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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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983 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 14:46:50.39 ID:???
南方軍総司令部の参謀長がマレー、インドシナ地域を飛行機で視察するため、
閣下ご一行を運ぶ役目となっていた清水陸軍大尉。

スマトラ島のメダンで市街地の酒保に行き、内地の香りのする料理を
食べていたときの事。
同伴の上等兵が、給仕のインドシナ娘に、日本語は通じないと思って
「おい」、「おい」と呼んでいたら、娘から手厳しく、
「女性においおいって、兵隊さん、失礼でしょ」と現地訛りの日本語で
たしなめられた。
これには、上等兵も清水陸軍大尉も「まいった、まいった」と頭をかいた。

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982 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 04:12:57.31 ID:???
哨戒艇102号にて

士官室で昼食後、駄弁をろうしていたところ、士官室から艇長室へ通じる
伝声菅が開いていて、一部始終が艇長の耳に入ってしまった。
まもなく士官室に降りてきた水谷艇長の大喝があった。

しかし、三日前に対空戦闘で38名の戦死傷者が直後であり、心痛されて
いた水谷艇長は不謹慎な駄弁に我慢できなかったのであろう。
部下思いの水谷艇長が、ただ一度落としたカミナリであった。

元海軍大尉 吉見友嘉氏の回顧録

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964 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/04(木) 00:31:51.68 ID:???
暇だ・・・暇すぎる・・・男たちはダレきっていた。
山の向こうには世界最高の歓楽街の一つがあると言うのに、ここには何もない。
ネヴァダ砂漠南部のグルームレイク。そう、ここはエリア51

別に仕事が無いわけじゃない。時は1968年、ベトナム戦争真っ最中。
本来ならガッチリと実験のスケジュールが入ってるのだが、その「実験」のスジが悪すぎた。
イスラエルに亡命したMig21の実機を持ちこみ、その空戦性能を探らんと言う重要実験。
ついでに中東各地からちょろまかしてきたソ連製のレーダーをずらりと並べて各種データを取ろう・・・

それがソ連にばれちゃった。

当然激怒したソ連側は、最短45分と言う間隔で偵察衛星を通過させ厳重な監視体制を敷いたのだ。
これではのこのこ機材を外に引き出して実験をする時間などありゃしない。
ほとぼりが冷めるまで男たちは砂漠の真ん中で缶詰と言う事に相成ったのである。



965 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/04(木) 00:32:32.94 ID:???
思いつく限りの暇つぶしはもうやった。
クイズにギャンブル、果ては車のハンドルを握ると電気ショックが流れるいたずら・・・
せめて山向こうのラスベガスで放送してるTVが見たい、と
電子工学の専門家集団の知識と腕を総動員して宿舎の屋根にアンテナを設置したが
受信できたのは・・・何故かスペインの国際放送だけ。

いいかげん闘牛にも飽き飽きした頃、誰かが思いついた。
「どうせならロシア人に暇つぶしの相手になってもらおうぜ」

そうと決まれば話は早い、偵察衛星が通過したのを見計らって外に飛び出すと
地面に「現実にはありえない奇妙な形の飛行機」のシルエットを描く。
さらにご丁寧なことにヘアドライヤーなどを使ってその輪郭や
エンジンなどの熱源があるっぽい所を暖め、衛星の赤外線カメラに捉えさせるという念の入れ様。
・・・もっともこの「暇つぶし」にソ連側がどういう感想を持ったのかは定かではない。

ちなみにこの同時進行していた実験二つからは
・トップガンの創設
・レーダー反射波のパターンから航空機の種類を識別する基本概念
・そこからステルス技術への応用
という結構重要な成果が生み出されてたりする。

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959 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 01:48:49.71 ID:???
>>956
メンコの数じゃね

弟が防大出て3尉任官したとき祖父が敬礼で迎えたのを思い出した
なお祖父はポツダム軍曹
ちなみに俺は一任期の予備自w


震災のときは危うく弟の指揮下に入るところだった

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868 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 00:37:46.22 ID:???
イタリアのほのぼのした話はラテン気質によるものかねー
『バトル・オブ・ブリテン―イギリスを守った空の決戦―』(R・ハウ&D・リチャーズ著)より一つ投下。

