MENU | MENU | MENU | MENU | MENU | MENU |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
433 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:45:40 ID:???
>>430
の御要望におこたえして、こマンスフェルトさんの後日談を
神戸で空襲にあったり、空襲前の44年に潜水艦勤務を命じられて鬱から病気になったり
(転地されると治癒)、
食料は日本政府からはドイツ人は配給に優遇されたり、本国からも捕獲した船の積み荷
の食料が配給されたりしコンビーフ、ソーセージ、パイナップル缶、ママレードをもらったりしました。
また、日本人から米をもらい、彼の好物は、米、刺身、麦焼酎になりました。
そして、戦後は、ちょっとした商売(配給されたタバコとかの転売?)で小金持になり
家を借りて日本人の彼女をつくって一緒に暮らしたり、箱根に転勤になった後の
戦後、進駐軍がホテルに入った時に脱いであった皮靴を自分の魚の革で作られた靴
とこっそり取替えたりと様々な苦労をしましたが、47年2月に本国へ送還となりました。
そんな彼は日本滞在を次のように語っています。
日本時代は私にとって大変素晴らしく、貴重で、心に刻み込まれるようなものでした。
日本人の土地も人も、いつも私の暖かい思い出の中に残りました。
正直にいうと、思い出の中では、男性、とくに征服を着た男たちは、
きれいに魅力的な女性たちの陰に隠れてしまっています。
そんな彼が日本滞在時に後悔した事があります。
それは、すぐに本国に帰れると思って日本語をちゃんと勉強しなかった事です。