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594 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/02/03(火) 14:34:19 ID:+8qpq8th
近所に住んでいる元海軍航空隊の爺さんの話。
この爺さんは戦時中に少年航空兵として海軍に入隊し、大戦後半は偵察部隊の一式陸攻の
偵察員となり、運よく特攻にも駆り出されず負傷もせずに17歳の時に終戦を迎えました。
そして日本海軍の武装解除と兵員の召集解除も粛々と行われたものの、爺さんの除隊は
手続きの関係上ほぼ最後の方になりました。 爺さん達の所属していた海軍航空隊の基地
(確か四国)では除隊する兵士らに退職金と食料などの現物を支給していたのですが、
あいにく爺さんの番が回ってきた頃には備蓄されていた食料はほぼ底を付いていました。
基地の事務官も何か手渡せる物が無いかとあちこち探し回った所、結構な量の乾パンが
見つかったので「どうせお前らでもう最後なのだから全部持って行け!」
と大八車一台分の乾パンを現物支給されたそうで。
そして爺さん達は同郷の仲間(熊本出身)らと一緒に乾パンを載せた大八車と共に駅に向かった
のですが、あいにくどの列車も超満員で大量の乾パンを自宅まで持ち帰るのは無理でした。
そこで一同は協議の結果、背嚢に詰め込めそうな分だけ持ち帰り、残った大量の乾パンは
駅に居合わせた大勢の人達に無料で分配する事にしたそうです。
もちろん終戦直後の食糧難の時代でしたから、思わぬ臨時配給にあやかれた人々は大喜びし、
大量の乾パンもあっという間に無くなり爺さん達は大変感謝されたそうです。
その中には同じく召集解除されて復員してきた元陸軍の兵士も何人かいたのですが、彼らは
一様に「海軍さんの乾パンは美味しいなぁ」と感心していたそうです(陸軍と海軍の乾パンは
大きさも味付けも違う為)。