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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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74 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 02:39:05.61 ID:???
南方で飛行場の拡張だか設営で、連合軍捕虜を使役することになったが
捕虜たちは栄養失調でちょっと重いものでも持ち運べない。
そのとき指揮を任された将校が「食料確保してやらねば」、と
今にしたら当然のことだが、味方さえ困窮した状況で周囲は猛反発
罵倒までされたが捕虜たちと協力してとりあえず最悪の事態は回避した。
それから間も無く終戦
連合軍が武装解除にやってきて、捕虜に関与した日本の将兵をシンガポールに移送した
収容所では毎日厳しい尋問が繰り返され、何度かの公判で関係者は死刑を宣告された。
そして最終判決の日、一人の連合軍将校が出廷した
ラジオ放送で指揮官の死刑判決を知り、はるばるイギリスから証言台に立つため
当時、飛行場労働を課せられていた連合軍捕虜の先任者が来てくれたのだ。
「日本軍はすべて悪いが彼だけは悪くない」
彼の証言によって無罪が確定し、それ以後収容所を管轄する連合軍も
手のひらを返すように親切にしてくれたという。

(某関係者向け小冊子の手記より。有名な話だったらすまん)

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70 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 00:20:18.16 ID:???
元自衛隊の作戦参謀を務めた人から聞いた話。

以前、自衛隊がPKOでカンボジアに行き、幸いな事に
犠牲者を一人もださずに無事に帰国を果たしましたが

実は、自衛隊が派遣された時にカンボジアのゲリラ
達に次のような通達が行きわたっていたのでした。

「自衛隊には手を出すな」

何故、このような通達が出されたかというと、大戦後
カンボジアに残り独立のために戦ってくれた多くの
日本陸軍兵士がいたからなのでした。

その恩に報いるために、その旧陸軍の後輩である陸上自
衛隊の隊員に手を出すなと通達されたのでした。

どうして、この事が分かったかというと、イラクに自衛隊が
派遣されて無事に任務を遂行したことからも分かるように現
地の人と同じ目線に立って行動し、情報を収取したからなのでした。

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60 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/24(水) 12:03:09.75 ID:???
西欧戦線派遣部隊司令官に任命されたマーシャル大将が、回顧録に綴った話

時は第一次世界大戦
前線へ赴く道中の将校らがマーシャルの指揮所に立ち寄った
皆が自らの体験談を自慢し、武勇伝を語り合っていたところ、ある一人の師団長が立ち上がった
彼は異例な事に、自らの作戦の失敗を腹蔵なく打ち明けたのだ
まかり間違えば、不名誉な罷免が待ちかまえる事になるかも知れぬ。しかし彼はそれを恐れなかった
その作戦の問題点と、それによって何が起きたかを指摘し、「私の名誉を守る事よりも、私の失敗の教訓を米軍全体に活かす事が大事だ」と述べる彼に、マーシャルは深い感銘を受けた

後日、本国から「彼を罷免せよ」との圧力があったが、マーシャルはこれをはねのけた
そして数週間後、例の師団は歴史に残る抜群の功績をあげたという

戦術の極意で最も大切なことは「私心のない平常心を保つこと」なのだ

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52 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 14:28:16.74 ID:???
キンメルの次に太平洋軍司令長官になったニミッツの訓示
(意訳)
「おらあテキサスの田舎町の生まれで、海なんてもの見たことなかっただ
あるときエビっていう海の生き物を食ったが、どえらく美味かった
こんな美味いものがある海ってのはどんなとこなんだべ、と思ったのが海軍に志願したきっかけだべ
エビってのは脱皮したら皮がふにゃふにゃで、敵に襲われたらひとたまりもねえべ
だんからあいつらは岩の間に隠れて、皮が硬くなるまでじっとしとる
んで、皮ができあがって、やっとのことさ餌とりに出かけるんだ
今のおいらたちは、その脱皮したばかりのエビなんだべさ
苦しい時だが我慢して、皮が硬くなるように努力しなきゃなんね」

この訓示を聞いて戦意が衰えていた真珠湾の将兵の士気が上がったとか

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47 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 01:33:05.66 ID:???
イタリア人捕虜の話

東アフリカの英軍収容所にいたイタリア兵が脱走した
英軍は探したが見つからない
しばらくしてそのイタリア兵が帰って来た
どうして帰って来たのかと聞くと
「山が見えたんで山登りしたくなって行ったが、腹が減ったので帰って来た」

イギリス人は
「こいつら観光気分で戦争やってたのか」とぽかーん


48 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 05:43:31.11 ID:???
それに似た話で、脱走した捕虜が
前人未踏の山の登頂に成功した話があったね


49 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 06:40:10.77 ID:???
捕虜になるふりをして自爆する奴より、観光気分で戦争やってる奴の方が俺は好きだぞ


50 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 08:02:49.96 ID:???
あのころは戦争でもなければ遠くの国に行くなんてめったになかっただろうからな
それが農民ならなおさら


51 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 12:40:37.67 ID:???
日本だって「おらぁ死ぬ前にいっぺんでいいから海っつうモンが見てみてぇ」ってのは
そんな前の話じゃなかったしなあ

