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440 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 22:41:44 ID:???
戒厳令AAでお馴染みのヤルゼルスキは士官になって初めて指揮を命じられた小隊が女性兵ばかりだった。
しかし土地貴族→厳格なカトリックの寄宿学校→シベリアの極貧肉体労働生活→士官学校、という人生を歩んできた
ヤルゼルスキは「異性に対して臆病」で「女性に囲まれてひどく居心地が悪かった」ということで上官に願い出て
男ばかりの小隊に配置を変えてもらったそうだ。
自伝読んでて見つけたエピソード。とりあえずまとめブログにはなかったので投下
441 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 01:32:43 ID:???
>>440
大卒すぐで工場のパートのおばちゃんたちを束ねることになった友人
の精神的な疲労を思えば理解できるな。
437 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 20:37:14 ID:???
こんばんは。
イラクネタをもう1本投下
2004年四月中旬、3人の日本人がテロリストに誘拐さ人質に
されました。テロリストの目的は自衛隊の撤退。
この事件の結果は御存知だと思うので、ここでは割愛しますが、
当時、現地でもこの事件は高い関心を集めました。
そて5月6日、サマーワの市中や宿営地で大規模なデモが行なわれました。
「Honest Japanese(正直な日本人よ。一緒に平和な町を再建しよう)」
という横断幕を掲げて。
デモはデモでも「日本の自衛隊に今、帰られては困る、テロリストの
要求に負けないで残って欲しい」という趣旨の「自衛隊帰らないで」デモ
だったのでした。
CNNでこの様子を見たアメリカ軍とオランダ軍は契約社会にすむ
イラク人が情丸出しのデモを行なう事が信じられず 驚いたそうです。
当日、デモの趣旨を知ってたいた自衛隊は、美味しい水やクエートから
持ち込んだアイスを用意して歓迎したそうですw
ちなみに11月11日にも「自衛隊帰らないで」デモ行なわれましたが
この時、横断幕に2枚だけ「自衛隊反対」と書かれていたのが
あって、日本のマスゴミをこれを取り上げても「自衛隊反対デモ」
があったように報道しましたとさ。
436 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 03:00:13 ID:???
684 :675:2008/01/27(日) 12:34:36 ID:NBmy+f5d0
おはよう
俺のじいちゃんが戦争中に山で体験した話
じいちゃんは戦時中に看護兵として旧日本軍にいた
その日は別のキャンプに山を越えて移動する予定だった
その途中、知り合いの鈴木(仮名)を山の途中で見かけたが、
鈴木は何かを探しているのか一心不乱に地面を掘っている様だった
元々変わり者だったらしく、その時は特に気にしなかったらしい
その日は無事にキャンプに着くことが出来て安心していたが、
そこのキャンプには全身火傷で変わり果てた鈴木が寝ていた
山の途中で見かけたのにこんなに早く到着しているわけはなく、
見間違うわけもない(鈴木の腕にはあまり見かけないお守りがっ縫ってあった)
不思議に思って尋ねようとしたが鈴木はとても喋れる状態では無かった
次の日敵軍の急襲にあった
看護兵なのでとりあえずある程度のところまで逃げなければならないらしく
山中を必死に走って逃げた
すると急に落とし穴に落ちてじいちゃんは意識を失った
銃弾を腹に2発程度撃たれてはいたが致命傷にはならず何とか敵軍が消えるのを待つことができた
静かになり外に出ると同じように数人が穴に落ちて助かったらしい
後から気づいたらしいがその穴には鈴木の私物(小物)が落ちていた・・・
戦時中のその山では、死んだ者や負傷した者の生前の元気な姿を遠くに見る人が多いらしい
417 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 23:00:06 ID:???
自衛隊がイラクに復興支援に行ってた時の話
第8次群長の所にある日、オーストラリア軍の指揮官が困惑顔で相談に来ました。
彼が言うには
地元の住民「オーストラリア軍は帰れ!」
オーストラリア軍「我々は日本隊を守る任務があるから、それはできない」
と言うと
地元民「日本隊は我々が守るからお前らは帰れ!」
と言われたと言う事であったそうな。
418 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 23:11:17 ID:???
今じゃどうだか
せっかく医療器具揃えても定期的なメンテナンスがなきゃねぇ
419 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 23:11:36 ID:???
なんか、本当に悔しい話だな・・・。
属国日本はイラクにたいした事をしてあげられなかった。
420 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 23:48:08 ID:???
>>418
診療、医療技術の指導や地域診療所の整備が主な支援だったから
そっち方面の支援はあんまりなかったみたいだよ
421 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 23:49:21 ID:???
”キャプテン翼”って物凄い効果があったんだな
382 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/12/14(日) 23:20:24 ID:4EXdmvk8
戦国自衛隊(映画)で自衛隊員が夜這いに行って味方の足軽かなんかと出くわすシーンがあるけど
実際の戦地で、敵同士であんな事ってあったんだろうか。
日本軍と国民党軍とかイタ公とブリテンとかでありそうだが。
386 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/15(月) 20:59:25 ID:???
