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729 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/10/04(月) 01:35:23 ID:???
1944年、ニューギニアでの話。
敵機が我が物顔で飛び回る中、狙われるので日中飯を炊くことさえ出来なかった。
ある士官は、沿岸部を命辛々後退している際、奇妙な高射砲部隊と出会った。
司令本部を設営するにも密林奥深くでないとぼこぼこやられてしまうのに、その隊は密林の切れ目に堂々と陣を構え、ロープを渡して洗濯物を干し、敵機に対しても盛んに発砲している。
しかもねじり鉢巻に褌一丁でだ。
士官がその辺りの兵に話を聞くと、
「頑張って偽装してもすぐに位置を掴まれてしまうから、開き直ってああしたのだ」
との事だった。
久しぶりに勇敢な、胸の好く連中を見た士官だったが、彼がそこを去った何日か後には、やはり重爆か何かで綺麗さっぱり吹き飛ばされてしまったという。
704 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 18:59:50 ID:???
ベトナムにいたことのある地元のおじいちゃん(今年で92歳)
戦争のことよりも、現地の人々の文化が印象に残っているらしく、
「あそこの少数部族の人らはねぇ、重婚が当たり前なんだ。
男は何人の女と結婚してもいいし、女も何人の男と結婚してもいいんよ」
としきりに感心していた。
そのおじいちゃん、地元じゃいわゆるプレイボーイとして有名だったようで、
おそらく現地のその重婚文化がえらく羨ましかったのだろうと思ったw
でもそのおじいちゃん、フィリピンで爆撃に遭って片足を無くしているんだけど、
戦場での話はあまり口にしたがらないのが印象的だった。
705 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/10/01(金) 19:57:05 ID:???
>704
ソノ話の裏を読み取るに、赴任中、現地に彼女だか奥さん作ってたんでしょ。
んで泣く泣く内地に帰還、別れたと・・・
706 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2010/10/02(土) 15:35:24 ID:9RbQ90Ij
上官から「戦闘機乗りになったからには、母親の歳の数まで敵を落として
はじめて親孝行をしたといえる。」と言われたが、母親は70過ぎだった。
707 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/10/02(土) 16:36:18 ID:???
いい上官じゃないか。
それだけ、戦闘気専修者は血の気が多くて・・・ってことなんだろうけど。
俺の叔父は海軍で
陸戦隊→航空隊へ試験合格で移動→訓練中に回天志願者募集(戦局を
変える兵器だけども、生還は出来ないとだけ説明されたとか)→大希望
(教官室に押しかけたとか)→瀬戸内で訓練→でも余り上手でない→
静岡の本土決戦部隊として配置→終わっちゃった!
親父いわく「中学でも番長やっていてな・・・」「どうせ死ぬなら華々しく
戦ってと希望して、(中学を退学して陸戦隊に入ったから)猛勉強して
飛行過程に進めたのに。でも、そのままだったらすぐに特攻で死んだ
かもしれんし・・・」昨年叔父は他界。親父は兄貴が自慢だったようで
何度もリプレイしていたっけな。
ヨタ話でごめん。(親父は、以前「ガーコ」で話した少年飛行兵)
692 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 19:02:42 ID:???
こないだシベリア抑留の経験があるおじいちゃんのお話を聞くことができた。
おじいちゃんは技術伍長で、ソ連軍の将校が使う電話機を修理したことで、
ちゃんとした食事を出してもらえるようになったんだそうな。
「こんな簡単な作りの電話機を修理できんで捕虜にやらすとは……」
と思ったんだとか。
ただ、日本軍の防寒着とソ連軍の防寒着では、
ソ連のものの方が作りが雑でも凄く性能が良いことに驚いたらしい。
「ドイツもこいつにやられたんだな」
と日本やドイツと、ソ連の冬季戦能力の差を実感したんだと。
693 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 00:30:11 ID:???
ソ連赤軍の官給外套なんて生地が硬すぎ厚すぎ重たすぎなせいで服が「自立」するからな
日本帝国陸軍は仮想敵国的に満州が主戦場だから、戦前より通常の外套や冬衣とはまた別に
防寒外套(兎の毛をたっぷり)や防寒長靴(フェルト+革)や防寒帽とか
冬季装備はドイツやアメリカなんかよりよっぽど充実していたけどさすがにソ連には負ける。
694 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 00:10:37 ID:???
