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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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134 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 16:05:03 ID:???
おじいさんの戦争体験スレから

終戦迎えての8月17日に、八代出身のF氏が彗星艦爆で宇佐航空隊から八代飛行場に
復員着陸してきた。
「明日はみんなを飛行機に乗せてやる」とF氏は言い、地元の人は喜んだ。しかし、
近隣の住民は彗星艦爆の機材に目が移り、夜中にこっそりと飛行場に忍びこんで
誰となく彗星艦爆の部品を外して持ち帰り、朝になれば、飛べない状態になってい
ていたのである。
F氏はガッカリして飛べなくなった彗星艦爆を燃やして飛行場の隅に埋めた。

135 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 16:17:43 ID:???
続き

ところが、近隣の住民たちは焼却して埋めた場所を掘り返し、彗星艦爆の焼け残りの
残骸を持ち帰り、加工してナベやシャクシを作った。
1983年に小学校の教諭が八代飛行場近くの町村を調査したところ、7軒の家でこの彗星
艦爆の残骸で作ったといわれるナベの話が聞かれた。そのうち3軒には、実物のナベが
見つかっている。
「空を飛んだナベ」として重宝していたと語っていたそうだ。
 

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131 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 04:50:28 ID:???
484 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2007/06/04(月) 16:53:28 ID:X/T3xWtI0

俺が小学校5年のころに、ひいじいちゃんが無くなった。病気や怪我で死んだ
わけではなく、老衰だった。98歳の大往生だった。俺に小遣いくれたり、一緒に
釣りに行ったり、燻製つくりをしたり、その他にも火薬の作り方とかも教えてくれて、
何でも知っていて、いろいろな遊びを教えてくれるひいじいちゃんだった。

 大往生で無くなったので、葬式でもその後の宴会でもみんな和やかなムード
だった。ただ、一番懐いていた俺はやっぱり悲しくて、一人自分の部屋でシクシク
泣いていた。

 客も皆帰って、ごく身近な親戚だけになったので、風呂に入って寝た。当時寝て
いたベッドは、二段ベッドの下がない様なもので、横になると田んぼと家の前の道路
がよく見えた。暑くて目が覚めて、何となく窓のほうを見ると、白い着物を着た人間が
スーッと移動していた。そして、その白い人はピタリと止まると、こっちの方を向いて
片手をすっと伸ばして、頭の上でクルクルとまわしていた。よくは見えなかったが、
きっとひいじいちゃんに間違いないと思い、自分も必死にひいじいちゃんと同じように
、手を振り替えした。しばらくすると、またスーッと移動して消えてしまった。

 大人になって気づいたが、あの時の手の振り方は、海軍の兵隊や軍人が帽子を
持って手を振る独特のものだった。「そういえばひいじいちゃんは、元軍人だったなぁ。」
とぼんやり思い出した。あの時の白い人は絶対にひいじいちゃんに間違いないと確信
した。ひいじいちゃんが、軍人だった頃に被っていた略帽?は俺が貰って大事にしている。

長文すまぬ。 

 ひいじいちゃん元気かなぁ。

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67 名前:名無し三等兵[agwe] 投稿日:2009/06/11(木) 21:20:28 ID:???
これは1965年の3月14日にニューファンドランドの海岸で、

アメリカ海軍とカナダ当局との間で交わされた実際の無線の記録である。

 

カナダ  「衝突の危険あり、貴艦の針路を15度南に変更されたし」

アメリカ 「衝突の恐れあり、そちらの針路を15度北に変更されよ」

カナダ  「出来ない。衝突の恐れあり、
       そちらの針路を15度南へ変更せよ」

アメリカ 「こちらアメリカ海軍の軍艦の艦長である。
      もう一度繰り返りかえす。 そちらの針路を変更せよ」

カナダ  「NO、それは不可能だ。もう一度繰り返す、
       貴艦の針路を変更せよ」

アメリカ 「こちらはアメリカ海軍太平洋艦隊最大級の航空母艦
      エンタープライズである。 我々は駆逐艦八隻、巡洋艦四隻と
      多数の艦船を従えている。我々はそちらの針路を 15度北に
      変更するよう要求する。もう一度繰り返す。そちらが15度北に
      変進せよ。 我々の要求が容れられなければ、艦の安全の
      ために対抗措置をとる用意がある」

カナダ  「エンタープライズ、こちら灯台である、どうぞ」



68 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 21:24:50 ID:???
アメリカ海軍のホームページに>67は事実ではないと
わざわざ断り書きがあるらしいけど誰かそのURL知らん?


85 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/06/13(土) 02:16:22 ID:???
>>68
http://www.navy.mil/navydata/navy_legacy_hr.asp?id=174

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38 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/06/07(日) 21:34:14 ID:???
あなたのおじいさんの戦争体験にも書いたが、うちの祖父さんは
ガキの頃、村の近くの山に落下傘脱出してきたB-29のパイロットを
生で見たそうだ。
村の大人たちが捕まえてきたんだが、リンチやったらしく、頭を怪我していた。
中国戦線帰りの村の元兵士だったおっさんが、不憫に思って怪我してる
米軍パイロットを引き取って手当てしてやったそうだ。
祖父さんは当時、「ツノも牙も生えてなかったね」と米軍兵を見て近所の
悪ガキたちと不思議がっていたそうだ。

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33 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 17:19:37 ID:???
うちのひい爺さんは開戦前にハワイから引き上げてきた

で、その際大量の珈琲豆を持ち帰り、
戦時中でも飲んでいたがその香りは町内いっぱいに漂っていた

時々駐在さんが自転車漕いで駆けつけ
「せんせ、せんせ、珈琲飲む時は窓を閉めてください!憲兵にバレます!」
と注意しにきてくれていた

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27 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 11:55:53 ID:???
軍艦「長門」の、戦前の1コマ。
甲板上で舞い踊る洗濯物の見える風景。

