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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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849 名前:名無し三等兵[???] 投稿日:2007/08/10(金) 10:25:46 ID:???
飯缶に汁物を詰めて前線へ。
途中、射撃を受けたので伏せたら、飯缶の蓋の締め螺子が緩かったせいか、
熱い汁が首筋へタラリタラリと落ちてくる。
叫び出したい処だが、叫べばまた撃たれるので、飯を待つ戦友の顔を思い
浮かべつつ我慢。
横ではパンを詰めた袋を担いでいた相棒が伏せている。
「畜生、パンを担げば良かった。」

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838 名前:837[sage] 投稿日:2007/08/04(土) 12:38:36 ID:???
「俺の書き込みがあって」→「俺の書き込みが引用されてて」

俺の知ってる話をいくつか。
・ニューギニア近くの孤島。日本軍は組織的戦闘はできるほど弾薬・糧食もなくなり、その抑えとして
置かれた米軍も大した規模ではない。双方とも積極的な作戦行動は起こさなかった。
とある日、米軍宿営地まで忍び寄った日本兵が米軍の国旗の棹を撃った。棹ごと国旗は落ちたが、
報復として米軍も日本軍の国旗の棹を撃ち、国旗を落とす。双方、しばらくは相当ムキになって国旗の
落とし合いをしたとか。

・ビルマのコヒマでは相当苦しい戦闘が繰り返され、日英双方ともお互いの顔を視認できるまでの戦闘が
たびたびあった。終戦後、収容所に入れられた日本兵が黒猫の徽章をつけた英兵を見ると、「ヘイ、ユウ
コヒマ?」と話しかける。すると向こうも32師団の桜の胸章を見て「オウ、クリスマスケーキ(英兵にはそう
見えるらしい)、ユウ、コヒマ!」とタバコをくれたりしたそうな。

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817 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/08/01(水) 17:35:49 ID:???
【ほくほく】さつまいも【しっとり】
http://food8.2ch.net/test/read.cgi/salt/1185427164/
690 名前:ぱくぱく名無しさん 投稿日:2007/07/30(月) 20:46:58
スレ違いかもしれんが…
戦時中(第二次世界大戦な)食べるものがなくてイモばかり食ってた、なんて話は
良くあるが、うちのじいちゃんばあちゃんもそうだった。

で、当時サツマイモは涼しい縁の下なんかで保存しとくものだったみたいだが
じいちゃんばあちゃんのところでは庭の地中に石でできた箱を埋めて、それを
食料貯蔵庫にしていた。もっとも中身はサツマイモくらいしかなかったらしいが。

62年前の8月6日、広島に原爆が投下された。
じいちゃんばあちゃん家は広島市中区、原爆の爆心直下であった。
幸いにじいちゃんは南方へ出兵中、ばあちゃんと当時子供の父親は岡山の
実家にいたので助かったのだが、広島の家が心配なばあちゃんは西国街道を
チャリンコですっとばして戻ったそうだ。火事場の馬鹿力だろう。
ちなみにじいちゃんは南方でもイモばっかり、と今でもイモを見ると愚痴る。

広島の家に戻ると一面の焼け野原、というより地獄絵図だったらしい。
とにかくいろんなものが焼けた臭い、焦げた臭い、そして家は跡形もなく崩壊して
いたようだ。がっくりすると同時にチャリンコで長距離走ってきた疲れもドッと
出たばあちゃん、それでも最後の望みと庭の食料貯蔵庫を開けてみた…

焼き芋…貯蔵庫のサツマイモ全てが、当然すでに冷めてはいるが焼き芋に
なっていたのである。貴重な食料だがこうなってしまっては仕方ないと
満腹まで冷めた焼き芋を食ったばあちゃんは周りの同じ境遇の人たちに
焼き芋を配って回ったそうだ。
俺の知っているばあちゃんは焼き芋をいつも冷ましてから食べた。嬉しいような
悲しいような複雑な表情で食べながら「おいしいねぇ」と言っていた。