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36 名前:名無し三等兵[asge] 投稿日:2013/07/16(火) 14:37:26.42 ID:???
シベリア抑留中の日本兵に、小屋の建築が命じられた。
必要な資材が与えられ、いついつまでに、これこれの小屋を建てろ・・と。
ところが、いつまでたっても柱一本立たず、監督の露助も「サボってんじゃねーよ」と怒り気味。

しかし、ある日突然一気に小屋が立ち上がって、露助魔法を見たかのように茫然。
大工経験のある兵達がやった、木取りをして刻んで・・と、パーツをつくって一気に組み立てる日本式の仕事を知らなかったそうで。

何かの本で読んだ話。>>25>>26を見て、ふと思い出した。



37 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 15:21:35.68 ID:???
そういう日本人の緻密な職人気質はすごいよね
たしか腕を認められて、帰国せずそのままソ連に残留して
活躍した日本人もいたはず

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25 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 22:35:15.30 ID:???
やる気が有るのは新任の少尉さんだけで、中隊長も軍曹も真面目に戦争するより、
やってるフリだけして「生きて帰ることの方が大事だ」って所に入ったおかげで帰って
これた、と祖父が生前言ってたな。
しかし北支から満州に移ったとたんに終戦でシベリアに抑留されるという運の無さw

だけど収容所でも同じ調子で、いかにみんなで上手くサボるか、飯を増やすか、休み
を増やすか知恵を絞って頑張ったらしい。芋畑と鶏小屋を作って少ない配給を補った
とか、どぶろくから始まって芋で焼酎作るまでいったおかげでソ連兵を懐柔したとかw
生きてる間にもっと聞いておけば良かった。



26 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/14(日) 01:04:03.31 ID:???
収容所での仕事は10あるところを完璧にこなすと
「もっと仕事増やせるな」と考えられて増えるから
10のうち9とか、8ぐらいでほどほどにやるとなんかで読んだな



27 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/14(日) 01:56:23.66 ID:???
なんか日露戦争みたいだな



28 名前: 忍法帖【Lv=1,xxxP】(-1+0:8) 【Darmy1373755474994539】 【東電 60.1 %】 [saga] 投稿日:2013/07/14(日) 07:44:34.85 ID:???
やっぱり現場には「なまけ者」が必要だよな。無用な小競り合いを回避することで、
リスクがハザードに発展することを防いでる。不測の事態に対応するためにも、組織
に余力を残しといた方が良いしね。

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23 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 19:59:49.45 ID:???
>>17の祖父の話だが、
塹壕で構えているのが長時間に亙ると、疲労困憊し、
居眠りもする。

敵さんと対峙していて、双眼鏡で煙の様子から炊爨しているのがわかるそうで、
その時間帯はお互い暗黙のうちに休戦していたとか。

北支の話です。



24 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 21:01:29.32 ID:???
あまり戦闘の無い地域だと、分哨地にノコノコと中国兵(軍閥?)がやってきて
「うちの兵隊はニラやニンニクがないとやるきが出ないので、2、3人そこの畑に取りにきてもいいか?」
って交渉もあったそうな

どっちもムダな戦闘で死人が出たら、上級部隊が応援に来てどんどん大事になるので、鶏1羽で手を打つとか色々あったらしい


30 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 11:29:20.20 ID:???
>>24
けっこう聞くな
下手に交渉を断ると敵さんの隊長も古参兵を抑えきれなくて、勝手に中隊全力夜襲(但し倉庫や畑w)を掛けてくるから、
貰うモノもらうようにしないと全部取られちゃうらしいがw

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17 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 12:24:34.30 ID:???
支那に派遣された陸軍さんの話。

現地の人が食事をじていたので、仲間と「うまそうではないか」と近くに寄って行った。
ところがよく見ると蠅がたかっていて、とても食える代物ではない。
それでも、現地人は旨そうに食っている。

すると中国人は言った。「これは、蠅がたかる程旨いものなんだよ。」と。

20年前に84歳で他界した祖父が言っていた話。



18 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 13:17:34.19 ID:???
ふむ、なるほど。理解したくはないが一理ある気もする>蠅がたかる程旨いものなんだよ

・・・ちょっと待て、じゃあ「蠅がたからないほど不味いもの」があるのか?(汗
今の中国なら汚染食品的なものでごく普通に有りそうだが。

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993 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 14:33:11.23 ID:???
台風接近で空模様が荒れていたが、機長である私の権限で、八丈島へ
飛び立った。
ところが、八丈島の飛行場は新設で、滑走路の末端が海岸の断崖となっている。
崖へすいこまれる下降気流にあって機体は、急激に高度が下がり、
両脚が折れて滑走路に胴体着陸となってしまった。

空輸の人員二十五名と荷物は無事だった。だがそれよりも左翼大破という
大事故で、大切な機材をうしなったことを申し訳なく思った。

その一方で、機体は八丈島の陸戦隊が穴を掘ってそのままうめこみ、
ソファつきの防空壕ができた、とよろこんでいた。

元第1023航空隊・海軍飛行兵曹長 近藤義宣氏



994 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 16:19:49.06 ID:???
硫黄島でも一式陸攻の胴体部が避難壕にサイコーってかっぱらわれてたな

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