887 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/15(木) 16:33:19.50 ID:???
ばっちゃんは戦時中公立の学校に行ってた時は
「そのうち日本語が共通語になるから英語なんか勉強しなくていいんじゃー」
って言ってたらしいよ(学校の教育方針なのか生徒間の話なのかは知らんが)
で、全然英語勉強していなかったんだけど、
家庭の事情でミッション系の私立の女学校に転校したとき
「入学試験が問題まで全部外国語で全く分からんかったw」って言ってた。
先生は半分が日本人仏人半々だったらしいんで、それが英語なのか仏語なのかは分かんないけど
問題見て固まる→しばらくして院長(仏人)登場
「ドデス?分かりマスカー?」
「いえ、分かりません…」
「フムム…イイデス。分かるトコだけ書きなサーイ!」
「…(いや、まず問題が分からへんし…)」
結局白紙で出したけど、形式的な試験なのと公立での成績は良かったので受かったらしいw
英語の授業もあったって言ってた気がするけどな…
あとフランス人のメール(シスター?)に対しては、挨拶程度はフランス語だったみたいよ。
(マ・メールとかウィくらいだけど)
2次大戦中って、日本では仏語ってどういう扱い?
901 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/16(金) 12:00:15.48 ID:???
>>887
どうでもいい突っ込みだが
メールはお母さんの意味だったはず、シスターはスール
でもうちの学校でもシスターをメールって呼ばせてたんだよなぁ……。
902 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/09/16(金) 12:20:52.14 ID:???
修道女の方のシスターをメールと呼ばせるのはお母さんみたいに慕いなさいってことじゃなかった?
お姉さまの方をメールと呼ばせるなら理由はわからない。
ざっと調べたけどフランス語は元々教えてた学校では普通に教えてたみたい。
教師・教材不足はあっただろうが…。
44年後半~45年に休校なったところもあるから、この時期が一番きつかったのかな?
英語についても全国的に時間削減の風潮だったが
逆に充実させ英会話レコードを聴かせるところもあった様子。
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