そんなばあちゃんが昨日死んだ。仏前には冷めた焼き芋。
じいちゃんは愚痴りたそうな顔をしてイモをずっとながめている。


818 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/08/01(水) 18:44:04 ID:jeOpOhhF
>>817
全俺が泣いた


日露戦争って一時休戦中に色々食べ物交換したりちょっとした交流があったって聞くけど、

戦闘再開したら昨日おにぎりあげたヤツに銃を向ける・・・
昨夜ウォッカ貰った人と殺し合う・・・

ってなった訳だよな?
なんというか、やりきれないというか悲しいというか、この気持ちなんだろう・・・
俺だったら涙流しながら銃撃ってるだろうな・・・

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804 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 13:07:14 ID:???
アイヤー、最近の人民解放軍は中華鍋を携帯していないアルか?
伝統と合理性を無視した暴挙でアル。 責任者は反省するアル!


805 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 19:25:32 ID:???
ちゃんと背中に中華なべ背負わないとな。


806 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 19:43:33 ID:???
装甲版にもなるのにな
中国人はあれひとつでマジに何でも作るとこだけはほめてやる


807 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 21:55:21 ID:???
後頭部にショットとラップが・・・。


808 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/30(月) 09:10:49 ID:???

実際に旧軍が中国戦線で拾った中華鍋をかぶって戦闘したら、
目立っちゃって狙い撃ちされまくったらしいぞw


809 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 00:03:14 ID:???
>808
食材が調理器具持っているんだ。最高の獲物だろう。


810 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 00:05:06 ID:???
ドイツの見てるとでっかい飯ごう炊飯背負って飯届けに来るな


811 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 01:05:38 ID:???
>>808
その兵隊の名字は鴨葱。


812 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 22:05:23 ID:???
>>810
ありゃ保温コンテナだから最前線でも一応は温かい飯食えるな。
ただし目立って>>808の様に狙い撃ちされるんで配達する補給部隊
の隊員は命懸けらしいが。


813 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 22:21:58 ID:???
>>812
浅田次郎が陸上自衛隊時代の体験談に似た話を書いていた。
演習の状況下、飯を届けにいく隊員は大きな容器を背負っていくんだが、
同じく目立って狙い撃ちにされるため、大変な任務なんだとか。

幾多の苦難を乗り越えて、演習中の塹壕に届いたゆで卵がものすごく美味かった、とも。


814 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/31(火) 23:14:23 ID:???
目立つというより飯の奪い合いか


815 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/08/01(水) 14:14:11 ID:Wrb8CmI+
>>813
その演習中に、もしメシを担いでいる敵側の兵を倒すと、搬送中のメシを
鹵獲して食っちゃう事もできたんですかね?
味方からの補給がくる前に、鹵獲メシを(かつてのチャーチル給与みたいに)
食ってお腹一杯なんてことも(笑)

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794 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/26(木) 22:37:24 ID:???
「ソ連軍の素顔」「ザ・ソ連軍」著者の亡命ソ連陸軍佐官、ペンネーム「スヴォーロフ」が、
かってチェコ侵攻の折、自動車化狙撃師団の中隊長だったころ。

チェコ侵攻部隊には亡命・逃亡防止のため、
一般のソ連人が見たこともないような、美味しいアメリカ製缶詰が支給されていた。

・・・あるとき、スヴォーロフは上官から「部下の士気を高めよ」と命令された、
スヴォーロフに言わせれば難しいことではなく、
やおらアメリカ製缶詰をつかんで即席の演説台に登り、
缶詰にチュッとキスをして高く掲げ「ウラー!」

「(アメリカの缶詰)ウラー!」と、スヴォーロフの声に部下も声高く応えたという。


795 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/26(木) 23:37:37 ID:???
ガーランドがヤンキーの捕虜になったときに
スパムやコンビーフの缶程度でものすごく喜んでたのを見てると
普通の兵隊の食事はものすごい低レベルなんだろうな


