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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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426 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 20:55:26 ID:???
ドイツ軍水兵のマンスフェルトさんは、仮装巡洋艦ミヒェルで
43年に日本転進を命じられ、戦時中・戦後計4年を日本で暮らしました。

でも、特に仕事もなく戦時下にもかかわらず琵琶湖をはじめとする名所旧跡
を観光したり、軍が斡旋した箱根の旅館でジャガイモの皮むきを手伝ったりして
暮らしてました。

でドイツが降伏した後、神戸の海軍基地勤務になった時に、も神戸空襲に遭遇。
マンスフェルトさんと仲間達は、さっさと山へ逃げて行きました。

で空襲が終わった後、帰ってみると自分達が住んでいた家は無事でした。

なぜなら、煮炊きをしてくれていた、おばあちゃんが一人残って火を消し止め
ていてくれたからだったのでした。


427 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 23:36:11 ID:???
久々にほのぼのする話を聞いたな

428 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 01:05:20 ID:???
日本家屋でジャガイモの皮剥きを手伝うドイツ兵
想像したら萌えた

429 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 02:14:32 ID:???
なんかこういうのいいな

430 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 02:28:35 ID:???
>なぜなら、煮炊きをしてくれていた、おばあちゃんが一人残って火を消し止め
>ていてくれたからだったのでした。

チョットマテw
どこが「ほのぼの」だよ。
役に立たない無駄飯喰らいの居候と鉄血婆ちゃんの孤軍奮闘記じゃねーかw
戻った後で、木刀か竹槍で追い回される後日談が必要だろ。

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376 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/08/20(木) 01:01:54 ID:saCoLjjL
インドネシアのサマランという糞田舎の町に日本軍がやってきて、女子高の隣に駐屯した。
そしてそこから夕方過ぎになると駐屯地から「あつーーー」「あちゃちゃ」「くおーー」
などと苦悶する男の声が聞こえてきた。
ある日勇気を振り絞った女子高生がこっそり見に行ったら、数個のドラム缶の下で火を起こして
その中のお湯に苦悶の表情を表して浸ったり、それに並ぶ無数の全裸の男たち、、、
インドネシア人少女が初めて見るお風呂と男の裸だったそうです。
それを見て思わず声を上げてしまったインドネシア人少女に「どうしました?」「何かあったんですか??」
「ここは民間人立ち入り禁止ですよ。」などと親切心で心配の言葉を話しながら押し寄せる無数の全裸の日本人たち。
その場でシクシク泣き始め、駆け付けた通訳官に、なぜここに来たのかを説明し、
通訳官からお風呂という日本の文化を教えてもらったそうです。


390 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 09:11:51 ID:???
>>376 インドネシアにはお風呂が無かったと言うのが驚き。
気候は暑くて汗をかく。そして、水と燃料(になる木はいくらでもありますよね)が豊富なのに。
当時のインドネシア人はどうやって体の衛生を保っていたのだろう?
汗まみれ垢まみれで体臭を放っていても平気なんかな?


392 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 11:57:29 ID:???
>>390
少しは調べろよ。
水浴びしてるんだよ。東南アジアの安宿なら、浴槽はなくてシャワーがあっても水だけしか
出てこないし、一般には水浴び用の水を溜める水桶と手桶が置いてある。

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286 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/08/07(金) 14:27:34 ID:1mBRl57F
悲惨だったのは戦地と都市部だけだったみたいだ。
祖母はド田舎に住んでいたんで空襲とか無縁だった。
ある日、B29が上空を飛んでいたので「今日は学校休みだ」と素直に喜んで
いたら全く損害なしで学校もいつも通りでガッカリしたと言ってた。
あの時代で痛すぎだろ、ばあちゃん・・・・・