>693
兵隊同士が喧嘩になった時に綿入れの外套か何かを数枚重ね着したうえで
米軍供与のシャーマン戦車の付属品として付いてきたトンプソン短機関銃で撃ち合いやったら
弾が当たっても貫通しなかった、なぞという話があるくらいにはガッチリしとるみたいね>赤軍防寒着
まあ、それもフィンランドで痛い目見たからそこまでちゃんとしたものになったらしいが・・・
695 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 01:13:40 ID:???
流石にそれは…、ありえる…のか?
696 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 10:50:11 ID:???
防寒着をたらふく着込んだ赤軍兵が
ゾンビの如くウラーウラー唸りながら前進してくる絵を
想像しちゃった。
あれ?
普通じゃん
699 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 11:50:52 ID:???
>695
いや、俺も最初読んだ時はポルナレフ状態だったがな、
だが大佐まで昇進した人が言ってるんだから、まるっと嘘とも思えんでなぁ・・・
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/loza3.html
トンプソン、というか45口径の径の大きさと初速の遅さ、
そして軍用実包だからラウンドノーズ形状というのが組み合わされば、
ごっつい防寒具を貫通できないのかも知んない。
多分9ミリだと違う結果になるかと。
そういや銃剣でもナイフ形だと防寒具を貫通できないから、ってんでスパイクにしたところもあったような。
672 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2010/09/21(火) 04:19:45 ID:bfUCxOBI [1/2]
アメリカ海軍のミニッツ提督は、日本海海戦の東郷平八郎を尊敬していた。
戦後、横須賀の記念艦・戦艦三笠がキャバレーとなり荒廃していたのを嘆き、
改修保存の指示を発すると共に、費用として自らの著書の印税を寄付したそうな。
679 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/21(火) 12:48:33 ID:???
東郷神社を調べていたら、もうひとつのニミッツネタが・・・。
東郷神社は、戦災にて焼失したが戦災で焼失した東郷神社が再建されることを聞き、
東郷提督を崇拝していた米海軍ニミッツ提督は、自著『太平洋海戦史』の日本語版の
謝礼金を「アメリカ海軍の名において東郷神社再建奉賛会に寄贈したい」と申し出た。
昭和三十九年、神社の復興が成ったときニミッツは深く喜び、再び次の言葉を写真ととも
に寄せてきたと伝えられる。
<日本の皆さん、私はもっとも偉大なる海軍軍人である東郷平八郎元帥の霊に敬意を捧げます。>
680 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/21(火) 12:53:33 ID:???
あとこんなの見つけた。碑文が素晴らしい名文だな。
「潜水艦殉国碑」
太平洋戦争中に戦没した潜水艦乗員の慰霊碑で、碑には「殉国」の文字と伊号潜水艦の
レリーフが飾られ、碑文が記載されている。慰霊碑にそびえ立つマスト状のものは、
潜水艦の潜望鏡である。
『潜水艦有志に捧ぐ
太平洋戦争中、百二十余隻の潜水艦と共に戦没された一万余人の乗員諸君。特殊潜航艇
及び回天決死隊諸君。又諸公試、演練に殉難された諸君。諸君の遺骨は海底深く沈んで
之を回収する途がない。しかし、それは国難に赴いた諸君の忠誠が、そのまま其戦場に
在ることを意味する。民族の急を救うべく戦った犠牲の精神は永えに其処に活きている。
残された潜水艦関係の吾等は、個人と法人と併せて幾千、常に諸君の英霊の坐する海底を
見つめている。願わくは、日本国民の全部も、ありし日の諸君の勇姿と、奮戦激闘の光景と、
護国の屍となった戦場とを緬想して、敬弔の誠を伸ぶると共に、祖国再興の心の糧とすることを
祈願して已まない。
茲に曾ての戦友、潜水艦建造関係者外有志一同相計り、小碑を東郷神社の霊域に建立して
諸君不滅の忠魂に捧ぐ。
昭和三十三年五月二十五日』
658 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/19(日) 23:48:11 ID:???