バトル・オブ・ブリテン(1940年7月10日~10月31日)も終了しかけた10月29日のこと。
平均気温5℃と寒さが本格化したイギリス上空に、今大戦で初めてイタリア軍機が姿を現した。
これは数か月前に自国を爆撃されたムッソリーニが(渋るゲーリングを説き伏せ)
報復と称して送り込んだ爆撃機15機、戦闘機70機の堂々たる大編隊。

が、しかし。その編成はBR.20爆撃機(日本が戦前に輸入したイ式重爆と同型)と
CR.42戦闘機(複葉!)という凄まじさで、加えて塗りなおす暇がなかったのか、
どの機体も薄緑に鮮やかな青というエキゾチックな地域に相応しいド派手なカラーリング。

この航空ショーさながらの編隊には、道行く人々も、また日頃の空襲で鍛え抜かれた
高射砲班も同様に面食らった様子で、この日は砲火もほとんど開かれぬままであった。

初冬の空を飛ぶ色鮮やかな編隊は、やがて敵地上空を飛ぶことに満足したのか
郊外に数発の爆弾をばらまいてから、行きと同じように整然とした編隊を組んだまま帰って行ったという。

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863 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/25(土) 14:09:50.25 ID:???
ムッソリーニはドイツの足を引っ張ったという観があるが、ムッソリーニも
ドイツに振り回された。

1943年七月に連合軍がシシリー島に上陸すると、突如ファシスト党幹部に
反乱を起こされ、ムッソリーニは逮捕された。バドリオ新政権は連合軍と
休戦したが、ヒトラーのムッソリーニ救出により、北イタリアに「イタリア
社会共和国」を樹立してムッソリーニは戦争継続の政権を握った。(傀儡であったが)

ところが戦後に明らかにされたところによると、大戦末期にイタリアを占領
したドイツ軍は、ムッソリーニに内密で連合軍への降伏を交渉しており、
それを知ったムッソリーニは「ドイツは最後まで余をだましおった!」と
激怒したという。

そういうムッソリーニだけに日本には最後まで強い信頼感を寄せ、
時の日本大使館に個人的な重要書類を委託し、これはいまでもスイス銀行に
保管されてあるのことである。
また日本の潜水艦で日本に渡航する計画も日本側から出されたが、
ムッソリーニは「好意は有難いが、余はイタリアで最後を迎えたい」と
断ったともいわれる。

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852 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 18:50:05.62 ID:???
何かと精神論で日本軍勝利を煽る陸軍が多い中、岩畔豪雄少将は特異で個性的な
人物であった。
第十五軍のインパール作戦の状況が悪くなったとき、部下の大沢が「勝てますか?」と
言った。
岩畔は、「負け方次第では、負けてよいときがある。この戦争は日本の負けだが、
わずか二個師団で、敵の五個師団を相手に、よくこれだけ頑張れたと思う。
人間業で、これが最善の作戦だろう」。
昭和二十年八月十二日にイギリス空軍からビラで「日本軍降伏」が伝えられたとき、
デマだ、敵の宣伝だ、という部下に対し、「宣伝ではない、本物だ。敗戦は早く
から覚悟していた。日本の将来を期して打つべき手は色々ある。日本は決して
ほろびない。任せてくれ。心配することはない」。

敗北主義者として一時期、参謀本部から敬遠されていたものの、現実を直視した
慧眼で、彼は戦後の復興に尽力した。

どもんしゅうへい著「日本の命運に係わった陰の男たち」



853 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 18:56:59.18 ID:???
上手な負け方って本当に難しいんだよね



854 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 23:11:39.96 ID:???
>>852
>>昭和二十年八月十二日に
気が早すぎだろw



855 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 23:31:08.63 ID:???
>>854
ポツダム宣言受諾そのものは8月10日に通知されてる
連合国側から条件(国体護持)付受諾を認めない回答があったのが11日
んで条件撤回をした上で受諾したのが14日
15日国内発表

