852 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 18:50:05.62 ID:???
何かと精神論で日本軍勝利を煽る陸軍が多い中、岩畔豪雄少将は特異で個性的な
人物であった。
第十五軍のインパール作戦の状況が悪くなったとき、部下の大沢が「勝てますか?」と
言った。
岩畔は、「負け方次第では、負けてよいときがある。この戦争は日本の負けだが、
わずか二個師団で、敵の五個師団を相手に、よくこれだけ頑張れたと思う。
人間業で、これが最善の作戦だろう」。
昭和二十年八月十二日にイギリス空軍からビラで「日本軍降伏」が伝えられたとき、
デマだ、敵の宣伝だ、という部下に対し、「宣伝ではない、本物だ。敗戦は早く
から覚悟していた。日本の将来を期して打つべき手は色々ある。日本は決して
ほろびない。任せてくれ。心配することはない」。
敗北主義者として一時期、参謀本部から敬遠されていたものの、現実を直視した
慧眼で、彼は戦後の復興に尽力した。
どもんしゅうへい著「日本の命運に係わった陰の男たち」
853 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 18:56:59.18 ID:???
上手な負け方って本当に難しいんだよね
854 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 23:11:39.96 ID:???
>>852
>>昭和二十年八月十二日に
気が早すぎだろw
855 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/21(火) 23:31:08.63 ID:???
>>854
ポツダム宣言受諾そのものは8月10日に通知されてる
連合国側から条件(国体護持)付受諾を認めない回答があったのが11日
んで条件撤回をした上で受諾したのが14日
15日国内発表
だから12日に伝単がばらまかれても不思議ではない
[2回]
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