以前、「丸」にその写真が載ってて、
思わずほのぼのしてしまいました。
ちなみに、その「丸」はすんごい昔のものです(どの巻か忘れましたが)

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28 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/28(木) 13:05:03 ID:zM4l7YLD
婆さんから聞いた話。

うちの爺さんは戦時中、炭鉱内で捕虜を監督として使ってたらしい。
もちろん日本万歳な世代だし、相当過酷な労働を強いていたようだ。
爺さんはもともと川筋もんで、背はちっこいんだが気が荒い。
捕虜同士で喧嘩なんかが始まると、下駄を手に持って割り込んで
飛び上がって双方の頭を殴りつけてたようだ。そんな無茶苦茶な
一方で、病人なんかには上にばれないようにこっそり食い物を
差し入れたりしてたそうだ。今思えばなかなかの男気。

戦争が終わって米兵が爺さんを探してるという噂が町内に流れた。
監督として無茶苦茶殴ってたから、仕返しに来た!と思った
爺さんは慌てて裏山へ逃げたそうだ。

そして、実際に数名の外国兵が、家まで爺さんを訪ねてきた。
婆さんが腹決めて出てみると、リヤカー一杯の毛布や食い物。
身振り手振りで会話するに「爺さんに世話になったから」
ということらしかった。外人兵らは笑顔で手を振って帰って
いったそうだ。

爺さん逃げなきゃもっと格好良かったんだけどなw

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16 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/21(木) 20:21:36 ID:EXM1DI8E
ほのぼのというよりも少し殺伐な話
明号作戦後、捕虜になったフランス兵と日本軍の軍曹が小競り合い
理由は、コーヒーはエスプレッソが美味しいか?、ペーパードリップが美味しいか?
というくだらない理由でした。
日本「資生堂パーラーをなめるな!!」
フランス「カフェ・ジョルジュサンクをなめるな!」
と口論になったらしい。

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13 名前:どっかのスレから転載[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 15:54:29 ID:???
 上記の様に,米海軍では潜水艦にさえアイスクリーム製造器が付いていたので食べ放題でしたが,その為,虫歯も多かったとの事.
米海軍のアイスクリームを意味するスラングは「ゲダンク」であり,歯が悪くなるといった意味からきており,
 そこから艦内のアイスクリーム製造器の事を「ゲダンク・バー」と言ったそうで.
 米国水兵のアイスクリーム狂いを冷ややかに見ていた英国兵も,米国艦に艦に招待されると,真っ先に行くのがゲダンク・バーとか.

 ところで,あるとき第3艦隊旗艦ニュージャージーの新任少尉二人が,ゲダンク・バーの途切れない列をにいらだち,
上官優先と言いながら列の先頭に着こうとしました.
 列の中から不満の声があがるなか,それをかき消すぐらいの大声で
「自分の定位置に戻れ!!」
と怒鳴り声が響いきました,
 その割り込んだ少尉二人が怒鳴った水兵を叱りつけようとすると,その声の主は第3艦隊司令官のハルゼー提督だったそうです.
 提督は辛抱強く,列で自分の番を待っていたのでした.
 その後,新米少尉達はスゴスゴと“定位置”に戻ったそうです.

 

14 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 18:31:55 ID:???
ガダルカナルではアイスクリーム製造機が無かったため
米軍の士気は低下してたそうな

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8 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/16(土) 19:29:49 ID:+ub4XT9f
ある予科練生達の話(訳あって何期生かは伏せておきます)。時期は台湾沖航空戦の前かな?たぶん。
松山航空隊から台湾へとえっちらほっちら移動になり、そこで訓練を受けることになった一同。
ところが次第に戦局は悪くなり、雲行きは怪しくなる一方。
基地にもたびたび攻撃を受け、練習飛行中の仲間が攻撃してきた敵機に落されたりと、それは穏やかとは程遠い状態が続いた。
飛行中にやられるのも怖いが、爆撃も怖い。が、予科練生たちにとって、敵の爆撃が飯時の直前に始まるのが一番辛かった。
というのは、爆撃が始まると、主計兵が調理をほったらかして防空壕に逃げてしまい、その日は飯抜きになってしまう。
16かそれくらいで徴兵されてきた食べ盛りの予科練生にとっては、正に生き地獄。

そこでさっそく一計を案じた予科練生たち。空襲が始まると、主計兵が火を消してさっさと防空壕に逃げるので、
火が消される前に飛び込み、主計兵に代わって調理を継続しようという事を決め、
朝食の場合はお前の班、昼飯の場合はお前の班、としっかりと時間帯に合わせた役割までも定められた。

そして翌日。偶然にも朝飯前に米軍機が来襲。指定された班はダッシュで厨房に駆け込み一言。
「早く逃げろ!でも火は消すな!」
そして主計兵に代わって、爆撃の中、必死になって飯を炊いたそうな。
爆撃をやり過ごした予科練一同、目標の飯は守ったが、「でもこれ、命令無視じゃねぇの…?」とみんなガクブル状態。
ところが、士官も怖~い教官も、爆撃後に温かい飯が食えると大喜びしてくれ、一切のお咎めなしで済んだそうな。

その日以降、その基地では爆撃が始まっても飯は作り続けることになったとか。


9 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/16(土) 19:40:18 ID:FGEwfv5A
毎日当たり前に飯が食える私

先人に感謝だ


10 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/16(土) 19:49:19 ID:+ub4XT9f
>>8
あ、徴兵じゃねぇや、この人たち志願兵だった(滝汗


11 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 20:24:28 ID:???
メシの力は偉大だねぇ。

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