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176 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/07/22(水) 19:16:08 ID:lJ5O5UxZ
去年、上海のそこそこ大きいカニ料理屋の婆さんから聞いた話ですが、婆さんが
女学生の時、渡し船から転落したそうです。そしてそれを見た日本の兵隊さんが
川に飛び込んで川岸まで運んでくれたそうです。
しかしその日本兵は右手で婆さんの胸を触っていたらしく、陸地に上がってから
その兵隊さんを指さして号泣。騒ぎになったので憲兵と通訳官が来たそうです。
双方の話を聞いた憲兵は婆さんに「命を助けてもらったんだから我慢しなさい。」
兵隊には「この馬鹿者!日本人として誇りを持て!!(と通訳官が言っていたらしい。」
という大岡裁きをしたそうです。

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134 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 16:05:03 ID:???
おじいさんの戦争体験スレから

終戦迎えての8月17日に、八代出身のF氏が彗星艦爆で宇佐航空隊から八代飛行場に
復員着陸してきた。
「明日はみんなを飛行機に乗せてやる」とF氏は言い、地元の人は喜んだ。しかし、
近隣の住民は彗星艦爆の機材に目が移り、夜中にこっそりと飛行場に忍びこんで
誰となく彗星艦爆の部品を外して持ち帰り、朝になれば、飛べない状態になってい
ていたのである。
F氏はガッカリして飛べなくなった彗星艦爆を燃やして飛行場の隅に埋めた。

135 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 16:17:43 ID:???
続き

ところが、近隣の住民たちは焼却して埋めた場所を掘り返し、彗星艦爆の焼け残りの
残骸を持ち帰り、加工してナベやシャクシを作った。
1983年に小学校の教諭が八代飛行場近くの町村を調査したところ、7軒の家でこの彗星
艦爆の残骸で作ったといわれるナベの話が聞かれた。そのうち3軒には、実物のナベが
見つかっている。
「空を飛んだナベ」として重宝していたと語っていたそうだ。
 

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33 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 17:19:37 ID:???
うちのひい爺さんは開戦前にハワイから引き上げてきた

で、その際大量の珈琲豆を持ち帰り、
戦時中でも飲んでいたがその香りは町内いっぱいに漂っていた

時々駐在さんが自転車漕いで駆けつけ
「せんせ、せんせ、珈琲飲む時は窓を閉めてください!憲兵にバレます!」
と注意しにきてくれていた

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4 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 12:54:36 ID:???
昔、自衛隊にいた時に、一応駄目と言われたけどお土産にいくつかの缶飯とⅡ型のパック飯と乾パンを持って帰ったら母がえらい懐かしがって婆ちゃんのいる帯広にいくつかを残してお土産にしたそうだ
婆ちゃんはもう死んでしまったんだけど、最近その話を思い出したんで母の日のついでに突っ込んで話を聞いてみたら我が家は親戚一同えらいド貧乏で(まあ今もだが)爺様はロシア系だかなんだかでいなかったらしい(母も物心ついた時にはいなかったとか)
女手一つで自分の母と叔父さんと叔母さんを育てたらしくて、某民族舞踊だけでは食えないから自衛隊の駐屯地で雑品拾いをさせてもらってたらしい
それで隊員の方々から食わなかった缶飯やら乾パンをどっさり貰って帰って来たらしくてよく口にしたと聞いた
缶飯やら乾パンを受け取った婆さんは目に涙を溜めて懐かしがったと聞いた
ついでに新隊員の時の写真がすべて無くなってしまった話をしたら婆さんの葬式で一緒に棺に入れたらしかった
そんな話を聞いたら退職前の最後の演習で葬式に出れなかったし、今もって墓参りすら出来ていないので怒るに怒れなかった
婆ちゃん御免

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847 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 02:19:34 ID:???
昭和20年4月。本土決戦に備えて鹿児島県出水郡の長島に
第107分隊が海岸砲の建設にやってきた。
海岸砲建設の近くに住んでいた山下イツエさんは、家を徴用され、
母屋に砲弾がズラリと運ばれいた。
ある日、山下さんが裏の畑で干した雑草を燃やそうとしてると、分隊の
砲兵さんがやってきて「今、非常事態なので火気はご遠慮ください」という。

