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604 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/07/07(土) 02:00:34 ID:lhlw0fwm
友達の家の田んぼに焼夷弾の不発弾が埋まっているということで、
小学生の頃に馬鹿仲間と掘り起こしに行こうとして親に止められたが、
今では田んぼは全て住宅地に変わっていた。
処理班が来た話も聞かないが、爆弾は今どうしているのだろう。
605 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/07(土) 08:17:27 ID:???
>>604
嫌な事を言うなよ!w
606 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/07(土) 09:07:09 ID:???
>>604
ほのぼのしねーよ!
ぞっとするよw
怪談の季節には早いよ!
429 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/06/01(金) 21:14:41 ID:NPT2mOnB
元ネタはエホバが配ってる雑誌「めざめよ」だけど、笑えると
同時に突っ込めてほのぼのしてる話があったので転載してみる。
まぁ戦場ではないんだけど。
ユダヤ人排斥がおこなわれていることろのドイツ。ついにゲットーに
閉じ込められ始めたころのお話らしい。
エホバの信者であるこのお話の語り部さんは、ついに家族をつれて逃げる決心をしたらしい。
しかし、身分証明書にはユダヤ人とはっきりと書かれている。
なんとか賄賂やごまかしを使って国外にでる列車に家族でのれたそーな。
しかし、ゲシュタポ?らしき若いにいちゃんが車内で、客一人一人に身分証明書の提示を求めはじめた。
もうだめだと絶望する家族。ゲシュタポらしき兄ちゃんはどんどんちかずいてくる。
列車の窓から飛び降りようとも思ったが幼い子供もいるのでそれも無理。
もはや絶望につつまれて順番をまっていたそーな。
ついに順番がまわってきて身分証明書の提示をもとめられる家族。
当然だせない。あきらめてエホバの神への祈りの言葉を口にしたそーな。
それを聞いたゲシュタポらしき兄ちゃんはにこりと笑って、
「結構です。よい旅を。駅をおりたところにある食堂は絶品ですよ」
と言って次のお客に向かっていったそーな。
いい話だなぁーーーー。と思っていたら、所詮「めざめよ」だった。
われわれ家族は「神に感謝しました!!!!」だと。
思いっきり突っ込んだ!!!!
「その兄ちゃんにまず感謝せーーーーよ!!!!!」
兄ちゃんに対する感謝の言葉は一言もありませんでしたとさ。
137 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/18(木) 20:28:40 ID:???
イタリア人が昔の日本のロボットアニメを観たときの感想
そのアニメ(作品名は失念。「未来ロボダルタニアス」だったかなぁ)を観たとき、
自分が子供だった時代の、世間の雰囲気を彷彿とさせたので親近感を持った。
当時は戦争でつらいこともあったが、子供だった自分たちはそれなりに楽しみを
見つけていた。イタリアを占領していたドイツ軍でも、若い兵士の中には自分たち
と一緒に遊んでくれる者もいた。
あのアニメを作った人は、戦争をよく知っている人だったのだろう。
だいたい、こんな話だったと思う。
↓追記↓
664 名前: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) 【東電 64.3 %】 [sage] 投稿日:2013/03/12(火) 01:44:30.28 ID:???
以前、このスレに書いた話の元ネタを発掘したので、お知らせを。
まとめサイトにある、2007/01/18の記事「あのアニメを作った人は・・・」の話です。
出典は
「SFアニメがおもしろい」 ㈱アスペクト 発行日1997年1月20日
にあった記事で、執筆者はダイナミック企画海外事業部のコルピ・フェデリコ氏(当時)です。彼の両親が
「未来ロボ ダルタニアス」について話した感想等の内容でした。内容は、昔書いた話とおおむね同じなん
ですが「あのアニメを作った人は、戦争をよく知っている人だったのだろう。」という下りはありませんでした。
うろ覚えの記憶で書いたので、勘違いしたんでしょう。スマソ。
42 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/12/02(土) 03:56:18 ID:???
私の生まれ育った地域は、昔ながらの閉鎖的で過疎化の東北の農村です。
近くに県庁所在地がありましたが、市街地郊外に誤射?空襲一発のみ。
県自体が当時から糞だったのもあり、近隣一帯は爆撃目標には程遠かった。
農村故、隣近所は姻戚関係の者も多く、食料も恵まれていたようです。
赤紙はもちろん届きましたが、「出征すれば再び生きて祖国の土を踏まず」です。
出征した者は死んだ者として、表面上は変わりない生活が続いたそうです。
・・・田舎故、食料豊富故、皆親戚!故に、変に平和ボケした村落だったのです。
しかし、そんな村落にも一応「防空壕」があったんですよ。
本家筋に当たる家が、万が一の為に掘り続けたようです。横穴式。
結局、過疎農村では戦時中に使われる事は一度もありませんでした。
防空壕が存在する事すら、掘っていた本家一族しら知らない有様。
その防空壕が活躍し出したのは1980年代から。子供の秘密基地です。
子供の頃「探検隊ごっこ」をやって爺様に酷く叱られたものでした。
今でもひっそりと、金網フェンスに閉ざされた防空壕があります。
今度、田舎に帰ったら、あの防空壕に行ってみようと思います。
32 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/11/28(火) 17:29:03 ID:???
東郷平八郎、イギリスで食ったビーフシチューがウマーだったので、部下に作らせようとする。
↓
しかしジジイ、具にジャガイモ、ニンジン、タマネギ、肉が入っていたことだけ告げて、部下にとって完全に未知の料理である、「びーふしちゅー」を作れと、イジメレベルの無茶な命令をする。
↓
しかし部下も「外国の料理」と言われてんのに、醤油とみりんで味付けするという開き直りをみせる。
↓
肉じゃが誕生
34 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/11/30(木) 06:31:41 ID:???
前スレでも書き込んだ、ばぁちゃん特製、ビーフシチュー。
気になったので詳しく調べた。
初めて食べたのは戦前であった。
大阪に買い物に行った際、洋食屋に立ち寄った所、シチューなるメニューを見つけ好奇心で注文。
ばぁちゃん、あまりの旨さに感動し料理人にレシピを教わった。
当時はまだ、片栗粉でトロミが付いていたが、現代における我が家では片栗粉は入れない事になっている。
「高井家食卓文化史」より抜粋
>>32の肉じゃがをスープにして(みりん抜きで)
小麦粉ルゥのトロミを片栗粉で表現した物らしい。
最初から肉じゃがが汁気の少ない食べ物だったのかと疑問が残る。東郷さん好きだし、ちょっとルーツを探ってみるわ。
601 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/25(月) 11:06:37 ID:???
イタリア国境に近いフランスの村で知合ったイタリア人青年、
「子供は好きなんですよ、クニに2人います。妻と暮らしています。」
ほう、かなりのイケメンなのに感心だわ、と思っていたら、
「ここにも3人子供が居ます、こちらの愛人と暮らしています。」
だと。
602 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/25(月) 16:40:02 ID:???
>>601
チョイ悪オヤジのジモーラロのオヤジさんも、正にそれだったらしいなw
自分のお母さんが実は愛人であり、本妻と腹違いの兄弟が別にいたと物心ついたときに知ったらしいw
イタリア人はある意味偉大な民族だなw
603 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/09/25(月) 20:15:03 ID:???
>>602
しかし、男のかいしょうとして、全部養っていたんでしょ?