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613 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/10/03(火) 20:49:10 ID:???
じいさんから聞いた話だが・・
実は、あんまりほのぼのではないかもしれん。
大戦末期に民間船の機関整備をしようとするがどうしても軍務や大手を優先して
いたため、なかなか民間の船(それも小型など)は整備はしてもらえなかった。
しかし、そこはそれ、整備員の喜ぶそう麺や子供のおかしなどを整備員の
人数分甲板に置いておけば朝までにはなぜか機関整備や修理も完了していた。
そして、仕事で移動するため整備時間がなかったため、山のようにたべものや
お菓子を甲板に積んで整備員たちを労ったそうだ(ただの賄賂の様な気もするが・・・・)
そして、そのかいや整備員の努力もあり、船は早朝を持って港を出航することができた
らしい、うちの爺さんたちは整備員さんに礼をいって船は出航した。
船は順調にすすんだが、8時をすこし回った時、広島上空で閃光が光ったらしい。
それは島陰に隠れてはいたが、広島で何かがあったとはっきりわかるような
異変で、何やらすごい凶々しさがあったと爺さんはいっていた。
俺が中学生の頃だから、45年たっても爺さんは時おり思い出していた。
「あの、そうめんやお菓子は子供達の食卓にとどいたのだろうか、
整備員さんたちに口にしてもらうことができたのだろうか?」
そう言っていた爺さんの声を思い出す。
まあ、もう、本当に古い話なのだけれどもね。