聞けば、ズラリと並んだ砲弾の重みで、母屋の床が抜けて後始末を
やってる最中だそうだ。
山下イツエさんは、大層怒って銃殺覚悟で「兵隊さんに協力して我が家を
貸したのに、家を壊すし、私の仕事も邪魔するし、勝手すぎるんじゃない
ないですか」と若い砲兵さんに文句を言った。
夕刻に分隊長の兵曹長が山下さんが仮泊してる物置小屋を訪ね、
「色々迷惑かけてすみません」と缶詰の差し入れをもってきた。
これには山下イツエさん、意表をつかれて「兵隊さんは恐ろしいものだと
思ってたけど、案外と人情があったもんだね」と感心して、以後は、文句を
言わなくなったとの事。

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694 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 23:35:36 ID:???
「戦争は面白かったよ」
陸軍部隊の通信兵(最終階級曹長)として南方戦線を渡り歩いたわが大叔父の言葉です
乗っていた船を沈められ海を泳ぐこと2回(うち一回は海軍の軍艦に乗っていたときだそうです)
「安南(アンナン)には日本兵相手の慰安婦がいっぱいおったよ
こっちを真剣な眼で見ながら『ヘイタイサン、アタシヲカッテ、オネガイシマス』なんて言われて
買えるか?年端もいかん、あれは12、3歳くらいの娘やったよ
持っとった有り金全部やってしまった、行為はしとらんよ、あれは本当に綺麗な娘やったねぇ」
生涯独身を貫き自身の寝タバコから発生した火事で命を落としたわが大叔父は
彼岸への夢のなかでアンナンの美少女のことを思い出したでしょうか
正月で帰省したいた私は救助しようと手を尽くしましたが火勢が強すぎてどうにもできませんでした
自身の無力を改めて実感させられた出来事でした、今でもあの火事のことを思い出すとたまらない気持ちになります

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598 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/02/03(火) 18:54:38 ID:rijWDDB8 ?2BP(0)
戦時中ではなく現在の話だが
近所の老人ホームに老夫婦がいるんだが、知り合った場所は大阪城の通信所でした。
また結婚に至った出来事は、大阪空襲の時に爺さんが命がけで婆さんを守ったことでした。
そして普段はうるさいくらい話まくる夫婦なんだが、ある日、お互いに目を合わさず
指でモールスを打ち合いながら会話していた。
同じホームの爺さんに聞くと話したくない!顔も見たくない!と言う理由でそうしていたそうです。
そして会話の内容ですが、横須賀の元通信兵によると、、、、、
爺「大体お前は昔からそうだった!大阪空襲の時、お前を助けるんじゃなかった。背中の傷が今でも痛い!」
婆「あなただって、空襲の時いきなり手を引いていくから手ごめにされると思ったわよ!!」
爺「じゃあなぜ俺と結婚したんだ??お前から言ってきたんだぞ。」
婆「うるさいうるさいうるさい!!」(ここは肉声で)
肝心の喧嘩の理由は爺が勝手に海外旅行に申し込んだことでした。

599 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 20:52:23 ID:???
犬も食わねw

602 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/02/03(火) 22:00:40 ID:gL3nhZFG ?2BP(0)
>>599
婆さんは当時お嬢様学校の大手前女学校の生徒で、当時は萌え萌えの美少女だったらしい。
何でも初勤務の時「皆様 ごきげんよう」とあいさつしながら通信室に入ってくるお嬢様だったそうです。
しかし耳だけは異常に良くノイズだらけの音の中から正確にモールス信号を聞き取れたので重宝されたらしい。
そして爺さんは婆さんを守るために自分の背中を血まみれになりながらも守り地下壕に案内したそうです。

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