74 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 02:39:05.61 ID:???
南方で飛行場の拡張だか設営で、連合軍捕虜を使役することになったが
捕虜たちは栄養失調でちょっと重いものでも持ち運べない。
そのとき指揮を任された将校が「食料確保してやらねば」、と
今にしたら当然のことだが、味方さえ困窮した状況で周囲は猛反発
罵倒までされたが捕虜たちと協力してとりあえず最悪の事態は回避した。
それから間も無く終戦
連合軍が武装解除にやってきて、捕虜に関与した日本の将兵をシンガポールに移送した
収容所では毎日厳しい尋問が繰り返され、何度かの公判で関係者は死刑を宣告された。
そして最終判決の日、一人の連合軍将校が出廷した
ラジオ放送で指揮官の死刑判決を知り、はるばるイギリスから証言台に立つため
当時、飛行場労働を課せられていた連合軍捕虜の先任者が来てくれたのだ。
「日本軍はすべて悪いが彼だけは悪くない」
彼の証言によって無罪が確定し、それ以後収容所を管轄する連合軍も
手のひらを返すように親切にしてくれたという。
(某関係者向け小冊子の手記より。有名な話だったらすまん)
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