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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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4 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 12:54:36 ID:???
昔、自衛隊にいた時に、一応駄目と言われたけどお土産にいくつかの缶飯とⅡ型のパック飯と乾パンを持って帰ったら母がえらい懐かしがって婆ちゃんのいる帯広にいくつかを残してお土産にしたそうだ
婆ちゃんはもう死んでしまったんだけど、最近その話を思い出したんで母の日のついでに突っ込んで話を聞いてみたら我が家は親戚一同えらいド貧乏で(まあ今もだが)爺様はロシア系だかなんだかでいなかったらしい(母も物心ついた時にはいなかったとか)
女手一つで自分の母と叔父さんと叔母さんを育てたらしくて、某民族舞踊だけでは食えないから自衛隊の駐屯地で雑品拾いをさせてもらってたらしい
それで隊員の方々から食わなかった缶飯やら乾パンをどっさり貰って帰って来たらしくてよく口にしたと聞いた
缶飯やら乾パンを受け取った婆さんは目に涙を溜めて懐かしがったと聞いた
ついでに新隊員の時の写真がすべて無くなってしまった話をしたら婆さんの葬式で一緒に棺に入れたらしかった
そんな話を聞いたら退職前の最後の演習で葬式に出れなかったし、今もって墓参りすら出来ていないので怒るに怒れなかった
婆ちゃん御免

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959 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/25(土) 18:35:42 ID:???
レナード・モズレー氏の著書ならこっちのほうが。

撃墜されたドイツの航空兵で、イギリスの捕虜になった者は、イギリスの
寛大な待遇に喜んだ。
それは、ドイツ軍に捕虜になっているイギリス将兵に対する待遇がよくなる
ような状況をつくっておきたいという、本質的にはイギリス人のフェア・
プレイの精神に由来するものだった。

捕虜収容所では、将校は作業労働につくことはなかった。兵卒の捕虜は建設
工事から爆弾処理にまでわたる仕事をやったら、たばこ銭が与えられた。
食糧は豊富で、所長が定期的にウイスキーを持って現れ、捕虜とグラスで
乾杯をしていた。

イギリスの捕虜になっているということは、戦争から抜け出してしまう
ためには、もってこいの環境だった。
時には脱走を企てた話もあるが、真剣に脱走を企てたのは少数であり、
殆どの捕虜は冷やかしとスリルを味わうために企てたため、成功しなかった。

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956 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/24(金) 22:27:10 ID:???
中支派遣軍の最前線にて
日中両軍が陣地を構え、わずか数百メートルにて対峙していたが、ある日中国軍の
軍使がやってきて
「お互い無駄弾を打ち合っても仕方ないし、しばらく打ち合いをやめにしないか?」
と提案があり、最前線の部隊どおしで勝手に停戦協定を結んでしまったそうな。
そんなある日、中国語ができる日本兵が暇に任せて敵陣に話しかけた
「おーい、そちらは1日に何回メシを喰ってるんだ?」
「1日2回だ」
「日本軍は1日3回喰ってるぞ」
「うそだー!」
「本当だー!メシだけじゃない、菓子も酒もあるぞ!喰わせてやるからこっちに来いよ!」
「撃たないか!?」
「撃たないから来いよ!」
やがて本当に中国兵が日本軍陣地にやってきたので、腹いっぱいメシを喰わせて
無事帰らせてあげたという。


957 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/25(土) 06:56:46 ID:???
日露のころはマジでそういう事もあったと聞くけど…国民党相手にそんなことできたのか?
民間人ゲリラまで動員してる連中だろ


958 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/25(土) 08:27:28 ID:???
漏れは国民党軍の実態は分かんないが、人口の多い中国のこと、色んなケースが
あってもおかしくない。文化大革命までは文化人も多数居たんだろうし。


960 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/26(日) 09:05:20 ID:???
>957

赤はともかく田舎の軍閥@国民党推薦みたいなんとは仲良く・・・。

東條にバレて兵団ごとフィリピンだったかサイパン送りになったとか・・

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948 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 22:41:57 ID:???
『スターリングラード 運命の攻防戦』にあったエピソード。

