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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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105 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/08/01(金) 11:22:24 ID:???
昭和17年、横須賀に入った戦艦「山城」の准士官のもとに二十人もの部下が区域外上陸の願書を持ってきたそうですが
艦長印が必要なのに、こんな大人数では許可が降りないだろう、しかし何とかしてやりたいと考えた准士官は一計を案じ
部下の願書をすべて破り捨て自身の区域外上陸願書をひとつだけ申請
目的を「靖国参拝のため」とし若い部下二十人を同道させ英霊を拝ませたいと付け加えたもの
許可はすぐに降り、艦長からは「是非言って来い」という激励だけでなく
「旅費は出すぞ」という有難いお言葉まで、丁重にそれを辞退し靖国参拝後は解散
おのおの自由に恋人や東京に出てきていた家族に会いにいけたそうです
感激した当時二十歳前後の若者たちは「中尉に恥をかかせるな!」と約束の集合時間に全員集合
このときの若者たちの嬉しそうな顔が今も忘れられないといいます

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78 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/07/18(金) 02:22:31 ID:w7XHc4cP
ウチの祖父の体験談だけど、戦争末期、パーロ軍と接近戦になったとき、最初は拳銃の撃ち合い、手榴弾の投げ合い
をしてたんだけど、お互い武器が無くなったのか、石や泥団子を投げまくったあげく、最後にはお菓子を投げつけたそうだ。
キャラメルや中国のお菓子(月餅みたいなやつ?)を投げつけたら、敵からも饅頭やらアメやらが帰ってきたんだと。

 その夜、敵は後退し、陣地は空っぽになったらしい。小部隊だとこういうケースもあったのかな。

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76 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/07/17(木) 03:30:09 ID:SAdOFIsn
アッツ島の日本軍は玉砕と報じられているが、実際には7人の捕虜がいた。
捕虜のうちの一人は小樽出身であると知った、
尋問担当米兵ケーリの第一声は「あの花屋はまだありますか?」だった。
彼は、アメリカ人だが同志社卒業で小樽生まれだったのだ。

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50 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/07/09(水) 03:20:33 ID:???
私の父が、陸軍で通信士の訓練を受けていたときの話だそうです。
機材をトラックに載せて、父を含めて三人で、基地から出発したのですが、
それはひどく寒い冬の日で、荷台には、真空管を暖めるため(もちろん人も暖めるのです)
練炭を入れた七輪が積んでありました。
目的地につくと、一行を率いる上官殿が、おもむろに雑嚢を取り出しました。
「オッなんだこれは。こんなもの積んだっけな」
そして袋をあらためると、なぜかモチ焼き網が出てきまして・・・
「あんなうまいモチはなかったな」
と父は言います。

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35 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/28(土) 03:11:48 ID:???
825 名前:富士南麓人 ◆muFUJI76us [sage] 投稿日:2008/06/25(水) 09:50:46 ID:jtmxkqOJ ?PLT(14000)
>>823 のサイトのコメント欄

47.アメリカ軍は日本の文化の情報をも収集していた。
日本人の命名原則(一郎(ファースト)、二郎(セカンド)、三郎(サード)もその一つ。

そんな情報部がアドミラル・イソロク・ヤマモトのイソロクが
「56」を意味することを知ったとき、部内は一時騒然となったと聞く。

「イソロク・ヤマモトは56番目の子なのか!
 なんてグレートでパワフルな父親なんだ!」
-----------
これはちょっと噴いたw

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19 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/06/25(水) 13:35:28 ID:D2O6tC9/
外交官である佐藤尚武氏が書いた著書「回顧八十年」からの抜粋。
彼はドイツがフランスを降伏させた第二次大戦時にパリに赴任していた。

私はちょうど(1940年)7月14日の朝、シャンゼリゼーを上りつめて、凱旋門のところで車をおりた。
無名戦士の墓にもうでたい気持ちからである。凱旋門からエトワールの広場を見回すのに、いずれの家もみなしまっている。
(中略)目にうつるのは、ただ大きな赤地に黒の逆マンジのハーケンクロイツばかりである。これはまた無数にかかげられている。凱旋門の真下に永久の眠りについている、
第一次ヨーロッパ戦争の墓碑は、大きな白の大理石盤でできていて、水平に地面にはめこんである。その頭の方には、休戦当時から燃え続けている消えずの火が、いまもって赤々と炎をあげている。
すべて昔のとおりである。しかし昔と比べて大きな違いは、昔墓にもうでていたフランス人が、今は一人もいないことである。三々五々、つどい来るのはドイツの兵隊である。彼らは丸腰で武装もなく、
普通の見物人と同様の気持ちでくるものらしい。しかし集まってくると、だれか小声で号令をかけ、無名戦士の墓碑の前にきちんと整列し、そして挙手の礼をささげるのである。私は同じくそばにたっていて、
つくづく深い感にうたれざるをえなかった。

戦死者にたいする敬意は兵士なら通じ合うものがあるんでしょうな。

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18 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/06/25(水) 13:29:17 ID:D2O6tC9/
一応二つほど投下。アメリカの朝鮮戦争の本にのってたお話。

