49 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/22(土) 10:14:37.28 ID:FHG+/Ho1.net [2/4]
いやね、わかっちゃいたんだけど小さい頃から「こうが」と読んでたのがくせになっちゃってね。
「きんが」なんて読み回し殆ど使わないから口に合わないのよ。まあここ掲示板なんだけど。
お詫びにほのぼの?を一つ。
1944年初頭、ポーランド南部ブリズナのレジスタンスから、飛翔体の打ち上げを写したフィルムがロンドンへもたらされた。それはブリズナ砲撃実験場のもので、ドイツ軍が大型ロケット兵器を実用化しつつある事は明らかであった。
それから数ヵ月過ぎた44年5月、レジスタンスから実験場の詳細地図がもたらされ、設計図もしくは主要部品の入手が命令される。
実験場は親衛隊が警備していたが、幸運にも時を前後して飛翔に失敗したロケットがブーク川沿いの湿地帯に墜落し、近くに住む農夫から連絡が入っていた。
早速技術者を含むレジスタンスが急行し、ドイツ軍の捜索部隊を出し抜いてロケットを隠蔽。翌夜、連れてきた耕作馬三頭でこれを引き出すと、湿地がクッションになったのか、本体は破壊されていなかった。
ロケットは送り込まれた科学者による分解調査と図面作成を受けた後、操縦装置他の重要部品をジャガイモを積んだトラック二台に隠され、タルノー秘密飛行場へ向かった。
ロケットの発見と操縦装置の確保というニュースはロンドンの諜報部を沸き立たせ、早速これをイギリスへ輸送する「モスト(橋)」作戦が開始されていたのである。
責任者は「アウシュヴィッツ帰りの男」イェルジー・ケミエルスキー。特命を受けたケミエルスキー達3人は、イタリアから飛来したC-47と落ち合うことに成功し、着陸した機体に急いで部品袋を放り上げた。しかし、離陸出来ない。数日前の雨で芝生がぬかるんでいたのだ。
続きます…
50 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/11/22(土) 10:17:48.98 ID:FHG+/Ho1.net [3/4]
乗員も一緒になって狂ったように前輪周囲の泥を掻き出し、枝を集めて前に敷く。それでも車輪は泥にはまり、機長は命令通り爆破も考えた。
しかしケミエルスキーは諦めず、もう一度泥を取り除いて、遂に離陸に成功する。上空からは複数の探照灯が見え、機長は身震いを覚えながらイタリアへ向かった。
三日後、ロンドンへ到着したケミエルスキー達にイギリス軍諜報部員が部品の即時引渡しを求めるも拒否され、強引に持っていこうものならケミエルスキーがナイフ片手に部品袋に覆い被さってみせた。
彼らの言い分は「ポーランド将校にのみ引き渡される」というもので、射殺すると脅しても従おうとしない。これには英軍も折れ、ポーランド亡命政府を介して部品が受け渡されることとなった。
調査の結果、V2ロケットの操縦装置は予想されていたラジオ・コントロールではなく、妨害不可能なジャイロ・コンパスと判明。多くのロンドン市民を疎開させ命を救ったが、この作戦記録は英国のどの機関にも見当たらないという。
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