時は1941年頃の地中海。
北アフリカのロンメルへの輸送路を確保しようとするイタリア、ドイツ両軍と、
それを阻止せんとするイギリス海軍潜水艦との間でも死闘が繰り広げられていた。
だがいくら敵とは言っても船を沈められてしまえばただの遭難者である、
人道的にも彼らは可能な場合は救助されるのが普通であった。
もちろん情報収集という面でも彼らには大きな価値があったのだが。
それはともかく、イギリス潜水艦に収容されたイタリア人捕虜たちは、
救助してくれた感謝の意を示すため、また囚われの身の手持ち無沙汰を紛らすため、
そして実際的な理由からある労務を志願する者が多かった。
それは料理人である。
実を言うとマルタを根拠地としていた英海軍第10潜水戦隊の主力であったU級潜水艦は、
小型な部類であったために初期は専任の調理員が配属されていなかった。
このため乗組員の中から志願、または任命されたものが兼任する事となっていたのである。
だが「当たり」を引いた艦はともかく、「ハズレ」を引いてしまった艦では
海上封鎖を喰らっていたマルタの食料事情の悪さと相まって、
イギリス人基準ですらうんざりするような代物が食卓に並ぶ羽目となったのだ。
イタリア人達が料理人を志願するのも無理はない。
イタリア人“シェフ”達は限られた食材で見事な腕前を披露し、中には
「イギリスから出撃してからこっち、こんなに美味いもん食った事無ぇ!」と評されるものや、
魚雷の装填から士官室の給仕まで手伝ううちに英語を覚える者まで現れた。
しかしこれを見て「ヘタリアw」などというのは浅はかである。
かれらは主に輸送船の乗組員で軍人ではなかったのだし、
イタリア海軍対潜部隊は勇猛に、そして執拗に戦い、
多くのイギリス潜水艦を血祭りに上げていたのだから。
659 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/19(日) 23:48:59 ID:???
むしろこういう場合に始末に負えないのは、空気の読めないドイツ人のほうである。
あるドイツ兵はマルタで潜水艦から降ろされた際に桟橋の上でナチ式敬礼をやらかした揚句、
「ハイル・ヒトラー!」とブチかまし、居合わせた英軍歩哨に着剣した小銃をつきつけられる羽目になり
またあるUボート乗組員は「丁重な扱いを要求」した上に尋問を担当した第10潜水戦隊司令に対し、
「お前等の対潜作戦お粗末すぎm9(^Д ^)pgr」とイギリス側を扱き下ろしたのである。
戦隊司令シンプソン大佐はこの男の前で表情を変えないように必死だったに違いない。
なにしろこの大馬鹿者、延々と続けた自慢話の最中に、
イギリス側も掴んでいなかった重要情報、Uボートの可潜深度をバラしていたのだ。
さてイタリア人たちも潜水艦がマルタに無事帰投すると捕虜収容所に送られたのだが、
すっかり艦に馴染んでしまい「俺は降りんぞ!戦争が終わるまでずっとこの艦にいるんだ!」
と抵抗する者もいた。だが規則は規則、彼ももれなく収容所送りとなってしまった。
新しい友人を失った悲しみで乗組員たちの士気が下がったのは想像に難くない。
彼こそ「こんなに美味いもん食った事無ぇ!」という料理を作った“シェフ”だったのだから。
652 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/16(木) 19:10:49 ID:???
ベルリン攻略の前哨戦、キュストリンとかはほのぼのしてるかもしれない。
ジューコフ 「(゚∀゚)攻撃の時に敵に向けてサーチライト照らしたら凄くね?」
部下1 「キタ━━(゚∀゚)━━!!!! 天才現わる!!」
部下2 「(*゚∀゚)=3ムッハー、敵もきっと目が眩んで撃ち返せないっす!!」
夜明け前に攻撃開始
λλλλウラー λλλλウラー λλウラーλウラー
λλλλウラー λλλλΣ(゚Д゚)前に敵発見ウラー λλウラーλウラー
λλλ撃たれたウラー敵は後ろだウラー λλλλ撃て撃てウラー λλウラーλウラーΣ(゚Д゚)前に敵発見ウラー
λλλ後ろの敵を攻撃だウラー λλλ撃ち返してきたぞウラー λλウラーλウラー撃て撃てウラー
λλλ後ろの敵を攻撃だウラー λ包囲されたぞウラー λλウラーλウラー撃て撃てウラー
λλλ後ろの敵を攻撃だウラー λλウラーλウラー撃て撃てウラー
そして夜が開けて
λ後ろは味方だぞウラー λあれ敵じゃなかったぞウラー ずいぶん数が減ってるぞウラー
で、あっさり攻撃は撃退されましとさ
653 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 19:36:20 ID:???
>>652
そんな話があったのかw
俺が知ってるキュストリンのサーチライト話は、
「砲煙、爆煙、煙幕弾といった煙にサーチライトの光が当たって、
いつも以上に視界が遮られて攻撃がうまくいかなかった」
という話だったんだが、「うまくいかなかった」の中に大規模な
同士討ちが含まれてたんだな
単にドイツ軍に対して有効な攻撃ができず、攻勢は頓挫しただけ
だと考えてたわ
654 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/18(土) 10:36:02 ID:???
>>652
とても凄惨な話なのに書き方が秀逸すぎて和んだwwwww