スターリングラード戦当時、ロシアではまだ白の迷彩衣料が不足していて
狙撃兵だけに優先的に支給、おまけにそれが負傷したら別の兵士がそれを
剥ぎ取ってこなければ数が回らなかったらしい。
で、いつものように血まみれで横たわる仲間から衣料を剥ぎ取ろうとすると
その負傷兵が息絶え絶えになりながらも手首を掴んでくる。
恨み言の一つでも言うのかと思えば、「血で汚してすまなかった」と一言。


……ほのぼのしてないな。

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947 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 21:00:33 ID:???
イギリス空軍爆撃機の乗組員が夜間にドイツ上空で宣伝ビラをまく
任務を行った。「ドイツ首脳部は航空機の損失について何も語って
ない、ドイツ人諸君よ、真実を要求せよ!」との謳い文句であった。
イギリスの政治家や幾人かの高官たちは、このビラまきに心理的効果
を与えたと期待していた。
当の乗組員はそうは思わなかった。ある将校はいった「達成されたこと
といえば、(欧州)大陸のトイレットペーパーの需要を満たしてやった
ことぐらいだ」。

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943 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 01:18:31 ID:???
461 名前: スターリングラード戦の思い出話 [sage] 投稿日: 2009/04/19(日) 00:45:38 ID:???
…当事攻防戦に参加し生き残った元兵士たちを探し出し、市内最大の激戦地で今は戦争記念公園と
なっているママイの丘で語らってもらった。戦死者を悼む永遠の火を絶やさぬ記念墓地や、高さ80
メートルの「母なる祖国の像」がある。この丘で戦死した7200名の名を刻んだ壁があり、その壁面に
沿って歩いてもらった。歩いているうちに、壁面に馴染みの名前を見つける。
「ああ、あいつはここで死んでいたのか」
 と始めて知り、もう老境に入った元兵士たちが泣き崩れる場面もあった。
そのうち、思い出話に花が咲いた。カメラは回り続けるが、もうカメラの存在など忘れている。

「そういえば、毎晩暖房代わりにウォトカが50グラムずつ配給されたなあ。アレだけが楽しみだった。」
「そうそう。もったいなくてチビリチビリなめるように飲むヤツもいれば、グイッと一気に流し込むヤツも
いたっけ」
「一人一人の性格がモロに出たなあ。覚えているかい、セリョージャって若くて元気のいい青年」
「うんうん、まだ口ひげがうっすらと産毛のように生えてきたばかりだというのに、イッパシの男ぶって
生意気なところがあった可愛いヤツ」
「ウォトカを50グラムずつ飲むなんてケチなことをするやつは、ロシアの男じゃない、とか抜かしやがって
500グラム瓶に毎晩50グラムずつ流し込んだもんだ。瓶が満杯になったら一気に飲むんだ、と言ってね。」
「そうだったなあ。毎晩ウォトカのレベルが上がっていくのが楽しみで楽しみで仕方がないっていう風だっ
たなあ」
 このあたりから、ゴツくてモサモサした老兵士たちの声はやたら湿っぽくなり、鼻をすすりだした。
カメラは回り続ける。
「瓶がちょうど満杯になるその晩、ヤツは帰ってこな……」

米原万理著 「ロシアは今日も荒れ模様」より

大祖国戦争スレより。ほのぼのというよりしんみりかもしれないけど…

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937 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 19:28:15 ID:???
元満州の航空士の思い出話。

突然、関東軍司令官から停戦命令が出され、日本敗戦が満航空輸部隊に
知れ渡り、騒然となった。
関東軍司令部の参謀が、この緊急事態を大本営に報告するため、MC-20
旅客機が軍用臨時便で新京飛行場から飛び立った。
I操縦士が機長のこのMC機は、一度離陸したが、上空を一周してすぐ新京
飛行場に降りてきた。I操縦士は「重量オーバーだ。荷物を降ろせ!」と
語気鋭く係員に命じた。
実は、この重大任務に便乗してひそかに高級軍人の家族とその家財道具が
積み込まれたことを察知したI操縦士の怒りが爆発したのであった。