だから12日に伝単がばらまかれても不思議ではない

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843 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 15:08:06.84 ID:???
広島の残留放射能は1、2週間がピークだったんじゃないの?
中性子浴びてできるリン32とかの半減期がそれくらいらしいから。
古い資料で申し訳ないけどDS86によると爆心地付近で一日10時間~20時間×7日で被曝線量0.1グレイ、500m圏内で0.01グレイ
炸裂時に一キロ圏内で4グレイの放射線が降り注ぎ
さらに近い場所では50グレイ近い放射線浴びたらしいから一瞬でも危ないわな。
コンクリの壁と柱、2つの遮蔽物のお陰で自分は助かったけど
目の前で同僚たちは突然痙攣起こして死んでたなんて証言もあるし。


ほのぼのじゃないけど自分も便乗して広島の話を。
8月6日の広島市内を写した写真は5枚だけ。
しかし、ひょっとしたら他にも写せた人がいたかも知れない。
一人は産経新聞の記者。
紙屋町で被曝し重傷を負ってたが知り合いの記者にあったさいは
「(自分の怪我は)大したことはないよ」「カメラがやられたのが惜しい」
と話しながら火傷した手にひしゃげたライカのカメラをぶら下げていた。
5枚の写真を撮影した松重カメラマンは
明け方まで広島城(司令部所在地)にいて直接出社せず
朝食を食べに帰宅、出社社中に便所に行きたくなり帰宅の偶然で助かりあの日を撮影する。

もう一人、あの日を撮影できたかもしれないカメラマンは正体不明。
郊外から市内に入ろうとしたところを橋を封鎖していた憲兵隊に止められて
「いいから通せ!」「危ないから通せん!」「危ないのはわかっとる!!通せこのヤロー」
「このヤローとはなんだ!」
と憲兵隊と押し問答している姿が目撃されている。
大きなカメラを持っていたから新聞記者では?と目撃した人は語る。
最終的には憲兵隊に川に投げ込まれ、正体も消息もようとしてしれない。

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835 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 22:02:45.98 ID:???
広島の話に便乗して終戦後の広島市内での話

ぼつぼつ焼け跡にバラックが建ち、疎開先から戻ってきた人
復員した人、生き延びた人々の生活が始まった。
上空からの写真を見ると市内はほとんど建物がなく辛うじて
コンクリート製の建物が残っているだけの焼け野原。
だがそれでも元気な子供たちというのはいるもので

「いやあ、焼け跡は面白かったですよ」「ピストル、勲章、鉄兜。焦げてるけどなんでもあった」
「全部拾い集めて戦争ごっこしましたね」

大変ではあったがこんな風に暮らしていた人もいた様子。

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811 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2013/04/30(火) 08:16:12.61 ID:HfCx1btd
仕事中にお客さんから聞いた話。

某空挺団で有名な、関東の某所。
そこのお客さん、職場兼自宅が演習場から直線距離にして1kmも無い。
なので演習があるとヘリコプターやら空挺降下やら、おなじみの景色を毎年見ているそうな。

そんな空挺団の地元ならではの風物詩が「木になる自衛隊」。
降下中に風に流されて演習場を外れた末に、庭の木に自衛官がぶら下がっている光景は、もはや慣れっこだとかw


でもそれよりもブツブツ文句を言っていたのは、
(地元民にとって)「あんなに広い演習場なのに、端っこのフェンスのすぐそばでヘリコプターから降りてこないでもいいだろうに。埃が来て大変だ」
というのは、双方にちょっと同情した。



812 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/04/30(火) 12:27:15.41 ID:???
事故もあってね
結構殉職者を出してるよ



813 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/04/30(火) 14:30:44.83 ID:???
俺の家には、風で流された空挺隊員が二階の屋根に墜ちてきたよ。
すぐに部隊の人が来て、翌日には壊れた屋根を直してくれた。
隊員さんは怪我は無かったみたい。
今から35年も前の話。@東習志野8丁目

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