843 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/05/11(土) 15:08:06.84 ID:???
広島の残留放射能は1、2週間がピークだったんじゃないの?
中性子浴びてできるリン32とかの半減期がそれくらいらしいから。
古い資料で申し訳ないけどDS86によると爆心地付近で一日10時間~20時間×7日で被曝線量0.1グレイ、500m圏内で0.01グレイ
炸裂時に一キロ圏内で4グレイの放射線が降り注ぎ
さらに近い場所では50グレイ近い放射線浴びたらしいから一瞬でも危ないわな。
コンクリの壁と柱、2つの遮蔽物のお陰で自分は助かったけど
目の前で同僚たちは突然痙攣起こして死んでたなんて証言もあるし。
ほのぼのじゃないけど自分も便乗して広島の話を。
8月6日の広島市内を写した写真は5枚だけ。
しかし、ひょっとしたら他にも写せた人がいたかも知れない。
一人は産経新聞の記者。
紙屋町で被曝し重傷を負ってたが知り合いの記者にあったさいは
「(自分の怪我は)大したことはないよ」「カメラがやられたのが惜しい」
と話しながら火傷した手にひしゃげたライカのカメラをぶら下げていた。
5枚の写真を撮影した松重カメラマンは
明け方まで広島城(司令部所在地)にいて直接出社せず
朝食を食べに帰宅、出社社中に便所に行きたくなり帰宅の偶然で助かりあの日を撮影する。
もう一人、あの日を撮影できたかもしれないカメラマンは正体不明。
郊外から市内に入ろうとしたところを橋を封鎖していた憲兵隊に止められて
「いいから通せ!」「危ないから通せん!」「危ないのはわかっとる!!通せこのヤロー」
「このヤローとはなんだ!」
と憲兵隊と押し問答している姿が目撃されている。
大きなカメラを持っていたから新聞記者では?と目撃した人は語る。
最終的には憲兵隊に川に投げ込まれ、正体も消息もようとしてしれない。
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