>>382
西南戦争で薩軍が宮崎に後退していた頃。
大淀川を挟んで政府軍と薩軍が対峙していたが、
宮崎の遊郭では壁を挟んで両軍の兵士達が遊んでいた。。。
その西南戦争の序盤の熊本城攻防戦。
薩軍士官の宇都宮が先陣切って突撃を図るも銃列の前に奮戦空しく戦死。
これを見た宇都宮の元同僚の官軍士官が
「宇都宮を 撃つ身になりにけり」
と詠むと、対峙する薩軍兵士が
「撃たれてもなおうつのみや」
と返したと言う。
これは「宇都宮」と「撃つのみや」を掛けている。
「段山の屁戦」も西南戦争序盤の有名なエピソードだが、
肉親知人友人が相打つ日本最後の内戦終盤は壮絶なものとなった。
戦死した薩軍兵士の陰茎を切り取りその口に咥えさしたり陰惨なエピソードが…
一方、薩軍も薩摩に古くから伝わる「ひえもんとり」を官軍兵士の戦死体で行ったとも言うが…
290 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/11/09(日) 20:31:14 ID:???
索敵飛行も回を重ねグラマンとも何回か渡り合っていた頃ですが、
その日は珍しく何事もなく「帰投するぞ」の声に念の為、双眼鏡で左下を見ると、
大型機が黒い煙を吐きながら南へ飛行しているのを発見。
相棒の曹長の肩を叩きながら伝えると、「よし」といって半転、敵機の後方約500mにつけ双眼鏡で確認すると…
つづきはwebで
ttp://ohanashi.okigunnji.com/backnumber/te12.htm
索敵飛行も回を重ねグラマンとも何回か渡り合っていた頃ですが、
その日は珍しく何事もなく「帰投するぞ」の声に念の為、双眼鏡で
左下を見ると、大型機が黒い煙を吐きながら南へ飛行しているのを発見。
相棒の曹長の肩を叩きながら伝えると、「よし」といって半転、敵機の後方約
500mにつけ双眼鏡で確認すると、驚いたことに垂直尾翼の真下の銃座が
欠落、尾翼もブラブラかろうじて垂直尾翼がついている状態でした。
「下に廻るからよく観察しろ」とやや高度を落とし下部の銃座を見ると、
大きな穴が空き、ロックが壊れたのでしょう爆弾倉は空いたままです。
「上に廻る」と高度をあげ、少し接近して上部の回転式銃座を観察すると、
こちらの機に気がついたのか銃座が回転して機銃が我が方に向きましたが、撃ってきません。
よくよく観ると、機銃手は放心状態で最早戦意はなく、じっとこちらを見ているだけです。
「前に廻る」と速度をあげ、敵機の左側上空にでて操縦席を見ると、
左側3分の1程度が欠落、副機長が懸命に操縦していますが、左の
エンジンは2基とも止まり、オイルが燃えて真っ黒な煙を吐いています。
被弾状況から判断すると、高射砲の至近弾で満身創痍となったのでしょう。
「撃たないのでありますか」との答えは「俺は手負いの鹿は撃たない、
よく見ておけこれが空の要塞といわれるB29だ」
ゾクゾクしました。
実物のB29を間近に見たことよりも、必死になって飛び続ける姿に感動しました。
無線機の周波を変え緊急信号(メ-デ-)をとらえようと検波しましたが、上手く同調しません。
「海面をよく見張っておれ、潜水艦が現れるだろう、敵機の僚機にも注意しろ」
眼を凝らして四方を見渡すと潜水艦らしき姿。潜望鏡深度で、
B29の後を追うように航行するのを発見しました。
「潜水艦は急浮上するぞ」との相棒の声。
まもなく急角度で潜水艦が浮上するのが見えました。
私達はB29の周囲を旋回しながら監視を続けていましたが、
ほどなく潜水艦のハッチが開き、水兵が高射機関銃のカバ-を
外してこちらを狙っており、命令を待っているようです。
艦橋のハッチが開き2.3人の将校らしき姿が現れ、双眼鏡でこちらの様子をうかがっています。
B29は海面すれすれに飛び着水を試みようとしていますが、
機体の破損状況から、水平に着水すれば、衝撃で操縦席は吹っ飛ぶでしょう。
機首をやや上にあげ尻餅を着くように着水するのがよいと一瞬想いましたが、
そうすれば、機体の破損は胴体の下部が酷いようなので、機体は衝撃で
真二つに折れるだろう、どちらを選ぶかと思っていたら力が尽きたのでしょうか、
水平に突っ込むように着水しました。
案の定、操縦席は吹っ飛び爆弾倉と機体の前部から海水が雪崩れ込み、
大きな機体はみるみる沈んで行きます。
操縦士は、我が身を捨てて生き残った者を助けようとしたのでしょう。
潜水艦から救命ボ-トが救助に向かっていましたが、上空から見ると
沈んでゆく機体に近づくのが遅く感じられ、我を忘れて「早く、早く」と念じました。
その時は戦争を忘れ、まるで映画を観ているようでしたが「潜水艦の銃を見張っておれ」との
声で我にかえりました。B29からは間一髪で何人かが救助され、やがてその大きな機体は
波間に消えました。
上空を旋回していると、潜水艦の艦橋で一人が挙手の敬礼をしているのが見え、
私も思わず敬礼をしました。
潜水艦の上空を飛び翼を僅かに振って飛び去りましたが、後ろを振り向くと
艦橋にまだ人影が見えましたが、その姿は、私の目には「ありがとう」と
言っているように映りました。
「今日は何かあったか」と聞かれ、言いたいことは分かりましたので、
ついつい冗談口がでて「本日は晴天なり」。
「こちら○○機、索敵異常なし、ただいまより帰投する ○○○○(時間)」と打電していると、
相棒の「やり切れんな」との独り言が聞こえました。
この「やり切れんな」の中に戦争の残酷さと空しさが込められているのを感じた次第です。