796 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/07/27(金) 00:43:47 ID:qaf+jDQP
>>794

ほのぼのしているはずなのになぜかオラ涙がでてきたぞ。

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784 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/07/24(火) 14:32:19 ID:/HprD2dG
なんか話脱線してるからほのぼの話を一つ。料理雑誌にのってたネタ。

第二次世界大戦中のアメリカ軍の巡洋艦でのお話。
アメリカの軍艦にはアイスクリーム製造機がついてるのはこの板では有名すぎる話だけど、
さすがにデザートが毎日アイスクリームとチョコレートじゃさすがにあきる。
長期作戦行動中だと持ち込んだお菓子も枯渇する。

巡洋艦でコックをやってた人のお話。艦長がきさくな人でコックにでもよく話かける艦長さんだったらしい。
「毎日毎日アイスクリームじゃあきるんだよな。なんか新しいデザートつくれや。いますぐに!!!」みたいな理不尽なこと言われたコックさん。

そのコックさんは創意工夫の人だったのでトーストの耳をそいで油でからりとあげ、シュガーパウダーをふって、さの上からアイスクリーム製造機で作ったアイスを上にのせて、支給されていたフルーツをすり潰して簡易なジャムを作ってうえからかける。マジ10分で作り上げたそうだ。

その次の日から、艦内からパンの耳を切り落として厨房にもってくる兵士が続出したらしい。
んで・・・・。艦長から非公式ながら感謝状がでたそーな。

たしかに簡単でうまそうなデザートだな。アメリカ軍の余裕を感じる。

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780 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/07/24(火) 11:13:11 ID:/HprD2dG
AK職人の朝は早い。なぜなら、気温が上がりすぎる前に
ライフリングの仕込みを行う必要があるからだ。 

「春と秋はいいんだけどね・・・。夏は暑すぎて朝でも金属が膨張する時があるし、
冬は寒すぎて逆に縮むのでよくなかったりしてね・・・。」 

仕込みを終えたカルザイさんは我々との話を切り上げ、ブローチを握った。

ブローチを鋼鉄製のパイプに ガリガリと押し込む、 速い。まるで料理人のようだ。
またたく間に5つの銃身ができあがっていた。

息をつく間もなくハイプの山にとりかかる。またすぐにAKの銃身ができ上がっていく。 

「どれ、今朝の調子はどうかな。」 

カルザイさんは先にライフリングが刻まれた銃身を眺める。目でライフリングの穴を
鋭い目で見つめミクロン単位のゆがみをその熟練した目で見つけるのだ。

これこそ機械よりも正確な職人の目。 

「これは駄目。ほら、ちょっとここが歪んでるでしょ。3箇所も出るとは、
もう冬が近いね。これくらいのゆがみならたまに筒内爆発するだけで
すむけれどムジャヒディンに復讐されるからね。」 

この仕事は、時間との勝負。

本来工場で作るではないAKを、ここまで手作業に加工できる職人は、カルザイさんを
含めてもアフガニスタンに100人しかいない。

こうした職人にソビエトのAKの伝統が 支えられているのだ。帰り道、おみやげに頂いた
AK47を見ながら同行していた元ロシア軍の兵士がため息を漏らした。

「本当にAK47ですよ。普通は工場で作るはずなのに、手作業で・・・。
それにこの命中精度・・・もうなんともいえない命中精度です。」 

冬の足音の聞こえる秋の空は暗くなっていたが、カルザイさんのAK47コピーは
それよりも深い闇を湛えていた。

銃には詳しくないから間違ってるかも。すまんw

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761 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/23(月) 01:13:54 ID:???
>>758
ダッラの銃器密造村は、密造もさることながら銃器市場としての役目もあり、
ソ連のアフガン侵攻時代、パーレビのイランから流れてきたと思われる、
G3自動小銃が売られていたことがある。
さすがにG3のコピーは今に至るも出回っていないが、
歯が立たなかったのか、必要もないと判断されたか、おそらく後者だと思うが・・・。