すぐに係員が若干の荷物を降ろし、再びMC機は離陸していった。
終戦の詔勅を聞いた後の東京行きであり、離陸までのいきさつも含め、
誰もがI操縦士のMC機が再び新京に帰ってくるとは思っていなかった。
ところが翌朝、そのMC機は新京飛行場に勇姿を現してみんなを感激させた
のである。

卑劣な行動が多い混乱した情勢の中でも正々堂々と王道を歩む満航操縦士の
気概を示したのであった。

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934 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 14:34:57 ID:???
戦時ではないが・・・

1960年安保反対闘争の国内有事を懸念し、自衛隊初の鉄道部隊を
極秘に創設した。
国鉄から機関車と貨車一両ずつを払い下げてもらい、輸送科隊員
50名を選抜し、埼玉大宮の国鉄機関庫で極秘に実物訓練がはじまった。

基礎訓練を終えた部隊は、駐屯地に指定されていた習志野に移駐することに
なった。そこで大問題に気づいてしまったのは、駐屯地の最寄の総武線の
津田沼駅から部隊までの引き込み線が一本もないことであった。

駐屯地まで線路を敷くか、どうしたものかと関係者が困惑しているうち、
世の中が平穏になりつつあり、防衛庁部内でも「国鉄があるのに、自衛隊
が鉄道を持つのはいかがものか」という疑問も出て、結局、この鉄道部隊は
一年足らずで解散、隊員もそれぞれ原隊に戻っていった。

五百万円(当時)もの予算を出して国鉄から払い下げてもらった
機関車と貨車は、埼玉朝霞の陸上自衛隊駐屯地に放置されてしまった。
幻の鉄道部隊を知らない朝霞駐屯地の幹部は、「何故、こんな車両が
自衛隊の中にあるのか皆目見当がつかない。国鉄からもらったもの
ですからね」と語っていたという。

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932 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 00:12:12 ID:???
某伊号潜は某南洋の島で、夜更けまで魚雷発射訓練をやって帰港した。
翌朝、なぜか艦長自ら「総員起こし!」と叫んで回ってきて、乗組員は
慌てて飛び起きたら完全に寝過ごしていた時間であった。

本来、起床の号令をかける当直兵は、なんと昨晩の疲れで爆睡状態だった
のである。
実は艦長、明け方4時に起きて港で釣りをしていた。
他艦では起床の号令がかかり、港の各軍艦は軍旗掲揚のため、乗組員が
甲板に出てざわざわと準備しているのだが、当の伊号潜だけ静間に
かえってるのに気づき、焦って帰艦してきたのであった。

海軍の日課の始まりである軍旗掲揚に、当の伊号潜だけ寝坊したとあっては、
当分白い目で見られるのは必至であります。
乗組員は冷や汗かいてあたふたと駆け回り、辛うじて軍旗掲揚の時間に
間に合った。

艦長は昨夜の猛訓練の後と言うことで、寝坊した当直兵には、怒らずに
注意で済ませたの事。

題名はうろ覚えだが、「海軍生活入門」だったか。その本から抽出。

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929 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 19:16:25 ID:???
その時、とつぜん砲撃がはじまったんで、おれたちは慌てて手近な塹壕に飛び込んだ。
するとどうだ、そこには先客がいたんだ。
ドイツ兵が五人。こっちはたぶん四人か五人だったと思う。
最初のうちは戦おうなんて気はこれっぽっちも起きなかった。
……そのとき、向こうはライフルを持ってるし、それはこっちもおんなじだって気がついたんだけど、
そこへ砲弾が落ちてきだして、おれたちは塹壕の端にへばりついて、ドイツ兵もおんなじことをしてた。

それでどうなったかって言うと、砲撃が小やみになったとき、
おれたちは煙草を取り出してそいつらに回して、仲良くいっしょに吸ったんだ。

あのときの気分をどう言っていいかわからないが、ともかくいまはドンパチやりあうときじゃないって感じだった。
……向こうもこっちとおんなじ人間だし、おんなじようにびびってたんだ。
                   

戦争における「人殺し」の心理学より、第二次大戦に従軍したアメリカ空挺隊員。シチリアにて。

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