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58 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/05/27(土) 13:34:54 ID:???
(戦友会の文集より)
インドネシアへの旅 井上 忠則
この旅行中トライスター操縦席を見ることができたのは幸福であった。
この機長はドイツ人で、第二次大戦中独軍の戦斗機のパイロットとして、ヨーロッパ戦線
で活躍した人物、我々一行が旧日本軍の戦斗機乗りの面々とわかり、期せずして意気
投合したという次第である。ハイジャックを恐れることなく、3名ずつ交替で操縦席に案内
し説明してくれた。この機長の寛大さには心打たれるものがあった。操縦席には無数の
計器類が並んでいて、九七戦とは全く比較にならず、総てコンピューターによって飛んで
いるので、操縦者はこの計器をにらんでいるだけでOK、寸分たがわず目的地に到着す
るという次第である。
出発まで時間があるので鴨山、村上、本田、山内の諸氏とセレクター公園に出かけた。
日本人が来たと言うので公園管理人が4名集まって来た。その中の長老格の一人が、
戦時中スラバヤ日本人小学校の卒業証を自慢げに見せてくれた。「ニッポンクル、ワタ
シウレシイ」と片言まじりの日本語で歓迎してくれたのが深く印象的だった。
それからバスで4~5分走ったろうか基地が見えた。基地の入口には警衛所があり10
数名の兵士が進入を監視している。
ストッパーが下りていたが我々一行の訪問が事前に通報されていたと見え、バーが上り
進行OKのサインとともにバスは基地内に進入した。道路の左側に添って官舎が見える。
基地空軍高級将校の官舎と説明があり、ズラリ並んだ一際大きい官舎の前でバスが停
車した。ここがインドネシア第4空軍基地司令官スマルノ大佐の官舎である。一行はやゝ
緊張したおももちで下車した。ところが驚くなかれ基地司令官スマルノ大佐以下20数名
の高級将校がズラリと二列に並び、我々一行が挙手の礼で歓迎されたのには恐縮した。
スラマッパギー(今日はようこそ)一人一人に堅い握手を受けながら官邸へと通された。かつ
ての日本空軍将兵を迎える最高の礼と受けとめ、思わず感激の涙が頬を伝わった。鈴木さ
んはこの一瞬を次のように表現されている。
「懐旧の情 この一瞬に現れ 団員の胸奥何を語らん 東にスメルの山容を望み 目に涙を
宿して マラン原頭に立つ」・・・・・・と。