同じくソ連のアフガン侵攻時代、銃器市場の”新製品”として、
ダッラに入荷したのがAK74。
これを弾代を払ってレンタル?し、実射した日本人のビデオ映像からのショットが、
月刊「GUN」誌にスクープされたことがある。
「実に撃ちやすい銃だった」というのが、当時のコメント。

・・・ところで、当時、5・45mmの新型AKをめぐって、
実銃と弾をいち早くスクープしたのは日本の「コンバットマガジン」、
(弾だけ入手したのは「ソルジャー・オブ・フォーチュン」の方が早かったが)
負けじと実射画像を載せたのは「GUN」で、
こと、新型AKの報道に関する限り、日本の銃器雑誌は最先端を行っていた。


762 名前:761[sage] 投稿日:2007/07/23(月) 01:36:54 ID:???
ほのぼのとした話に持っていけば。

新型AK、RPKS74と新型5・45mm弾をスクープしたのは、
当時「コンバットマガジン」の特派員、現在は作家の東郷隆氏だが、
はるばる日本から新型AKをスクープしに来た東郷氏に、
ムジャヒディンのひとりがそっと握らせてくれたのが、1発の5・45mm弾だった。

1発の弾も惜しいほど、実戦に使う弾が不足しているムジャヒディンが、
お土産に5・45mm弾を持たせてくれたのは、できる限り最大の好意だったのだ。

東郷氏はこの貴重な弾を、火薬を抜いて日本に持ち帰ったところ、
防衛庁からの貸し出し依頼があり、貸し出したのだが結局は帰ってこなかったという。

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752 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/22(日) 15:19:02 ID:???
流れ変えてしまうが
1900年の初頭イギリスがアフガニスタンに侵攻したときの話
パキスタンとアフガニスタンの国境沿いにパシュトゥンという民族がいるのだけど
この民族は代々鉈とか刀とかの家事を生業にしてきた民族
そしてイギリスがパシュトゥンの土地に進行してきたときパシュトゥンの人は
英兵から奪ったエンフィールドを丸まるコピーして対抗した結果イギリスを追い払った
その後もパシュトゥンの人はエンフィールドを作り続けるんだけど
どうしてもボルトの部分がうまく作れない
仕方ないので夜遅く寝ている英兵のエンフィールドからボルトの部分だけを抜き取って
村に帰ってコピーしたエンフィールドに装着
翌朝英兵たちはボルトだけ盗まれていて大騒ぎしたそうな

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701 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/07/17(火) 20:10:41 ID:RsvRzICj
うちの母方の実家が京都の和菓子屋なんだが。
戦争が終わって一年位して、なんとか砂糖や材料が手に入ってお菓子作りを再開。
よく京都に仕事に来ている米兵さんとしていた。その米兵さんがよくチョコレートとかをくれるので、
こっちも和菓子屋、おかしにはおかしでということで綺麗に作った桜の形をした和菓子をプレゼント。

ただ問題はこっちは英語ができないし、向こうは日本語ができない。

次の日にその米兵がやってくるとその米兵はなんとその桜の和菓子を胸にブローチのようにつけていた。
必死に身振り手振りで「これは食いもんだ!!!!」とアピール。

米兵はすごいびっくりした顔をしていきなり胸につけてた桜形のお菓子を口にほりこんだらしい。
一言「デリシャス!!!!」といってくれたらしいw

和菓子って食い物に見えないくらいできがいいのがあるからなぁ。
夏だったら解けてたなってよくばあちゃんが笑ってました。たしかに向こうのお菓子ってケーキとかは除いて、
見て楽しむって観点がないお菓子が多いから・・・・・。

ただ一日、風雨にさらしたお菓子を迷いもなく食べる米兵はかわいい。


702 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/07/17(火) 20:12:22 ID:RsvRzICj
>よく京都に仕事に来ている米兵さんとしていた。

仲良くしていたの間違いwあやうくパ○パ○さんになるとこだw

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