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149 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:49:10 ID:???
昭和16年に採用された、若き宇高連絡船の事務掛。
折りしも太平洋戦争開戦のころで、乗り組んだ連絡船「水島丸」は、
数多くの出征兵士を運んでいた。
「祝出征」の幟を立て、にぎやかに見送るのは町内会のひとたちだったが、
家族は後ろの方から、ひっそりと見送っていることが多かったという。
船内のボイラーで飯を炊く、15銭の弁当は炊きたての飯で人気が高く、
飛ぶように売れていたが、その空になった折り箱の掃除が大変、
2等室ではお茶のサービスも・・・と、かいがいしく働いていた事務掛にも、
やがて自らに召集令状が届き、宇高連絡船に乗って戦地に送られる日がやってきた。
戦車師団に配属され、満州、中国を転戦、中国で終戦を迎えて抑留され、
昭和21年に復員した事務掛、
上陸した山口県から寿司詰めの列車、ときには貨物列車に押し込まれ、
やっとのことで宇野港にたどりつき、宇高連絡船に乗ってふるさと、四国に帰れることに相成った・・・が、
事務掛を待っていた船は、空襲をも生き延びた「水島丸」で、
懐かしい上司の1等航海士とも、再会を果たすことができた。
「よく帰ってきたね」と迎えられ、高松まで1時間の航海はあっという間だった。
出征のときにどの連絡船に乗ったかは覚えていないのに、
復員のときの「水島丸」での航海は、鮮烈に覚えているとのちに語っている。