虜一個大隊の収容所の管理を任せられた著者の伍長は、
苦労話を語っている。
捕虜のうちわけは、英人将校数名と下士官、あとはヒンズー1個小隊と
マホメット2個小隊の混成で、生活の慣習がそれぞれ、違っていたのである。
2種部隊の食糧が全然違うため、衛兵や管理の伍長にブーブー文句言われる
わ、夕方近くになれば、仕事おっぽり出して西の方で座して十数分拝むわ。
衛兵が収容時間なので引っ張っていこうとすると、またブーブー文句いわれて
伍長がなだめに出向かないといけないわ、と初期の捕虜管理が難渋していた
そうだ。
そのうち伝染病がはやって捕虜の一部も死んでしまったが、衛兵が普通に
土葬しようとしたら、また2種部隊から文句をいわれる。
マホメットは焼いて水葬で、ヒンズーはそのまま埋葬だと難癖つけられまくり
だったそうだ。
英人将校がこの捕虜大隊を指揮してたのだが、この指揮官の中尉は好人物では
あったが、曲者な部分もあり、ヒンズー小隊とマホメット小隊との揉め事などは
よくおさめていたが、こちらの衛兵と捕虜の揉め事には、ワザと知らぬふりを
していたようである。伍長が英人中尉に頼ろうとすると、タバコなどの
嗜好品を要求されていたそうだ。
おかげで管理者であった伍長は、軍から捕虜指導で表彰されたそうだ。
721 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 06:41:12 ID:???
>720
たぶん埋葬法が逆だ。
回教徒は死後復活して裁きを受けなければならないので
肉体を保存する必要があり絶対に土葬
(火葬は肉体を消して永遠に地獄or煉獄へgo!となる)
ヒンズーはふつうに火葬する。
子供は焼かないとか細かい戒律が決まっているが
戦士ならばそういうこともあるまい。
もっとも、焼き方はいい加減で、生焼けでも流す。
696 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 23:42:32 ID:???
戦時中でも戦場でもないが、自衛隊での話。俺が当直のときに強い台風が来た。
当直なので、翌朝になってから被害をチェック。敷地内もショップのドアが飛んだり、
ゲートが門柱がゆがんだり、停電したまま等、被害を受けていた。
巡察を続けけていると、ハッサクとキーウィの木が倒されているのを発見した。
ここはもともと民間の修道院があったところで、いろいろとその時に植えられた植物が
野生化したりして残っている。この二つの木も、そのうちの一つで果実は営内者の間食や
訓練後の補給食として愛用されていた。
戻って当直幹部に報告。施設の状況を報告しても気のない返事だった。最後に「キーウィ
とハッサクの木が根から倒れています。」と報告したら、「何ッ」と初めて驚いていた。
その後被害復旧が始まったが、まっさきにこの二つの木が起こされたのは言うまでもない。
697 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 13:19:26 ID:???
>>696
建物はお金さえあればすぐに直せるが
おいしい果物がたくさん収穫できる果樹は、時間をかけないと手に入らないからな
693 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:19:09 ID:???
戦時中ではないが、ガダルカナル戦で活躍した百武晴吉中将の
兄の逸話に、こんなのがある。
百武家の五男である源吾氏が海軍兵学校(30期)時代に
31期の下級生に薩摩藩島津氏の家老であった川上氏の末裔を
名乗る者がいたらしい。
百武源吾氏は兵学校でも特に優秀な人物で、名前は知れ渡っていたが、
川上何某は「戦国時代に百武家の主君である龍造寺隆信の首をとったのは
俺の先祖だ。大将を守れなかった一族の末裔なぞ大したことないわ」と
吹聴していたらしい。
たしかに百武氏の先祖、賢兼は戦国時代、肥前の龍造寺氏の四天王で
あったのは衆知の事実である。
この噂を知己の者が源吾氏に密告してきた。この話を聞いて源吾氏は
「3百年前の過去の栄誉をかさにきる川上何某は、これから世界の海へ
目を向けてる日本海軍の大望には浮き草のような存在よ。
未来の栄光を築くことに遠回りしてしまう憐れな奴だ」と
一笑にしたという。
この逸話が嘘か真実は分からないが、兄の百武三郎氏は海軍大将、当人は
兵学校30期で唯一の海軍大将、弟の晴吉は陸軍中将に昇りつめている。