朝鮮戦争で中国軍が大群で参戦してきた時、国連軍は崩壊してドンドン撤退、
完全に壊走していたとき、著者のアメリカ人が撤退してくる韓国人の士官を見つけて、
「そっちはどうだ」と聞くと同じく酷い状況でズタボロだと説明。
「必要なものはないか?まわせるものはできるだけまわすように上にかけあう」というと、
その韓国人士官は「なら昔の上官と『仲間』を日本からつれてきてくれ!!彼らなら、共産主義者どもの攻撃でこんなに逃げ回ったりするものか!!!」
と答えたらしい。聞いた著者のアメリカ人士官も太平洋戦争での従軍経験もあったので、思わず、
「彼らが10万人でもここにいてくれれば踏みとどまっただろうな・・・。しかし、彼らはいない」と答えたらしい。

ぶっちゃけ韓国軍には日本軍で教育された士官も多いから、戦後すぐだと、個人的には中が良い部分も多々あったんだろうなぁと。
嫌韓やむこうでは反日ばかりが目立つけど、日本軍を「仲間」といってくれた韓国軍士官さんにはちょっとほのぼの。

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31 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/27(金) 19:21:08 ID:???
他板から天才

177 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 22:26:29 ID:SS6FJz9B

和めるかはわからんがうちのじいちゃん(元米兵)の話。
昔昔、まだ日本に米軍がごろごろいた頃、休暇だかなんだかに街に繰り出した時に、
配給を配ってたばあさんに一目惚れして、居ても立ってもいられずばあさんに
会いたいがために脱走したことがあるそうだ。それも何度も。
ばあさんは「鬼畜米英」を教え込まれていたのでものっそい不審がって逃げ回ってた
そうだが、それでもばあさんに会って、できれば恋仲になりたいと願い続けて、
日本贔屓の上司にどうやったら日本の女性と付き合えるのか聞いて、日本語で恋文を
したためたり、貸してもらった和歌集から恋歌を抜粋して送ったり、積極的にいくと
日本の女性は怖がると聞いたら遠巻きに立って「ここから一歩も近づきません!」と
宣言してそこから一所懸命恋文や恋歌を投げたりしたんだそうだ。脱走して。
贔屓とはちょっと違うかもしれんが。

32 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/27(金) 19:22:31 ID:???
188 名前:177[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 23:22:43 ID:SS6FJz9B
じいちゃんは毎週ばあちゃんのもとに通って、へったくそな日本語の恋文と恋歌の写しを
投げて、ばあちゃんが拾うのを確認して一礼して走り去る、とやってたんだが
じいちゃんが投げた恋歌の中に、ばあちゃんが好きな歌が入ってたのが
きっかけでばあちゃんから「この歌が好きなんですか?」と話しかけたらしい。
そこでじいちゃんが全く日本語ができない(「ここから一歩も近づきません!」は
日本贔屓の上司に教えてもらった唯一の日本語)ということが発覚して、
じいちゃんが滞在中ずっとばあちゃんが日本語を教えてたんだそうだ。
そのお礼として米軍配給の缶詰だのを渡してたんだそうだが、上司の入れ知恵で
同じ隊の他の人に事情を話してちょこっとずつ缶詰だのを分けてもらって
「ご近所の皆さんで分けてください」と箱一杯に差し入れたのがきっかけで
ばあちゃん一家に受け入れられて、アメリカに帰る時には一緒にご飯を食べたんだって。
その時に、もうアメリカに帰ったらばあちゃんに会えないかもしれない、と思って
「普段味気なく食べている配給も、あなたと食べるとごちそうのように美味しかった。
そんなあなたともう会えなくなるのは生きている意味を感じられないほど悲しい」と
言ったら、ばあちゃんも「とても優しいあなたと会えなくなるのは私も悲しい」と
返したので、じいちゃんは自分の所属部隊と名前と階級を書いて渡して
「もし私とまた会ってもいいと思ったら、残っている米兵にここ宛に手紙をください」
とやって、米軍が完全撤退するまでしばらく文通してたんだと。
そのあとじいちゃんが日本にきて、ずっと独身だったばあちゃんと結婚。
以上です。文才なくてスマン

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11 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 19:15:26 ID:???
159 :本当にあった怖い名無し :2006/07/18(火) 14:00:04 ID:wHHDFJSB0
私の祖父は太平洋戦争の天王山といわれるミッドウェー海戦に参加していました。
祖父は空母飛龍の機関員だったそうですが、沈没間際に退艦のさい艦橋を見ると
山口司令と加来艦長が抱き合ってキスしてたそうです。
ほんうだとしたら怖い話です

912 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 22:15:05 ID:???
キスのように見えて抱き合って頭が重なって見えただけか、
何かを感極まりながら話してたんじゃないか?

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910 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/06/08(日) 02:52:24 ID:+Il8YlXo
昭和18年10月11日、北海道宗谷海峡で潜水艦ワフーを
稚内の大沼基地航空隊等が撃沈した。

零式三座水偵が対潜爆雷で反復攻撃するのを
沿岸の高台から住民が見物しており大喝采。

地元牧場主からは牛一頭が航空隊に大盤振る舞いされ
隊員は舌鼓を打ったそうな。

余談ながら牧場主の西岡氏は、戦後稚内市長になった。

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